会社にて

演奏会に来てくれた同僚から感想を聞く。吹奏楽経験者で、学生時代に《コーラル・ブルー》を演奏したことがあるらしい。さすが吹奏楽経験者、バンドが抱えている技術的な問題点を痛すぎるくらいズバリとついてきた。こういう指摘も参考になる。

たまの最期!! [DVD]

「たま」の解散ライブの模様を収録したDVD。

イカ天で放送された「らんちう」や「さよなら人類」で衝撃を受けて以来「たま」にはかなりはまった。私にしては珍しくファンクラブに入ったりした。おかげで最前列中央でライブを見たこともあった。メジャーデビュー前にナゴムレコードから出ていたEP「でんご」やLP「しおしお」も買った。

インディーズ時代からすでに確立された世界を持っていたので、メジャーになってからの「のびしろ」が少なかったのだろう。単なるエキセントリックな集団として流行の波にさらわれていってしまったのはそういう理由があるのだと思う。

定期演奏会前夜

ということで、定期演奏会前最後の練習が終わった。

例年以上にやり残してしまったことが多いような気がするが、それはそれでやるしかない。

とはいえ、「うまくいきそうだ」という感触はあるのでいい演奏ができると信じている。
実はこういう「感触」を共有することが演奏会を成功させる大きな要素だと思うのである。

乞うご期待。

馬鹿買い

緊張感の反動か?気付いたら馬鹿買い。

ジム・ジャームッシュ(私のもっとも好きな映画監督)の新作をウェブで探していた時に発見。他にもアキ・カウリスマキ、ビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース、スパイク・リー、ベルナルド・ベルトルッチ、フォルカー・シュレンドルフ、ジャン = リュック・ゴダールなど、名前を聞くだけでわくわくする映画監督たち15名がそれぞれ手がけた10分間の短編映画のコンピレーション。

冨田勲の一連のシンセサイザー・アルバム。待望のリマスタリングCD。紙ジャケよりもリマスタリングされたことの方が意味が大きい。

上記のラインナップは年代順。「ダフニスとクロエ」までくるとかなり洗練されてくるのであるが、それは「斬新さ」が消えつつあることを意味する。

「月の光」に収録されているドビュッシーの諸作品や、「展覧会の絵」などは、シンセサイザーでなければ表現し得ない音色の魅力にあふれていた。まあ、これらは原曲がピアノ曲であるから、かなりイマジネーションを広げることができたのだろう。しかし、「ダフニスとクロエ」の場合、相手はオーケストレーションの魔術師と言われるラヴェルである。制作者である冨田勲さんにしろ、聴衆である我々にしろ、すでに完成された作品の呪縛から逃れることは難しい。

「惑星」や今月発売される「宇宙幻想」「バミューダ・トライアングル」など宇宙へ思いをはせるコンセプト・アルバムが続いたのは、時代だったのかシンセサイザーという楽器がそういう思いへ向かわせたのか?

ほとんど「ジャケ買い」のUAのマキシシングル。DVDもついている。ジャケットだけでなくプラケースに特殊印刷を施した意匠も素晴らしい。ジャケット写真やDVDに収録されているビデオ・クリップはわが浜松の中田島砂丘で撮影されたらしい。

NAXOSの日本人作曲家選輯の一枚。最近リリースペースが早くなってきてうれしい。ショスタコーヴィチと伊福部昭(と時々プロコフィエフ)を彷彿とさせる作風はかなり聞きやすいのではないか。

期末処分で安く売っていたので買ってみました。

《落葉》の司会原稿

所属する吹奏楽団の定期演奏会前の最後の一仕事。 司会の方にお願いする曲目紹介の原稿作成である。 プログラムの内容をそのまま読んでいただくのもつまらないので、プログラムには書かれていなくてお客さんの興味を引くようなネタを探す。

要するに、これは曲目紹介を2回考えるようなものである。 まあ、司会原稿の方がはるかに短いし、文脈とか文章校正がちゃんとしていなくても司会の方が適切に補正してくれるので多少は楽なのであるが、それでも想像以上のエネルギーを使った。 英気を養うために早く寝ようと思っていたのに …..

以前、プログラムのネタ探しにウェブをさまよっていた時に「ウォレン・ベンソンの《落葉》にケネディ暗殺が影響を与えていることは明白である」というような評論を見つけた。 特に根拠がなさそうなことをもっともらしく説明するのも憚られると思いながら、今さらながらにフルスコアの冒頭にあるベンソンの文章を読み直してみたらその根拠を見つけることが出来た。 なぜ、今まで気がつかなかったんだろう …..

