まあ、たまにタガが外れて、目に付いた本を片っ端から読みたくなる衝動に駆られますよね?
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ビートルズの愛
さっそく買って来て聞いてみました。
ラスヴェガスで今年から始まったシルク・ドゥ・ソレイユのショーのための音楽。 要するにジョージ・マーティン親子がビートルズの素材を使って作った作品なのである。これを「ビートルズの最新作」というのはやめて欲しいなあ。
シルク・ドゥ・ソレイユのステージを見てからこの「サントラ」を聞けば印象は変わるのかも知れないけど、ファンはこういうモノを「愛がない」と言うのである。
できれば、ジョージ・マーティンが生きているうちに、オリジナル・アルバムのちゃんとしたリマスターを聞きたい。 そっちの仕事の方が先なんじゃないの?
あ、結局サディスティック・ミカ・バンドの新譜も買っちゃいました。
クパティーノ日記(その6)
帰国の日。ちょっと早めにサンフランシスコ国際空港へ。 いつも空港へ行くときに思い出すのだが、ダウンタウンから空港へ向かう途中にキャンドルスティックパークが見える。 照明灯がケーキに立てたロウソクに見えることからこの名前がついたらしい。 もともとはメジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツのホーム、現在はNFLの49ers のホームになっているらしい。 それよりもなによりも、ビートルズが聴衆の前で行なった最後のライブ会場として有名である。
で、早めにチェックイン。 空港内をうろうろするが、我慢できなくて海鮮湯麺を食べる。 かろうじてエビは入っていたが、練り物(カニカマとかホタテカマ(?)とか)を入れるのはやめて欲しいなあ。馬鹿でかいブロッコリーを入れるのもやめて欲しいなあ。 スープはそれなり、麺もそれなりだったので何とか許せるレベルではあったが …..
満席だとかでビジネスクラスへのアップグレードはなし。 久しぶりにユナイテッドのエコノミーに乗ったぜ。
そこそこ寝たら目が冴えたので本を読む。 (何せサンフランシスコ名古屋間は約11時間) 村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」。 大昔に別の訳を買ったのだが、最初の方で挫折したんだよな、確か。 村上訳で読んでも冒頭は少々まどろっこしい気がする。 しかし、こういう展開で、こういう純粋で哀しい結末になるとは思わなかった。
読んでいて、具体的なイメージが頭に浮かびやすかったのは、村上氏があとがきに書いているような「村上氏がこれまで個人的に抱いてきたイメージを明確」にしているからかも知れない。
ビートルズ来日40周年
ビートルズがJALのハッピを着て真夜中の羽田空港に到着したのはちょうど40年前だった。
私がビートルズ来日公演の演奏を初めて聞いたのは中学生の時で、某ファンクラブが販売していたカセットテープを買ったのだった。(今から考えるとかなりやばい商売ですな)
当時、ビートルズを聞き始めたばかりの私にとって日本公演はそんなに面白いものではなかった。まず選曲。《抱きしめたい》とか《シー・ラヴズ・ ユー》とかといった超有名曲は演奏されなかった。超有名曲で演奏されたのは《イエスタディ》くらいだったのだが、もともと弦楽四重奏+ポールのギターで演 奏されている曲をビートルズの4人がやるのは無理がある。8ビートのドラムが入ったとたんに何だか安っぽい音楽になっていてがっかりした覚えがある。
その頃のビートルズは人前で演奏することに全く興味を失っていて、その2ヵ月後にはライブ活動を停止してしまう。だから演奏には全く身が入っていなかったのだ ….. ということを知るのはさらに数年後であった。
この日本公演で聞くべき部分があるとすれば、チューニングから間髪入れずにイントロのカッティングにつながるオープニングの《ロックンロール・ミュージック》だけかも知れない。
あと、この日本公演の映像作品(確か DVD にはなっていませんよね?)でもっとも有名な場面かも知れない、夜明けの首都高をパトカーに先導されながらホテルへ向かう映像にかぶせられる《ミスター・ムーンライト》もかっこいい。
レコジャケジャンキー
パロディ化されたレコード・ジャケットを集めたムック。内容も面白いが、マッハ55号のデザインによるカバーが凄い。
表紙がパッと見でビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のパロディであることは明白であるが、裏表紙もこのアルバムをパロっていて、しかもオリジナルの裏ジャケに載っている歌詞までパロっているのである。
