月別アーカイブ: 2007年1月

沖縄日記その4

息子、暑くて夜中じゅう動きまくりの蹴りまくりで、父母とも2時間おきくらいに目覚める。 母、6時過ぎにしたくして温泉へ。朝は案外混んでいるがまったり過ごす。

8時前に息子を起こす。まだ眠いらしい。 支度して朝食ビュッフェへ。 昨夜、死ぬほど食べて後悔したはずなのに、またついつい手が伸びる。 息子は少し控えめらしい。

食後、砂浜で少し遊ぶ。 父が息子に海を触らせようとするが「こわい」と言って逃げる。 砂遊び道具を振り回して遊ぶ。

10時過ぎ、父と息子で温泉へ。 その間に母パッキング。 11時のチェックアウトに間に合うように急ぐ。

11時、荷物を取りに来てもらったときに息子はベルキャプテンのお姉さんとおしゃべり。 自分のピギーバッグを持ってはしゃぐ。

11時30分過ぎ、車の乗ると息子すぐに寝る。 「沖縄こどもの国」へ行く途中で、嘉手納の「道の駅」に寄り、父母交代で休憩&買い物をする。 12時20分ごろ、息子がいったん起きるもののすぐ寝たので、「こどもの国」へ行く。

13時、「こどもの国」着。 息子を起こして中に入る。ずっと抱っこモード。 列車の乗り物を発見してそれに反応したので、親子3人で乗る。 お腹もなかなか空かないので園内を歩いて回る。 オオアリクイがとても活動的でびっくり。 マンドリルも初めて近くで見る。

園内は工事中が多く、無造作に動物たちが置いてある感じがするが、うらぶれていて面白い。 息子はやる気がなく、キリンやダチョウなどを見つけて走るくらいであまりのらないらしい。

14時30分出発、A&W を目指す。 沖縄発祥の日本発のファストフードと言われる「A&W」、母は念願のルートビアを注文できて満足。

16時30分ごろ、那覇のホテル着。 17時ごろモノレールに乗りに行く。 息子も最初は興奮するものの、途中で飽きたので、奥武山公園の手前で折り返す。 寒くなってきたので、いったんホテルに戻って上着を取り、18時30分ごろ夕飯へ向かう。

国際通りから少し入った「花笠食堂」へ。 昔ながらの食堂で、韓国のオモニを彷彿とさせるおばちゃんが働いている。 父はビールとラフテー、沖縄そばなどのセット、母はグルクンの塩焼き定食を注文する。 息子は、沖縄そばを「ちゅるるん」することにこだわるが、他のものはあまり食べず。

19時45分、買い物へ。父は高良レコード店へ。 母と息子はブラブラし、息子用のアロハシャツを買う。

国際通りを歩いて帰る。 お茶を買って部屋へ戻り、シャワーをして22時ころ寝る。 珍しく、息子がいちばん早く寝る。

(父付記)

リゾートから那覇市内のビジネスホテルへ。少しずつ現実に引き戻されている気がするなあ。ぜひ行きたかった国際通り沿いの「高良レコード店」へ。沖縄音楽専門店と思いきや、普通の CD/DVD ショップである。

まずは、限定盤の売れ残りを探す。おお(小さくガッツポーズ)、ポリスの「シンクロニシティ」とブラインド・フェイスの「スーパー・ジャイアンツ」があるではないか!

それからタウン誌で見かけた古謝美佐子さんの CD を買おうと思っていたのだが、ない。 古謝美佐子さんは「オキナワチャンズ」の一員として、教授の「NEO GEO」や「BEAUTY」のレコーディング/ツアーに参加、その後ネーネーズを経てソロ活動を行っている。 店員さんに聞いたら倉庫を探して持ってきてくれた。

