月別アーカイブ: 2005年7月

今日の練習

定期演奏会まであと1ヶ月というのに依頼演奏の練習。

うちのバンドは、いわゆる「ポップス」が苦手なのであるが、その根本原因は「音の形の曖昧さ」にあることがわかった。例えば息のスピードが遅くて音の立ち上がりが悪いとか、息が真っ直ぐ入っていないから音の最後が失速してしまうとか、ということである。これは別にポップスに限った話ではないなあ。

私は吹奏楽から離れていた時期にビッグバンドやロックバンドのホーンセクションとしてトランペットを吹かせてもらったことがあって、その時期に「ポップス的な吹き方」を体で覚えることができたのだが、こればっかりはやったことがない人に伝授するのはなかなか難しい。

ということで、練習の中では「音の形」についてかなりしつこく確認した。それが克服できれば、全体的に前ノリになってみんなが気持ちよく演奏できる … という相乗効果が出てくると思うのだが … どうですかね?

練習ではいい感じになったので、来週の本番ではそれを忘れずに楽しく演奏しましょう。

Mr. インクレディブル

買ったまま、しばらくほっておいた「Mr.インクレディブル」を見る。

Mr.インクレディブル [DVD]

妻が訪問した友人宅で、うちの息子がジャック・ジャックに似ているといわれたらしいので、どんなものなのかと思って見ることにしたのである。まあ、似ているといえば似ているのか …(笑)。

主人公は Mr.インクレディブルで邦題も「Mr.インクレディブル」。しかし原題は「THE INCREDIBLES」。つまり本当は「Mr.インクレディブル一家」もしくは「すげえヒーローたち」が主人公なのだろう。ともすると押し付けがましくなってしまう「家族の絆」というテーマをドライに描いているのはストーリーが練られているからなのだと思う。

ピクサーの作品群の中では小粒だが、やはり「ちゃんと作られている」。

こういった「スーパーヒーローは今!?」みたいな設定はその手のコミックやアニメで育ったアメリカの中年(?)に呼応するものがあるのだろう。「スーパースリー」(ボヨヨンのコイルとかバラバラのマイトとかスイスイのフリー)を連想してしまった私も中年?

丑の日に …

京都の革製品ショップ「丑や(http://www.kyoto2001.co.jp/ushi-ya/)」から CLIE PEG-TH55 用のケースが到着する。オーダーメイドなので通常は納期が2〜3週間ということなのであるが、「型押し緑」が在庫があるということだったのでさっそく注文したしだい。型押し加工は多少割高なのであるが悪くない質感である。

2005年6月12日の日記で紹介した「光の雅歌―西村朗の音楽」を読んで、西村朗の合唱作品《式子内親王の七つの歌》に興味を持った。この作品を委嘱初演した合唱団OMP(現在は「合唱団 響」)に問い合わせて、初演の録音を譲っていただいた。本日到着。

 

プラスチックスとか坂本龍一とか

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プラスチックスの秘蔵ライブの CD + DVD。同時に発売された他の2枚(プラスチックスのベストと中西俊夫のニュープロジェクト)も買わなくては。

それから、坂本龍一の合唱曲《 CANTUS OMNIBUS UNUS》のスコアと CD も届く。かなり古典的なスタイル。こういうスタイルはアカデミックな教育を受けた人ならではという感じがする。なかなかよい。

いまさらCLIE

学生時代から、かれこれ20年近くシステム手帳を使っていたのだが、今年はついにスケジュールリフィルを買わなかった。

仕事の予定は勤務先の会社が導入している「ロータス・ノーツ」でまとめて管理しているし、プライベートの予定は何となく記憶していられるくらいの量だったので、最近はシステム手帳を使う頻度というか必要性が極端に減っていたのである。

しかし、最近は自分で記憶できる容量も減ってきたし、調整しなければいけない予定も増えてきたりして、やはり何らかの形での手帳とか備忘録のようなもの(要するにPDA)が欲しくなった。基本的な用途はスケジュール管理とToDoリストである。PDA の市場はどんどん縮小していて、最終的には携帯電話とノートPCに完全に飲み込まれてしまうと思っているのだが、さしあたってかなり逼迫した状況にあるので、とりあえず当面をしのぐ「つなぎ」として買うことにした。

最初はザウルスという線で検討していたのであるが、やはりこれは「小さなPC」と考えた方がよさそうである。サイズもかなり大きいし、私がやりたいことを考えると少しオーバースペックのような気がする。最近出た FOMA の M1000 もまだ PDA としてはこなれていないような気がする。

ということで最終的に残ったのがソニーの CLIE。PEG-TH55 である。すでにソニーはCLIEシリーズの新製品投入を止めているし、この機種も今月いっぱいで生産完了するらしい。将来性という意味では不安がないわけでもないが、逆に言えば技術としては枯れているという安心感もある。使ってみてよさそうだったら買おうと思い、市内の電気屋を探した。

しかし、PDA 自体を扱っているところは少ない。展示されていてもザウルスばかりである。まず見つけたのは某大手のY電機。実際に使ってみたかったのだが充電されておらず電源アダプターもなかったらしい。店員の応対にも腹が立ったのでそのまま店を出る。

浜松市内にはもう一件Y電機があるので、そちらにも行ってみる。同じ系列店でこうも応対が違うものかと思う。まず諸事情により息子をベビーカーに乗せて連れて行ったのだが、この店にはエレベーターがなかった。店員さんに問い合わせたところ、ベビーカーをエスカレーターに乗せるのを手伝ってくれ、そのまま PDA 売り場まで連れて行ってくれた。PDA 売り場では私の気がすむまで店頭品をいじらせてくれた。

