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「アフター・ダーク」読了

村上春樹さんの 「アフター・ダーク」 読了。

アフターダーク

描写されている世界観は「ねじまき鳥クロニクル」や「少年カフカ」あたりから顕著になっている「向こう側」と「こちら側」の話。とはいえ、この作品 はまた意図的に作風を変えた作品。完全に三人称で物語が語られている。その「向こう側」と「こちら側」の世界観が上記2作ではかなり具体的なイメージを 持って構築されていたのに対して、この作品では少し純化あるいは抽象化された形で提示されている。この作品を読んで、そういう世界観は実はすでに初期三部 作の完結編である「羊をめぐる冒険」あたりから語られているものであることに気がついた。そういう意味では、あるところまで進んでいった村上作品が、また 向きを変えて少し以前の作品に近づいた(もちろん、それは退行ではない)と思える。

作品としては含みを持たせたエンディング。解決されていないエピソードもあるが、それはあえて放り出しているのだろう。長さ的にも長編というには少しコンパクトであるし、この先にまた大きな作品が控えていそうで楽しみである。

村上春樹さんのお気に入りであるジャズがかかるバー(もちろんCDではなくLPをかけることが重要)や猫の集まる公園が登場するところも、少し今までの小説とは毛色が違うのかな。

ビフォア・アフター・ダーク

新作 「アフター・ダーク」 の発売が間近ということで、にわかに村上春樹さんの周辺が慌しくなっている。氏はなかなかインタビューを受けないことで有名なのであるが、 「PAPER SKY」 という雑誌の最新号(Vol.10)にインタビューが載っているということを聞いたので購入してみることにした。そういえば、ずっと前に買った 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 はまだ読んでいないんだっけ …

村上作品との出会いは高校2年のときだったと思う。何もすることがない夏休みを過ごしていたら、友人が薦めてくれた。その頃は、まだ「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」くらいしか文庫化されていなかったので、とりあえずその2冊を読んでみた。

当時の印象はそれほどいいものではなかった。どうも、主人公である「僕」の物の見方にホールデン・コールフィールドに近いものを感じて(今になって読み返してみるとまったくそんなことはないのであるが)、何かサリンジャーを意識しているようで素直に入り込めなかったような気がする。

で、大学に入ってこれまた暇を持て余していて、その頃に出版されたのが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。村上春樹メーリングリストでのやり取りを見ていると、この作品をベストに推す人が多い。私も同感である。村上作品の中ではこの作品がいちばん好きだ。ご存知の方も多いだろうが、この作品は「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という2つの物語が同時進行する。この「世界の終わり」の世界観が、オールドファンが共感する「村上春樹の世界」をもっとも端的に表しているのだと思う。この作品ではまり込んでしまい、その後は新作が出るたびに購入している。

だから「ノルウェイの森」も予約をして発売日に買った(のはちょっと自慢)。この作品も実は最初に読んだときは、それまでの村上作品とは違うリアリズムを指向した文体に違和感を覚えて、さほど感動しなかった覚えがある。今から考えると、この作品は近作である「ねじまき鳥クロニクル」や「少年カフカ」で確立された作風に向かって、確実にハンドルを切った作品なのだと思う。最近の確固たる作風に入ってからの作品では、確かに根底にしっかりとした思想が横たわっていることがわかるのであるが、以前の作品、例えば上記の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や短編集「回転木馬のデッドヒート」に見られるような不安定さに共感を覚える私にとっては、少し距離が開いてしまった作家である。まあ、相変わらず好きな作家であることには変わりないのであるが。

作家デビュー25周年を記念して「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」の文庫本がオリジナル装丁で再発売されるらしい。このへんの発想は昨今の紙ジャケブームに似ていなくもない。リマスタリングされているとかボーナストラックがついているとかということはないと思うが。

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ついでに購入した 「天使と悪魔」 も到着。「ダビンチ・コード」に先立つダン・ブラウンの日本デビュー作。