天架ける橋

全然知らなかったのだが、「童神」という子守唄が NHK の連続ドラマで使われて話題になっていたらしい。 そのオリジナルバージョンがこの CD に収録されている。

弦楽合奏やハープの伴奏で歌われるソフィスティケイトされた沖縄民謡は拒否反応を示す人もいるかも知れないなあ。

沖縄日記その3

母、さらに朝早く目覚め(4時前)、さらに寝直す。 6時に起き温泉へ。広くないがまったりする。人多し。 続いて父温泉へ。その間、息子は寝ていたが7時過ぎに起きる。

朝食は洋食バイキング。 息子ポテト食べまくり。ヨーグルト食べまくり。 父母も結局たくさん食べ、部屋に戻ると8時30分。

支度をして9時30分前にホテルを出発。「美ら海水族館」へ。 遠いと思っていたが道はあまり混んでいない。 途中、許田(きょだ)の「道の駅」に着く頃には息子熟睡中。 ここで、揚げたてのサーターアンダギーとジューシーのおむすびと水族館の割引チケットを購入。 サーターアンダギーはあまりにおいしそうだったので、父母2人でドライブ中に食べてしまった。 今まで食べた中でいちばんうまかったかも。

10時45分に水族館着。水族館に近い方の駐車場に車を止めて、息子を起こし出発。 ちょうど11時から屋外の「おきちゃん劇場」でイルカのショーが始まるところだったので、まずはそれを見る。 息子はイルカと一緒に泳ぐお姉さんに気を取られている。

その後水族館の中へ。ジンベイザメ目当ての息子はとにかく走る走る。 人込みの中を走り抜け、30分くらいで外へ出てしまう。 12時30分ごろ、売店で少し買って昼食。 許田で買ったおにぎり、一昨日「浜の家」でもらったシュークリーム(おいしかった!)、お菓子御殿で買ったお菓子などを食べる。

亀のプールを見て砂浜へ。 息子は靴を濡らして海水に触る。 おもしろいらしい。 着替えさせて帰路につく。

14時前に出発。 行きは山の中を走るコースだったので、帰りは海岸を走るコース(国道58号線)を通る。 息子はまたすぐに寝る。天気も良くなってきたので気持ちよい。 15時10分ごろホテルに到着。 同時に息子も起きる。

部屋で支度して洗濯を回し、父と息子は浜辺(その後温泉)へ。 母はエステへ。

18時30分に部屋で合流。みんなでちょっとグダグダモードのまま19時に夕食へ。 息子はステーキと沖縄そばにはまり、食べ続ける。 最後は母と息子がナチュラルハイになり、「おいしいの踊り」をしながらぜんざいを食べる。 部屋に戻ると20時30分過ぎ。親子揃って1時間半食べ続けていたことになる。

3人で歯を磨き、22時30分ごろ寝る。

沖縄日記その2

朝5時前、やはり目覚める。何故だろう?前夜は11時頃寝たのになあ ….. お茶をいれ6時前に寝直す。

8時前に皆で起きる。「ピタゴラスイッチ」を見て朝食へ。 和食で息子用のごはん・みそしる付き。元気に朝からシャケ焼きを食べる。

朝食後ホテル内を探検。外のビーチで、まさに「お砂遊び」をしたり、車に乗ったりする。10時過ぎに部屋に戻り、10時30分から温泉へ行く。 (息子は父と一緒。)(その間、ランドリーも使う。セルフ無料でドライ付き。便利。)

部屋に戻り、11時30分から昼食バイキング。アジア料理フェアでいろいろ食べ放題。 息子はポテトと果物をたくさん食べる。食事のあと、息子のサンダルを購入。

その後「お菓子御殿」へ。(注:妻お気に入りの「紅いもタルト」が買える。) 行く途中で息子寝る。おみやげを一気に買おうと考え、いろいろ見ると購買意欲がムラムラと沸き起こる。結局、双方の実家へ送るものも含め、すごい量&金額に …..

(泡盛5本、紅いもタルト5箱、お菓子詰め合わせ2箱、サーターアンダギー3袋、海ぶどう6箱、コーレーグースー、さんぴん茶、ちんすこう、ソーキそばセット、ラフテー、紅いもチップス、ゴーヤチップス、野菜チップス)

息子は店内で起きたあと、帰りも起きたまま。ホテルの部屋に戻り父はエステへ。 母、息子と昼寝。6時ごろ父が戻ってきて、のんびり支度して夕飯は「元祖海ぶどう」へ。

息子、海ぶどうを気に入り、結局単品で2回もおかわりすることに。もちろん、その他にもミミガー、ラフテー、グルクンなどバリバリ食べる。

沖縄日記その1

うちの会社は五年に一度一週間の休暇を取ることができる。 五年前は韓国、そのまた五年前はイタリアへ行った。

今回はどこへ行くか妻と相談したところ、まだ息子が小さいのでいざという時に何とかなる国内がいいとのこと。育児の現実を訴えられるとなかなか太刀 打ちできないので、妻の主張にしたがうことにする。基本的には「何もしない」というコンセプトについてはお互いに合意が取れ、目的地は沖縄、しかも離島へ は向かわずに本島のみに滞在することにした。