例えば、タイトル曲が《サージェント・ジャンキーズ・ラヴリー・レコード・ジャケット・ブック》になっていたり、《ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド》が《ルージー・ゴーイング・トゥ・スクール・ウィズ・ドッグ》になっていたり(ちゃんと「LSD」になっている!)、《ア・デイ・イン・ザ・ライフ》が《ア・デイ・ホエン・ファブ・フォード・ゴーン》(ビートルズが解散した日)という替え歌になっている。
それだけでなく、内側もアルバム初回版を模しているし、おまけにポストカードもついてくる。当然「帯」もついている。
ちなみにマッハ55号というデザイン集団は「魁!!クロマティ高校」のDVDカバーデザインでものすごいことをやっている。ご覧あれ。
ジョン・レノンの命日に思う
ジョン・レノンが死んで25年である。
当時、私は中学生だった。 学校から帰ってきたら家にいた母が「ジョン・レノンが殺されたって。」と教えてくれた。 それまでビートルズの一員であったことは知っていたけど、ジョン・レノンがどういう人物であるかはほとんど知らなかった。 確か《イマジン》も聞いたことがなかったはずである。 ただ、当時発売されたばかりのアルバム「ダブル・ファンタジー」からのシングル・カットである《スターティング・オーバー》はよくラジオなどでかかっていたし、けっこう気に入ってもいた。
事故などではなく、ロック・ミュージシャンが「ロック・ミュージシャンであること」を理由に殺されてしまったということに対してショックを受けたことを覚えている。
よくよく考えてみると、何がきっかけでジョン・レノン(およびビートルズ)に夢中になったのかはよく覚えていないのであるが、ジョンの追悼番組などで、まるで紙コップに注ぎ込む終わりなき雨のようにあふれ出した情報に触れたのがきっかけだったのだろう。
友人(お兄さんやお姉さんがいる友人の家にはほぼ間違いなくビートルズのレコードがあった)からレコードを借りて聞き、本を読み、どんどんジョン・レノン(およびビートルズ)にはまっていったのである。
最近では平和主義者的な側面しか語られないが、他人を傷つけたり自分を傷つけたりしながらも正直に生きようとしたジョン・レノンが好きである。
そういえば真心ブラザーズの《拝啓、ジョン・レノン》という歌がジョンを馬鹿にしているという主張があったが、そういう主張をする人たちはジョンを神格化したいんだろうか?私もジョンは「ダサいおじさん」だと思うし、「バカな平和主義者」だと思うし、「現実見てない人」だと思うし、「夢想家」だと思う。だからジョンはジョンなのではないか。
….. あ、思い出した。中学時代に付き合ってたH.N.さん、誕生日おめでとう。
披露宴での演奏
うちの吹奏楽団の団員同士の結婚披露宴というかパーティーでの演奏。
- サンダーバード
- ムーン・リバー
- ホール・ニュー・ワールド
- ウィー・アー・オール・アローン
- オーメンズ・オブ・ラブ
今回も練習時間が少なかったわりには、ひとまず合格点という感じの演奏。
さすがにこれだけ立て続けに演奏機会があると、要領がよくなるというか、演奏におけるツボがわかってきて、少ない練習なりの演奏表現ができるように なってきているように思える。これでシーズンオフ(とはいっても来年になるとすぐに次回の定期演奏会の準備が始まるのでごく短いシーズンオフではあるが) になると、もとに戻ってしまわないかちょっと心配なのではあるが。
夜は通常練習。 演奏機会はまだまだ続く。次の本番は11月19日の「積志公民館まつり」である。
氷川きよしの《きよしのズンドコ節》を合奏で取り上げた。 吹き方が上品過ぎるので「もっと汚い音を出してください」という指示を出したら、わりとイメージに近い音が出てきた。一皮剥けつつあるのかな?
吹奏楽やクラシックの演奏の仕方と、ジャズやロックや歌謡曲での演奏の仕方は基本的にはまったく別物であると考えた方がいい。(あ、別に二元論に限定 して語ろうとしているわけではないので …..)時には一方でタブーとされている演奏法が他方では定石となっている場合もあるのだ。
例えば、吹奏楽やクラシックでは音の最後に響きを残すことが当たり前と思われているところがあるが、ポップスなどでこれをやるとかっこ悪い場合もある。ゲートエコーみたいにむりやり残響を叩き切るような吹き方が必要な場合もあるのだ。
あとは、これを全体で統一する必要がある。あるパート(演奏者)が適切な演奏法を取っていても別の奏者が別の奏法を取っていると全く意味がなくなってくるのである。
というわけで、うちのバンドがポップスが苦手だと言われているのは、こういうドグマのせいかも知れないなあ …..