《落葉》の冒頭はもともと全く違う構想をもって作曲されたもので、その先がうまく展開しなかったのでしばらく放置されていたらしい。これに当時の教 え子だったルース・コマノフ(後にフランク・ザッパのバックでマレット・パーカッションを担当する)から贈られたリルケの詩のイメージを重ね合わせ、後半 に讃美歌を挿入することで詩そのものを音楽的に表現することができたという経緯になっている。

こういった成り立ちがありながら、ベンソンは実際に《落葉》の作曲を開始した日としてはっきり「1963年11月22日」(つまりケネディが暗殺された日)と記していたのであった。

ビフォア・アフター・ダーク

新作 「アフター・ダーク」 の発売が間近ということで、にわかに村上春樹さんの周辺が慌しくなっている。氏はなかなかインタビューを受けないことで有名なのであるが、 「PAPER SKY」 という雑誌の最新号(Vol.10)にインタビューが載っているということを聞いたので購入してみることにした。そういえば、ずっと前に買った 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 はまだ読んでいないんだっけ …

村上作品との出会いは高校2年のときだったと思う。何もすることがない夏休みを過ごしていたら、友人が薦めてくれた。その頃は、まだ「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」くらいしか文庫化されていなかったので、とりあえずその2冊を読んでみた。

当時の印象はそれほどいいものではなかった。どうも、主人公である「僕」の物の見方にホールデン・コールフィールドに近いものを感じて(今になって読み返してみるとまったくそんなことはないのであるが)、何かサリンジャーを意識しているようで素直に入り込めなかったような気がする。

で、大学に入ってこれまた暇を持て余していて、その頃に出版されたのが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。村上春樹メーリングリストでのやり取りを見ていると、この作品をベストに推す人が多い。私も同感である。村上作品の中ではこの作品がいちばん好きだ。ご存知の方も多いだろうが、この作品は「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という2つの物語が同時進行する。この「世界の終わり」の世界観が、オールドファンが共感する「村上春樹の世界」をもっとも端的に表しているのだと思う。この作品ではまり込んでしまい、その後は新作が出るたびに購入している。

だから「ノルウェイの森」も予約をして発売日に買った(のはちょっと自慢)。この作品も実は最初に読んだときは、それまでの村上作品とは違うリアリズムを指向した文体に違和感を覚えて、さほど感動しなかった覚えがある。今から考えると、この作品は近作である「ねじまき鳥クロニクル」や「少年カフカ」で確立された作風に向かって、確実にハンドルを切った作品なのだと思う。最近の確固たる作風に入ってからの作品では、確かに根底にしっかりとした思想が横たわっていることがわかるのであるが、以前の作品、例えば上記の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や短編集「回転木馬のデッドヒート」に見られるような不安定さに共感を覚える私にとっては、少し距離が開いてしまった作家である。まあ、相変わらず好きな作家であることには変わりないのであるが。

作家デビュー25周年を記念して「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」の文庫本がオリジナル装丁で再発売されるらしい。このへんの発想は昨今の紙ジャケブームに似ていなくもない。リマスタリングされているとかボーナストラックがついているとかということはないと思うが。

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ついでに購入した 「天使と悪魔」 も到着。「ダビンチ・コード」に先立つダン・ブラウンの日本デビュー作。

しかし、こんな日にアマゾンからの小荷物を受け取ると、はたからは「ハリー・ポッター」の新作を買ったように見られるのかも知れない(笑)。

トーキング・ヘッズ(今日の積志ウィンドアンサンブル)

The Name of This Band Is Talking Heads

今まで未CD化だったトーキング・ヘッズのライヴ・アルバムが大幅にボーナス・トラックを加えて初CD化。アルバムとしてまとまって形でトーキング・ヘッズを聞いたのはこれが最初だったように思う。これ以降のトーキング・ヘッズはすっかりポップになってしまったのであまり聞かなくなった。そういう意味で好きな時期のベスト盤的なアルバムである。

ほとんどの曲はオリジナル・アルバムでのバージョンに比べてかなりリラックスした雰囲気があるが、ライヴではとうてい再現不可能と思われた《ヒート・ゴーズ・オン(ボーン・アンダー・パンチズ)》はオリジナル・バージョンとは違うスピード感がある。

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所属する吹奏楽団の本番がいよいよ一週間後に迫った。日曜日の午後を利用して最後の通し練習。いつも使っているホールが予約できなかったため、かなり狭い部屋での練習となってしまった。

暑いし狭いし空気悪いし、この環境ではピッチがかなり乱れてしまうのも仕方ないか。とはいえ、こういう十分とは言えない環境の中でも集中力は保たれていたと思うし、全般的な手応えとしてはかなりいい感じ。

その後、メンバーの何人かと沖縄料理を食べに行く。例によって団の未来について熱っぽい議論が交わされるのであるが、例によって酔っ払っているので覚えていない部分も多い(笑)。

ミスター・シンデレラ(ビョークとケヴィン・エアーズ)

