ジョン・レノンの命日に思う

ジョン・レノンが死んで25年である。

当時、私は中学生だった。 学校から帰ってきたら家にいた母が「ジョン・レノンが殺されたって。」と教えてくれた。 それまでビートルズの一員であったことは知っていたけど、ジョン・レノンがどういう人物であるかはほとんど知らなかった。 確か《イマジン》も聞いたことがなかったはずである。 ただ、当時発売されたばかりのアルバム「ダブル・ファンタジー」からのシングル・カットである《スターティング・オーバー》はよくラジオなどでかかっていたし、けっこう気に入ってもいた。

事故などではなく、ロック・ミュージシャンが「ロック・ミュージシャンであること」を理由に殺されてしまったということに対してショックを受けたことを覚えている。

よくよく考えてみると、何がきっかけでジョン・レノン(およびビートルズ)に夢中になったのかはよく覚えていないのであるが、ジョンの追悼番組などで、まるで紙コップに注ぎ込む終わりなき雨のようにあふれ出した情報に触れたのがきっかけだったのだろう。

友人(お兄さんやお姉さんがいる友人の家にはほぼ間違いなくビートルズのレコードがあった)からレコードを借りて聞き、本を読み、どんどんジョン・レノン(およびビートルズ)にはまっていったのである。

最近では平和主義者的な側面しか語られないが、他人を傷つけたり自分を傷つけたりしながらも正直に生きようとしたジョン・レノンが好きである。

そういえば真心ブラザーズの《拝啓、ジョン・レノン》という歌がジョンを馬鹿にしているという主張があったが、そういう主張をする人たちはジョンを神格化したいんだろうか?私もジョンは「ダサいおじさん」だと思うし、「バカな平和主義者」だと思うし、「現実見てない人」だと思うし、「夢想家」だと思う。だからジョンはジョンなのではないか。

….. あ、思い出した。中学時代に付き合ってたH.N.さん、誕生日おめでとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください