ドイツ入国 87 日目にして、やっとビザが発給されました。ビザなしでドイツに滞在できるのは 90 日までなので、一旦国外退去して再入国か?と本気で心配していたので、これでほっとしました。
人事担当の女性によると、入国管理担当の人がものすごい勘違いをしていたらしく、それを説明するのに(あるいは誤解を解くのに?)時間と労力がかかってしまったとのことでした。
ドイツ入国 87 日目にして、やっとビザが発給されました。ビザなしでドイツに滞在できるのは 90 日までなので、一旦国外退去して再入国か?と本気で心配していたので、これでほっとしました。
人事担当の女性によると、入国管理担当の人がものすごい勘違いをしていたらしく、それを説明するのに(あるいは誤解を解くのに?)時間と労力がかかってしまったとのことでした。
(久しぶりに海外赴任ネタです)
実はまだビザを取得していません。ドイツは3ヶ月まではビザなしでも滞在できるので、基本的には入国してからビザの申請をすることになります。私の場合は会社の Human Resource Section(日本でいう人事部なんでしょうなあ)が手配してくれているので、私は何もしなくてもいいのですが、今日いきなり連絡があって「最終学歴の証明書が至急欲しいんだけど …」と言われました。ドイツに来る際に確認して「要らないと思うよ」と言われたので持って来なかったのに … というわけで、急遽実家に連絡して、大学の卒業証明書を申請してもらうことにしました。FAX や電子メールや電話ではダメで、郵送でしか受け付けないとホームページに書かれていたので。
3ヶ月以内にビザを取れなかったらどうなるんでしょうね?いったんドイツ国外に出て再入国しないといけないのでしょうか?
昼食は以前わけもわからずに食べた「Brathering」(ニシンのマリネ)でした。
帰宅すると、前回のコンサート後に問い合わせたブルクハルト・フリードリヒの CD が届いていました。
演奏会で聞いた作品に比べるとアコースティックな趣きの作品が多く収録されています。《unter,druck》という作品は金管楽器と打楽器による作品。クセナキスの《アクラタ》を思い出してしまいました。
問い合わせに対していただいた返事によると、10月にハンブルクで音楽劇《ギャラクシー・ホテル》の初演を予定しているのだそうです。村上春樹さんなど複数の作家をモチーフにしているとのことです。この時に、前回の演奏会で聞いた《The Musicbox Project III》などを収録した CD を販売するということなので … 行ってみるかなあ …
午前中は会社に行ってちょこっと仕事、午後からはアパートの契約と引き渡し。
ちなみにこういうところです。ゲストルームもあるので気軽に遊びにきて下さい。管理人は老夫婦で、管理会社がリフォームして内装に手を入れているような感じである。私が入居する部屋も、外見の古さとは対照的に内装はモダンデザインにリフォームされている。隣の部屋はまさにリフォーム中であった。ここはヨーロッパによくある家具付きで、ソファやクローゼットはもちろん、タオル、寝具、台所用品、食器、洗濯機なども完備されている。昨日、必要になりそうなものをリストアップしていたのであるが、それもほとんど買う必要がなくなった。
「入居の片付けがあるだろうから、契約したあとは会社に戻って来なくてもいいよ。」というありがたいお言葉をいただいたので、せっせと片付けや整理を行う。引っ越し荷物は、スーツケースと、航空便で会社宛に送った段ボール箱3箱である。車は中央分離帯に停めたので、いちいち荷物を持って道路を横断しないといけない。いったん全ての荷物を横断させてから部屋に運び込もうと思って、アパートの外にまとめて置いておいたら、たまたま外に出てきた管理会社の人が私の部屋の前まで荷物を運んでくれる。なんていい人なんだ。「Danke shoen」だと物足りないと思ったので「Vielen Dank(心情的には Vie-e-e-e-e-e-e-e-len Dank という感じ)」というと「Nicht zu danken」と返される。英語で言うと「Nothing to thank」ということで、「感謝されるほどのことでもないよ」という意味らしい。
一区切りついたあとで在ハンブルク日本領事館へ行く。在留届を提出した際に依頼していた、日本の運転免許証のドイツ語訳を引き取るためである。とりあえずは日本の免許証と国際運転免許証で運転しているのであるが、近いうちに(入国して6ヶ月以内に)日本の免許証と引き換えでドイツの運転免許証を作ってもらう必要がある。6ヶ月以内なら無条件に交換してくれるのだが、それを越えてしまうと正式な手順で免許を取得しなければいけないらしい。確かドイツって3回落ちると一生運転免許を取れないんじゃなかったっけ?
無事ドイツ語訳を受け取ったあと「せっかく領事館に来たんだからついでにやっておくことはないかいな?」といろいろ物色していたところ、「在外選挙制度」というものがあるらしいので申請しておくことにした。これは、
という流れになっているらしい。領事館の担当者によると「まあ、今年中には届くと思いますよ。」とのこと(苦笑)。それまでは投票できないんですか。
その後、さすがにアパートには備え付けられていなくて比較的優先度が高いものを買う。「体重計」である(笑)。ま、とりあえず1kgくらいしか増えていなかったのでほっとしていますけどね。
夕飯は近くのドイツ料理のレストランへ。実はアパートの下見に来た時に昼食を食べた店です。
ビールはホルシュテン(Holsten)。これもピルスナーですね。外を歩き回って喉が渇いていたので味はあまり覚えていません(笑)。
エビのクリームスープですが、あれ、この前これ食べた?
それから、例によってハンブルク名物パンフィッシュ。ううん、いまいち。魚は一種類のみだったし、本来マスタードソースのはずが、なんかカレー風味のソースになっていた。味は悪くないけどだんだん飽きてくる。
ハンブルクは今いちごが旬なので、隣の席のおばさんたちも食べていたいちごの盛り合わせを食べたかったのだが、当然到達不可能。今度来て食べよっと。
ドイツに長期滞在する場合には、2週間(都市によっては1週間)以内に住民登録を行う必要がある。私の場合、ホテル住まいでまだ住所が確定していないので、とりあえず社長の住所を借りて住民登録することになった。
ということで、ハンブルクの東にあるグリンデ(Glinde)という町に行く。ハンブルクのような大都市で住民登録を行うよりは、グリンデのような小さな町の方が時間がかからない、という判断も入っているらしい。人事担当の女性を乗せて行く(ドイツでの運転歴1日なのに …..)。勤務先からはアウトバーンA1とA24を乗り継いで行くことになる。まさに Wir fahr’n fahr’n fahr’n auf der Autobahnである。
こういうところで部屋が空くのを待ち、空いた部屋に入って手続きをする。私は何もせずに(何もできずに)ドイツ語のやり取りを聞いているだけ。しばしのやり取りのあとで無事住民登録票にスタンプをもらった。
ちなみに役所が面している広場では市場が開かれていた。人事担当の女性は「ちょっと待ってね」と言って、今が旬のシュパーゲル(白アスパラガス)を買っていた。
午後からは庶務担当と住居を探す。大まかな希望を伝えて、ネット上で調べてもらって、いくつか候補を絞ったあとに最終的に不動産屋にアポイントを取る。明日くらいには下見に行けるのかな?
あ、もうじき変わると思うけど、車はこんなんです。
今日の出費
当日ハンドキャリーする荷物以外は万全。ただ、持って行くスーツケースは一回しか使ったことがない超特大サイズ、以前ラスベガスで馬鹿買いした時に、買った荷物がどうがんばっても持って行ったスーツケースに入り切らなかったので、現地で買ったものなのである。よほどのことがない限り、このスーツケースに収まらないはずはない、というくらい余裕なのであるが、2階でパッキングしているこのスーツケースを1階に下ろせるのか?というのが問題かも。
昼食は月曜日に定休で行けなかった「うさぎ庵」への再チャレンジ。引っ越し蕎麦ということで。11時30分開店ということだったのでそのくらいの時間に着くように行ったのだが、ギリギリで待ち時間なしで座ることができた。もうちょっと遅かったらしばらく外で待たなければ行けなかった。念願の「うさぎぶっかけ」を食べることができて大満足。そういえば、息子が生まれてからは初めて来たかも。
本当はもう行かない予定だったのだが、もう一度ヘアカットへ。微妙に伸びて収拾がつかなくなってきたので。ドイツへ行くと髪の毛を切る場所も新しく探さないといけないので、なるべくその探す時間をたくさん取りたくて短めにしてみた。フフフ、みなさん見れなくて残念ですねえ(笑)。
妻が仕事だったので、日中を息子と二人だけで過ごす、とはいっても、かなりのハードスケジュール。
午前中は、以前同じ職場で働いていて、先月急逝された方のお別れ会。離日の準備等で出席できるかどうかわからなかったのだが、前日までにほぼ片がついたので出席することにした。息子を連れて行かざるを得なかったのはしょうがない。
案の定というか、以前の職場で一緒に仕事をしていて、今は疎遠になっている方々と久しぶりにお会いすることができた。そういった方々にも出向の挨拶をすることができたので、よかった、よかった。
そんな中で、「戻って来られる頃には、もう私はいないんだねえ。」と、定年まであと2年の方に言われた。海外赴任の数年なんて、自分の中ではそんなに長い時間ではないと思っていたのだが、そう言われると、その数年間に変わることもいろいろあるのだ、とあらためて実感。浦島太郎みたいな感覚になるのだろうか。
ギリギリまで多くの方と話し込んだあと、息子のレッスンへ。息子のレッスンに付き添うのは1ヶ月ぶりだったのだが一応成長しているのだなあ。以前は、先生に呼ばれてもみんなの前に出て行くことを嫌がっていたのだが、最近では挙手して自分から率先して前に出て行っているようだし。
この期に及んで買ったもの。
トゥゲザー・スルー・ライフ(デラックス・エディション)(DVD付)
その後、息子に職場を見せておこうと思い、会社へ。休日出勤している後輩に会う。ひょっとして、社員で会うのは彼らが最後か?
家に帰って来て、普段ならお昼寝をする時間なのだが、全然眠くないらしい。私だけウトウトしていたところ、宅急便が届いたということで息子に起こされる。
しょうがないので、映画「カーズ」を見る。しかし、好きだなあ。この映画を見るのは何回目だろう?
ちょうど見終わったところで妻から電話がかかって来たので迎えに行く。案の定、息子は迎えに行く途中の車内であっという間に寝てしまった。
そして、本社への最終出社日。
何となく朝から YMO の《Perspective》が頭の中をぐるぐる回っている。日常がだんだん非日常に変わりつつあることを実感する。
午前中に机のまわりの片付けが終わり(よく終わったもんだ)、午後から主要な方たちへの挨拶回りを行う。
今日は引っ越し荷物を業者へ引き渡す日。会社を休んで準備をする。
まず、息子を保育園に送ったついでに会社に寄って、まだ少々残っている私物を引き取る。
それから旅行代理店に寄って、離日のための国内移動(浜松→中部国際空港)のチケットを引き取る。
その後はパッキングの仕上げを行う。おそらくいちばん面倒くさいのは、保険をかけるためのそれぞれの段ボール箱の評価額の試算である。このあたりは業者の方でやってくれるというので一安心。とりあえず、必要なものを大まかに段ボール箱に詰めたら意外に時間が余った。
なんか、個人的に引っ越しというと「牛丼」というイメージがある。(アパートから今の家に引っ越した時も忙しかったので昼食を牛丼で済ませたりしていたし)ということで、昼食は牛丼を。
2時という約束だったが、1時45分頃に引っ越し業者が来る。さすがに手際がよい。私が1ヶ月かけてやったことを30分くらいで片付けてしまった。例の保険リストは、業者がパッキングしながら作成したリストに金額を書き込むだけで済んだ。
夕方からは会社の送別会第2弾。同期の友人たち、仕事でお世話になった方(≒いろいろ迷惑かけた方々)、これからもっとお世話になる方、何の因果か私の「後輩」になってしまった方、社内での大学の後輩、いろいろな方々に集まっていただいた。
いろいろプレゼントも頂戴した。ある意味、どのアイテムもサプライズなんですけど(笑)。
へたにしんみりせずに「これからもお互いがんばろうな」的に送り出されたような気がする。期待もあるけどプレッシャーもあるなあ。
本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
ロンドン駐在から帰ってきたばかりの職場の後輩に聞いてみる。
「ねえねえ、ロンドンに行く時さあ、会社の書類って置いてった?」
「あ、だいたい家に持って帰りましたよ。」
そうか、家に持って帰ればいいのか(笑)。これでだいたい見通しが立ってきたなあ。ということで、一学期終業式の小学生状態でやたら荷物を持って帰る。
今日届いたばかりの、これから使うPCにインストールするソフトウェア類とか、職場の方からいただいたIH対応の魚焼き網とか(送別会でそういう話をしたのをすっかり忘れていた。ありがとうございます。)、予想外の荷物もあったのでだいぶ増えてしまったが。
会社では、やっと先週末に届いた新しいPCの環境設定をする。ちなみに買ったのは白いポリカーボネートのMacBook(いわゆる「梅」というやつですな)。注文してから品物が届くまでの間に微妙に性能アップして悔しい思いをしていたのに、これだけ新製品がドカッと出てしまうと、悔しさも通り越してしまうなあ。
BootCampを入れたり(必ず1回目はインストールに失敗するのは私だけ?)、FireFox 入れたり、Thunderbird 入れたり、会社関係のソフトウェアをインストールしたり(これも毎回てこずる)、けっこう時間がかかる。ふと机の周りを見て、これを全部片付けるためにはもう1日出社する必要なのではないかという気がしている。どうしましょ?
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保険料が控除される(年末じゃないけど)いわゆる年末調整的な書類を作成する必要がある。それから私が契約している某保険会社(だけじゃないと思うけど)では、契約者が海外渡航する場合に「海外渡航通知書」なるものを提出する必要がある。すっかり忘れていたので書こうと思ったら、保険証書が見つからない。風呂に入ったあとで汗ダラダラになりながら探して、やっと見つかった。なぜ、うちには中身の入っていない保険証書入れがこんなにたくさんあるのだ?
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6月6日、小山清茂さん死去。95歳の大往生である。
一貫して日本の旋律を用いた音楽を作っていたので、一聴すると素朴な作風のように思われるのだが、西洋の機能和声を日本の旋法上に持ち込もうとしていたりして斬新なアイデアも持っていた方である。
小山さんの作品というと、1980年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲である吹奏楽のための《花祭り》を思い出す。もちろん演奏は群馬県立前橋商業高等学校吹奏楽部。この演奏の迷いのない世界観は完璧。