伊藤康英さんのオペラ《ミスター・シンデレラ》の東京初演を見に新国立劇場へ。鹿児島での初演と翌日の再演を見ているので、このオペラを生で見るのは3回目ということになる。

ホールのせいかソリストのせいかわからないが全体的に歌がはっきり聞こえる。鹿児島で見た時は歌がオーケストラに負けてしまって歌詞がよく聞き取れなかったのであるが、今回は歌詞がはっきり聞こえるということで、かなり内容に没頭することができた。

ついでにタワーレコード新宿店で買ったもの。

メダラ

アテネオリンピックの開会式でも歌っていたビョークの最新アルバム。(この時に歌われた《オーシャニア》も収録されている。)帰ってから地元のCDショップで買えば割引価格で買えるのであるが、試聴したところ一刻も早く聞いてみたかったのでその場で買ってしまった。

リリース前から話題になっていたように、バックトラックも含めて基本的に人間の声(もちろん加工はされているが)だけで構成されている。日本からもDOKAKAが参加しているし、ロバート・ワイアットなども参加しているようだ。

個人的にはここ数年でいちばんのインパクトを受けたアルバムである。 amazon.co.jp のレビューを見ると、ビョークを知らない人は聞かない方がいいとある。私が初めてビョークのフルアルバムを聞いたのは前作「ヴェスパタイン」だったのだが、緻密な構成に多少の息苦しさも感じた。「メダラ」はそれに比べるといい意味でラフに作られているように思える。特に3曲目の《Where Is The Line》がお気に入りなのだが、この突き抜けたサウンド・プロダクションはほとんど狂気ともいえる。

ビョークが私より年上(1965年生まれ)だったのはかなりびっくり。

Didn’t Feel Lonely Till I Thought of You: The Island Albums

ケヴィン・エアーズ(元ソフト・マシーン)とジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)とブライアン・イーノ(元ロキシー・ミュージック)とニコ(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)が共演したライヴがあるということで探していたのであるが、今回見つかったのはこの2枚組。

ケヴィン・エアーズがアイランド・レコードに所属していた頃のソロ・アルバム「夢博士の告白」「スウィート・ディシーヴァ−」と、上記のライヴ・アルバム「1974年6月1日」をカップリングした 3 in 2(とでも言うのだろうか?)である。

以前の日記に書いた、ニコによる《ジ・エンド》のカバーもこのライヴでの演奏のようだ。イーノによるシンセサイザーの伴奏のみによるかなり不気味な演奏。

ボブ・ディランの紙ジャケ

いよいよ、ボブ・ディランの紙ジャケリリースが始まった。 ボブ・ディランのCDを初めて買ったのはおよそ3年前、その時買ったのはベスト盤であった。なぜ、このCDを買ったかというと、ちょうどその頃仕事の関係で「CD-TEXT 仕様」(対応しているCDプレーヤーで再生すると曲名が表示されるというモノ)に準拠したCDが必要で、近くのCDショップから送ってもらったリストの中で食指が動いたCDがほとんどこれだけだったからである。J-POP とか演歌のタイトルが多かった気がする。 まあ、《風に吹かれて》とか《ライク・ア・ローリング・ストーン》だとかの代表曲は耳にしたことがあったのだが、妙に気に入っているが《ミスター・タンブリン・マン》である。

「ヘイ、ミスター・タンブリン・マン、歌ってくれよ。眠くないし行くところもないんだ。」

この冒頭1行のドロップアウト感(ホールデン・コールフィールドあたりが心の中で言っていそうな台詞である)がたまらなく気に入っている。

ツイン・ピークス

ツイン・ピークス ファーストシーズン [DVD]

オークションで新品の半額以下で落札。

WOWOW で放送された当時はけっこうはまっていた。どのくらいはまっていたかというと、ロケ地(シアトル近郊のスノカルミーという町)まで行ってオープニング画面(こんな感じでCDジャケットにもなっている)が撮影された場所で記念撮影したり、グレート・ノーザン・ホテルとして使われているセイリッシュ・ロッジというホテルでランチを食べたりしたことがある。

日本では「わけのわからない推理ドラマ」としてとらえられることが多かったように思うが、誰がローラ・パーマーを殺したかということは全然重要ではなくて、むしろ田舎町ならではのドロドロした人間関係(登場人物の多さもさることながら表と裏の相関図を作ってみるとなかなか面白いかも)や超自然的なものへの信仰(というと宗教っぽくなってしまうので「固執」という言葉の方がふさわしいかも知れない)がデヴィッド・リンチの作風とぴったり合っていて、それが醸し出す独特の雰囲気が魅力的だったのだと思う。

セカンド・シーズンの DVD BOX はまだ出ていない。

(後日付記)

ツイン・ピークスのコンプリートDVD出ちゃいましたね。やはり買ってしまいました