私が使いたい用途に合致しているし、日本語の手書き認識も予想以上に使えそうだったので購入することにした。

(余談:手書き認識は筆順も検知しているらしく、筆順が違うと認識率が低くなる。)

これでうっかり忘れることは少なくなりそうだが、脳の能力低下にも拍車がかからないか心配。

教授の合唱作品

友人と昼食を食べに行った時の話。来週から京都で第7回世界合唱シンポジウムが開催されるらしい。(吹奏楽でいうと WASBE のようなものか)

http://www.jcanet.or.jp/wscm/

で、この大会のテーマソングを教授が作曲したということを教えてもらった。テキストは、大会全体のテーマでもある「Cantus populi, cantus mundi. Cantus omnibus unus.(人びとの歌 世界のうた 歌は人びとを結ぶ)」という言葉が使われているらしい。

CDと楽譜は販売されているということなのでさっそく注文してみた。いくつかのショップで購入できるとのことなのだが、以下のショップがいちばん探しやすいと思う。今回の開催地ということも含めてリンクを張っておこう。

http://www.panamusica.co.jp/ja/

教授の合唱作品というと1982年(YMO活動中)に東京混声合唱団が委嘱した《小説》という作品がある。村上龍のテキストがかなり過激だったという話は聞いているのだが、作品自体は聞いたことがない。一度聞いてみたいものである。

星になった少年

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教授が音楽を担当した映画「星になった少年」の原作。(というか正確に言うと原作を絵本化したもの)

この間の金曜夜の音楽番組「僕らの音楽 2」で教授と常盤貴子の対談もやっていたし、主演が柳楽優弥ということもあるし、ちょっと気になっていた。

実話だったとは知らなかった。

バンドクリニック(第二日目)

朝、「題名のない音楽会」を見ていたら突然「砂の嵐」が … おそらくケーブルテレビの送り出し側の不具合と思われる。何とか録画したものを団員から借りられそうなので助かったが … 何だかなあ。

というわけで、前日に引き続き汐澤安彦先生によるバンドクリニックの第二日目。録画して勉強したいと思い、急きょビデオ用の三脚を買ってクリニックに臨む。

今日はグレインジャーの《リンカンシャーの花束》を見ていただく。

休憩中にも「よく仕上がっているようなので、重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが …」とおっしゃっていたが(社交辞令だとしてもなかなかうれしい)、フレージングのちょっとしたコツとか、各パートのダイナミクスの処理などによって、音楽がとても立体的になる。

特に第1〜3楽章ではそういう多層的な音楽が展開されるので、ちょっとしたアタックの処理などで浮き出てくる旋律が変わるのがすごい。何度か感動してしまった。

基本的には昨日の感想と同じなのだが、うちのバンドの演奏者がここまで演奏できるということがわかってしまった今、問題は指揮者の力なのである。

バンドクリニック(第一日目)

ここ数年恒例になっている浜松市主催のバンドクリニック。今年も汐澤安彦先生においでいただき、定期演奏会で取り上げる曲をご指導いただく。

今日は第一日目で、私の担当分では《春の猟犬》(アルフレッド・リード)を見ていただいた。

汐澤先生に指導いただいたことを確認するという意味で、一通り見ていただいたあとに私の指揮で通すことにしたのであるが …

はっきり言って、シュトレーゼマン先生にダメ出しをくらった千秋の心境である(笑)。(「誰が千秋やねん」という突っ込みは置いといて …)

もちろん汐澤先生がダメ出しをしたわけではないのだが、同じ演奏者を指揮して、こうも出てくる音が違うのかと思う。

一応、《春の猟犬》の中間部はよくできているというコメントをいただいたのであるが、汐澤先生が細かいフレーズを調整していくと何度も「はっ」とするような瞬間がある。

当たり前ではあるが、その直後に私が振ってもそんな音が出ないのである。

細部にまで自分が思い描くイメージを持つこと、そして、それを正しく演奏者に伝えるバトンテクニックを持つことの必要性をあらためて痛感した。

明日は《リンカンシャーの花束》(グレインジャー)。楽しみでもあり、怖くもあり。さて、どうなることやら。

ぎゃび

ということで「のだめカンタービレ」をとりあえず12巻読了。まあ、期待に違わない面白さだった。

(本編とは関係ないけど、ちょっと帯がずれてしまうとどれが何巻かわからなくて困ってしまったのは私だけ?)

これを読んで音楽をやりたくなる人が増えているというのもわかる気がする。一応、私も指揮者をやっているわけなのだが、さらに高いレベルの音楽の愉しみ(ニュアンス的に「楽しみ」よりもこう書きたい)が伝わってくる。

しかし、もっとも心に突き刺さったのは第5巻で千秋の父がチャイコフスキーの《悲愴》について語るセリフである。この曲に隠されている秘密と謎についてこう言った。

チャイコフスキーは悲しくてもそれを言うことができなかったんだ

音楽の存在意義を一言で言い表している至言である。

以前、こんなことを考えたことがある。例えば、悲しい曲を演奏するときにはきっと自分の人生の中で出会ったいろいろな悲しいことを連想して演奏するのだと思う。それが人に言えないくらい悲しいことであっても、「音楽」という形に昇華されれば憚ることなくそれを表現することができるのである。