以下の旅行記は妻が旅行中に書いたものに適宜私がコメントを入れたものである。

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朝5時。旅の用意がまだ済まないのが気になって起きてしまう。 朝食準備をしたあと、7時ごろにダンナも起きて来たので二人で準備を始める。 (息子はまだ寝ている)

結局、スーツケース(サムソナイトのオイスター)1つでは全く収まらず、ピギーバッグも持って行くことにした。

10時にタクシーで浜松駅へ。 息子は興奮して元気にピギーバッグ(機関車トーマス)をひいて歩き回っている。 新幹線の発車まで少し時間があったのでホームで前に停まっている「こだま」を見る。 運転手さんが手を振ってくれる。 名古屋までは息子が興奮してずっとしゃべっている。 「300系のっている。」 おお、ちゃんと現在進行形だ。

あっという間に名古屋へ。 乗り換えの時にも息子は自分でピギーバッグを引いている。 道行く人にウケる。

名古屋駅からセントレアまでは名鉄ミュースカイ。 2人分の席なので息子も少しもてあまし気味。すれ違う名鉄電車を見て過ごす。

セントレア着。まずはチェックイン。 空港内は暑いので上着を荷物に入れて預ける。 4階で食べ物探し&昼食。 ものすごく混んでいて、雑踏のようなところで食べる。 あまり落ち着かず、ちょっと飛行機を見てから搭乗口へ。

13:20頃、幼児を連れているということで優先して搭乗。ちょっとうれしい。 13:40発。離陸は「こどもチャレンジ」の本で何とかまぎらす。 息子は興奮してなかなか寝られず。 「りんごジュースください」を何度も連発してスチュワーデスさんにほめられる。 機内は満席。息子はずっと膝の上で飽きたらしくウダウダになってくる。 結局、着陸間際にグズり、ダンナの腕の中でグッタリ寝る。

16:35 頃那覇空港着。 手荷物受取で息子を抱き直すと起きてしまう。 すぐにレンタカー配車場へ。 送迎車で事務所へ行き、手続き。 今回の車はヴィッツ。思ったより広い。

17:30頃トヨタレンタカー出発。 カーナビ便利(何を隠そう、うちの車にはカーナビがついていない)。 途中で Coop に寄り、紙おむつなどを買い出し。 沖縄自動車道を経てルネッサンスリゾートへ。

18:50 頃ホテルへ到着。チェックインにけっこう時間がかかる。 その間息子はロビーで遊ぶ。 角のダブルの部屋が空いていたそうで変更してくれる。 (ツインだと息子が落ちそうだったのでちょっと安心。)

夕食をホテル内で取ろうとしたが予約がいっぱいだそうで諦める。 近くにある「浜の家」に行こうとしたが、バレーから車を出したり荷物を忘れて取りに戻ったりで、結局 20:00 頃にたどり着く。母が頼んだミーバイ汁はほとんど息子が食べた。

私と二人の聖人

ジョン&ヨーコの各種アルバムが紙ジャケで再発。

ジョン&ヨーコの初期3部作、すなわち「トゥー・ヴァージンズ」「ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ」「ウェディング・アルバム」は、私がジョン・レ ノンを聞き始めた時期には聞きたくても聞けないシロモノだった。思えば「廃盤」(=買いたくても買えない)という概念を初めて知ったのもこの頃だったと思 う。

まあ、そこまでして聞くべきアルバムかと言われると答えに窮する内容ではあるのだが、「普通は聞けない」と言われると「何としてでも聞きたい」とい う性格なので、初期3部作を探す旅はこうして始まったのである。中でも日本発売すらされなかった「トゥー・ヴァージンズ」はお目にかかることもできないの ではないかというレアさだった。

ところが、意外とあっけなく輸入レコード屋で見つけることができた。3800円で購入したその盤は、いわゆるカウンターフィット、正規盤をコピーし て作成された模造品だった。当時中学生だった私はそんなことは知らず、「何か盤が厚いなあ」とか「新品なのに何かプチプチいうなあ」とか「何かレーベルの 印刷がボケているなあ」とか漠然とした疑問を感じていたのであった。

