ついにハンブルク歌劇場の《ニーベルンクの指環》一挙上演も最終日、《神々の黄昏》を見に行ってきた。
上演時間こそ《ヴァルキューレ》よりも《ジークフリート》も長くて約4時間30分なのであるが、これらに比べてストーリーの展開が早い(というか《ヴァルキューレ》も《ジークフリート》もスタティック過ぎ)ので、見やすい。
(ええと、ネタばらししてもいいのかな …)
ちなみにハイライトは以下から見ることができる。
http://www.hamburgische-staatsoper.de/de/2_spielplan/videos.php#eng
少々イレギュラーなエンディングではあるが、まあそういう考え方もあるかな、という感じ。
まず説明しておくと、舞台は大きな2階建ての建物がドリフの回り舞台の上に載っているような形になっている。これが回転することによってジークフリートとブリュンヒルデの住居(個人的にはこじんまりとしたマンションの一室のように見える)や、ギービヒ家の屋敷や、神々が座して終末を待つヴァルハラの様子が見られるようになっている。
第1幕の第2場から第3場への転換、すなわちハーゲンの策略にはまってしまったジークフリートがブリュンヒルデを連れ去るために住居に戻るシーンでは、舞台の転換中に暗闇の中にたたずむ神々(まさに「神々の黄昏」)も見える。これは原作にない部分なのでかなりショッキングだった。
最終場面のいわゆる「ブリュンヒルデの自己犠牲」のシーン。原作では殺されたジークフリートを弔うために河畔(ギービヒ家はライン河畔にある)に薪を積み上げさせ、ブリュンヒルデ自身が愛馬グラーネとともに炎の中に飛び込み、ギービヒ家が焼け落ちる(ここで神々の居城ヴァルハラも焼け落ちる)とともにライン河が氾濫して、最終的に指環はライン河に戻る … というストーリーになっている。
ギービヒ家が焼け落ちるところまでは同じだが(ちなみに《ヴァルキューレ》も《ジークフリート》も火が使われる場面では本当に舞台上で火が燃やされていた)、ブリュンヒルデは炎の中に飛び込まない。自分の手でラインの乙女たちに指環を返し、全てが無に返るのを待っている。そして最後に現れるのはジークフリートとブリュンヒルデが住んでいたところ(この演出ではマンションの一室のようなところ)であり、そこには死んだジークフリートがいる。ブリュンヒルデがジークフリートに触れようとしたところで倒れこみ、幕。
全然脈絡はないのだが、村上春樹さんの小説「ねじまき鳥クロニクル」で妻が失踪した主人公のところにかかってくる謎の電話のシーンとか、TBSテレビのドラマ「高校教師」のエンディングとかを思い出した。澄み切った喪失感とでも言うのだろうか。
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17時間にも及ぶ4部作を2週間で(まあ集中的に、と言っていいだろう)見ることができた。これだけの機会はこの先そうないだろう。(隠居の身になったらバイロイトでも行ってみたいと思っているのだが、それでも4部作を一気に見ることは不可能だろうし。)
「大満足」というわけではないが、歌手についても、オケについても、演出についても、そこそこの及第点というところで満足している。私の理解の深さもまだまだ足りないのだろうから。
この《神々の黄昏》の第2幕と第3幕の間の休憩すなわち4部作最後の休憩の時、ワーグナーのオペラ自体の大団円はもちろんのこと、4日に渡って付き合ってきたこのプロジェクトの最後を見届けることになるのだという感慨で、かなり感極まってしまった。そして、感極まりながら、ロビーで売られているプレッツェルと白ワインにありついていたのであった。(開演が午後4時、終演が午後9時30分過ぎなので、夕食のタイミングが取りづらい。)
ひとまず、20年来こつこつと斧を入れてきた巨木が倒れたという感じ。次に見るべきワーグナーのオペラは何なんだろう?