しかし、こんな日にアマゾンからの小荷物を受け取ると、はたからは「ハリー・ポッター」の新作を買ったように見られるのかも知れない(笑)。

オンド・マルトノ・レクチャーコンサート

前回のテルミンに引き続き、オンド・マルトノのレクチャーコンサートを聞きに浜松市楽器博物館へ。

講師兼演奏者は日本のみならず世界を代表するオンド・マルトノ奏者である原田節(ハラダタカシ)さんである。オンド・マルトノが使われている曲で 真っ先に思い出すのはメシアンの《トゥランガリラ交響曲》である。この作品ではピアノとともにソリスト的な役割が与えられている。原田さんとオンド・マル トノとの出会いもこの曲であったらしいし、原田さんはシャイー/コンセルトヘボウの録音でソリストを務めている(この録音は残念ながら未聴)。

オンド・マルトノという楽器に対する私の印象は、この作品での使われ方のようにポルタメントが多用された(リボンコントローラーによって音の間を滑 らかに移動できる)甘美な旋律を受け持つ単旋律(同時に一つの音しか出せない)の楽器というものだった。この既成概念を完全に払拭したのが、トリスタン・ ミュライユが作曲した2台のオンド・マルトノのため《マッハ2.5》という作品である。2台のオンド・マルトノで微妙に異なる音程(微分音)を演奏するこ とによって生じるうねりや、「メタリック」と呼ばれるスピーカー(詳細は省略しますがオンド・マルトノは最終的に出力するスピーカーを演奏者が選択するこ とができます。それによって残響の音色もコントロールすることができるわけです。「メタリック」と呼ばれるスピーカーは銅鑼の真後ろにスピーカーを設置し たもので、当然金属的な残響を生み出します。)から出力される音は、もはや「ノイズ」とか「音響系」とか呼ばれるジャンルに近い。クセナキスやシュトック ハウゼンの電子音楽に興味を持っている人ならきっと愉しめるのではないかと思う。

これはサイン目当てに会場で購入したCD「In The Garnet Garden」にも収録されていた。

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その帰り、タワーレコードでピーター&ゴードンの紙ジャケ「ピーター・アンド・ゴードン・プラス」を購入。

ピーター・アンド・ゴードン・プラス(紙ジャケット仕様)

ちなみにピーター(ピーター・アッシャー)というのは往時ポール・マッカートニーと付き合っていたジェーン・アッシャーのお兄さんらしい。かのビー トルズ・ナンバー《抱きしめたい》はジェーン・アッシャーの家の屋根裏部屋で書かれたというのがビートルズ・マニアの間では定説になっている。そんな人間関係もあってか、レノン=マッカートニー作品(実際にはポールだけが書いたんだろうけど)が何曲か収録されている。ビートルズ初期のコーラス・ワークに似 た、いかにも「イギリス」という感じのグループである。

ジャケットには二人が写っているのだが、どちらがピーターでどちらがゴードンか知らない(^_^;)。その程度の認識しかない私がこのCDを買った のは、《アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ》という曲を聞きたかったから。もはや曲の断片すら記憶になかったのであるが、中学生くらいの時に聞いていた深夜放送(時代を感じますね)で偶然かかったこの曲の持つ雰囲気がえらく気に入ってしまったということだけはずっと覚えていたのである。中学生の英語力ではピーセズを「peaces」だと思い込んでいて「私は平和になるんだ」みたいな意味だと勝手に思い込んでいた。

それから数年後、この曲が村上春樹の最高傑作(だと私は思っている)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中に登場することを知っ た。そして、決して「私は平和になるんだ」という意味ではなく「私はばらばらになる(I go to pieces)」という意味だと知った時には、その世界観の逆転に呆然としたものである(歌詞自体は全然深刻なものではないんですけどね)。この本の中で は多くの洋楽作品が登場するのであるが、《アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ》は極めて象徴的に重要な形で使われているのでお楽しみに。