他にも某ファンクラブで購入した正規盤みたいだけどひたすら怪しい CD とか、完璧な海賊盤 CD (確かガレージセールで半額で買った)も持っている。やっと正規盤 LP を買えたのはカウンターフィット盤の LP を手にしてから 15 年後のシアトルの中古レコード屋であった。状態はかなり悪かった(二人の全裸ジャケを覆う袋がほとんど破れていた)が $100 という破格の値段だった。

「ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ」は大学時代に西武ライオンズ優勝セールで叩き売られていたカセットテープを買った。(これいくらだったかなあ?1000円くらいだったかな?)その後、某コレクターから正規日本語盤を譲ってもらった。

「ウェディング・アルバム」はどこで買ったか忘れてしまったが、8 トラックテープ(って知ってます?)版を買った。

これらのアルバムが全て正規盤で買えてしまう世の中はやはり便利なのだろう。 こうしてコレクターは重箱の隅へ隅へと進んでいくのである。

栗コーダー

イオン浜松志都呂店で行なわれた栗コーダーカルテットのインストアライブを見に行く。 (浜浜とはお互いを認識。もんすたMINIも行ってたよね?)

30分ほどの短い時間だったが、ポピュラーな曲を中心の演奏。 ピタゴラスイッチのテーマはもちろん演奏されたが、「テレビのジョンが登場するときの音楽」(分かる人には分かる)が個人的にはヒット。 息子はテューバに喜んでいた。

以前から買おうと思っていた10周年記念ライブの DVD を購入してサインをいただく。

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帰りに寄ったヴィレッジヴァンガードでレコスケくんの貯金箱を発見、衝動買い。

市立川口

川口市立川口高等学校吹奏楽部のコンクール演奏を集めた CD が出るそうな。

響華II

(ちゃんと調べれば分かるのだが …..) 内容は以前自主制作で発売されていた 4 枚組 CD「響華」の最初の 2 枚だと思う。 あとの 2 枚は定期演奏会の演奏とか OB 吹奏楽団の演奏だったと記憶しているので、一般吹奏楽ファンは今回の内容で十分満足するはずだ。

ダンサー・イン・ザ・ダーク

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

頭がカタルシスを欲していたので見ることにした。 半額で売られていたのをしばらく前に買ったまま見ていなかった DVD である。

ビョークが演じる主人公セルマはチェコからアメリカへの移民。 小さな工場で働きながら女手一つで息子を育て、アマチュア・ミュージカルが唯一の楽しみ。 遺伝的な病で徐々に視力をなくしていくが、同じ病を抱えている息子に手術を受けさせるためになけなしのお金を蓄えている。 ある日、そんな風にして蓄えたお金を盗まれたことから人を殺してしまい …..

といったあたりがあらすじである。

このあらすじは以前から知っていたので、かなり暗い映画であることは覚悟していたのだが、これらのこと自体はそれほど暗くは描かれていないし、そういう「他人の不幸」によって泣かせる映画では決してないのだ。

この映画で激しく心を揺さぶられたのは2点。

「なぜ、同じ病に冒されることを知っていながら子供を産んだのか?」という問いに対して「赤ちゃんをこの手で抱きたかったから。」と答えたセルマ。彼女は、彼女に降りかかる全ての不幸を受け入れなければ、このシンプルで根元的な願いを叶えることができなかったのだ。

それから「ミュージカルは最後の曲で終わってしまうから、最後から2曲目で席を立つの。そうすれば永遠でしょ。」と言ったセルマが最後に歌う《最後から2番目の歌》。

ミュージカルには哀しい場面はないと言うけれど、独房で歌われる《マイ・フェイヴァリット・シング(私のお気に入り)》(セルマが所属するアマチュア・ミュージカルが練習しているのは「サウンド・オブ・ミュージック」)は哀し過ぎる。

マイケル・ブレッカー

マイケル・ブレッカー死去。

「アメリカの代表的サックス奏者死去」のニュースを見たとき、失礼ながら「ついにソニー・ロリンズが …..」と思ってしまった。 まだ早過ぎるよなあ …..

一度だけだがブレッカー・ブラザースを生で見ておいてよかった。

合掌。