練習からの帰り。カーラジオで「ようこそ夢街名曲堂へ!」を聞く。 以前、ティファナ・ブラスを特集していたときにも偶然聞いていたのであるが、なかなか渋いところを突いた視点がよい番組である。
今日のテーマは「ビートルズ・カヴァー特集」。聞いていたところでちょうどかかったのがニルソンの《You Can’t Do That》。これ、凄いわ。曲の枠組は確かに《You Can’t Do That》なのだが、そこに他のビートルズ・ナンバーが散りばめられている。これが1967年に発表されているというのは信じ難い。だって、引用されてい る《Strawberry Fields Forever》はその年に発表されているんだもの。
フォー・キング・カズンズの《Good Day Sunshine》もオリジナルよりコーラスワークが面白い。
ビートルズのアメリカ盤
いろいろなところで取り上げられているが、紙ジャケットの意匠といい、レーベル面の印刷といい、いかにもアメリカらしい大雑把な作りである(笑)。
「曲」に関しては、すでに発売済のイギリス盤CDを聞けば全てフォローできるので、「意表をついた曲の配置」や「ミックス違い」、それにもちろんリマスタリングなどがこのボックスの存在価値になるだろう。
前にも書いたが、私は「赤盤・青盤」→「イギリス版オリジナルアルバム」という形でビートルズを聴いてきたので、初期のビートルズのアルバムは《アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア》とか《イット・ウォント・ビー・ロング》とか《ア・ハード・デイズ・ナイト》とかで始まらないと違和感があるのである。
カーステレオで聴き始めたのであるが、ほとんど予測がつかない節操のない曲順(米キャピタルが何らかのコンセプトを持って選曲しているわけがない)はシャッフルプレイのような感じで、それはそれで悪くない。
また、ステレオミックスとモノミックスが同時収録されているのもうれしい。(アメリカ盤のように11曲くらいしか入っていなかったら収録時間は30分くらい。)アメリカ盤では悪名高き擬似ステレオミックスが多数存在するので、モノミックスで聞いている方が落ち着く。リマスタリングもナチュラルな感じでいいのではないか。
その日に買ったもの(CD・DVD)
探していた本。別の書店でやっと見つけた。近々 CAPITOL BOX がリリースされるのに合わせた発売だろう。いろいろなところで触れられていると思うが、ビートルズのアメリカ編集盤が公式にリリースされるのはやっぱり大事件なのである。
今でこそビートルズのアルバムはイギリス発売盤に統一されているが、その昔は(特に日本では)各国盤が入り乱れての混乱状態であった。おそらくイギ リスではイギリス盤のみが、アメリカではアメリカ盤のみが、オランダではオランダ盤のみが、(以下続く)売られていると思うのだが、日本では日本盤はもち ろん、イギリス盤もアメリカ盤もオランダ盤も「国内盤」として売られていたのである。
私は赤盤・青盤からビートルズに入った非リアルタイム世代なので、その次にどのようなアルバムを買うべきか非常に迷った。赤盤・青盤にはご丁寧にカ ラーで各アルバムのカタログが載っていたのである。いろいろな資料を検討した結果、イギリス盤を揃えようと決めたのは賢明な選択だったのだろう。確か「ア ビー・ロード」を買って、その次に「リボルバー」を買ったように記憶している。
あまり食指が動かなかったのであるが、そろそろなくなりつつあるのでキープ。
ジョン・レノン写楽
夏休みのど真ん中に東京出張。
最近出張は新宿近辺が多いので、用件前後に新宿のタワーレコードやディスクユニオンを回るのだが今回はCDの収穫なし。東京出張でCDを買わなかったのは初めてではないか(笑)。
その代わりといってはなんだが、今はなき写真雑誌「写楽」の1981年1月号を見つけたのでゲット。こんなに安くていいんだろうかというくらいの価格で購入することができた。
この号では篠山紀信が撮影したジョン&ヨーコの特集が組まれているのだが、1981年1月号ということは1980年12月つまりジョンが射殺された月に発行されているのである。雑誌ではジョンが音楽活動を再開したことは語られているのだが、もちろん射殺されたことには触れられていない。当時小学館に問い合わせてバックナンバーを入手しようとしたが、版元品切れで入手できなかったという懐かしい記憶がある。付録のポスターがついていることが重要。