楽譜が届いた

何か最近とっても忙しいぞ …..

とりあえず、選曲検討用と興味のために購入した楽譜が到着した。

マイケル・ドアティ/ビザロ

吹奏楽というよりは管楽アンサンブルといった方がよいような編成。 木管は3管(ただしクラリネットは Eb + Bb + Bb Bass が一本ずつ)+アルトサックス、金管は 4-4-3-1 + ユーフォニアム。それに打楽器、ピアノ、エレキベースという編成である。

実はあまり音源がなく、私が持っているのは《メトロポリス・シンフォニー》(終楽章は単独で吹奏楽編曲されている《レッド・ケープ・タンゴ》という作品)とカップリングになっている ARGO 盤だけである。

Daugherty: Metropolis Symphony/Bizarro

シンプルなリフがいろいろな楽器で繰り返されるという構成。 ジャズよりもロックに近い雰囲気である。 こういう作品こそ、大江戸ウィンドオーケストラあたりが演奏したら面白そうだ。

エリック・ウィテカー/スリープ

ヘリオトロープ・ウィンド・シンフォニーのCD に収録されている。最初に合唱曲として作られ、後に吹奏楽編成に改作されたらしい。吹奏楽版のフルスコアの真ん中には合唱譜も書かれているので、吹奏楽 + 合唱という形態での演奏も可能なのかも知れない。やはりいい曲であった。

最終部分での二度下降進行の音形には予想通り「Sle-ep」という言葉があてはめられていた。上記 CD の中山鉄也さんの解説によると作曲者のウィテカーは「スリープ = 永眠」という意味合いを持たせているという。この音形はマーラーの《大地の歌》(ここでは「E-wig(永遠に)」という歌詞がつけられている)や《交響曲第9番》でも死を暗示する音形として使われている。やはりウィテカーは意識しているのであろう。

エリック・ウィテカー/クラウドバースト

創価グロリア吹奏楽団のCD に収録されている。聴衆をも演奏者にしてしまうという面白いアイデアの作品である。聴衆がランダムに行う「指パッチン」が雨音を模倣しているのである。作品としては上記の《スリープ》よりちょっと大味か。

パーシー・グレインジャー/マルボロ侯爵のファンファーレ

《リンカンシャーの花束》の第1曲の途中で割り込んでくるファンファーレが、この《マルボロ侯爵のファンファーレ》である。イーストマン・ウィンド・アンサンブルの前指揮者であるドナルド・ハンスバーガー校訂によるエディション。

ホルンのオフ・ステージのソロに始まり、金管主体でどんどん繰り返されるような構成になっている。なかなか面白い小品なのだが演奏者によってはプレッシャーがきついかも。

クルト・ヴァイル/小さな三文音楽

オペラ《三文オペラ》から作曲者自身が再構成した管楽アンサンブルのための組曲。 この組曲を編むことを進言したのがオットー・クレンペラーというのが面白い。 個人的には厳格で気難しいそうな印象のあるクレンペラーがこの作品を振っている情景を想像すると何となくおかしい。クレンペラーによる音源もあるらしいのだが、残念ながらまだ聞いたことがない。

皇帝円舞曲(巨匠クレンペラーの世界)

編成は以下のようになっている。

2 fl (picc.), 2 cl, alto sax, ten. sax (sop. sax), 2 bn;
2 tpt, tbn, tuba; timp, perc, banjo, guitar (or harp), accordion, piano.

管楽アンサンブルの重要レパートリーということでとりあえず手元に置いておきたかったので購入した。

思いがけず、12月26日の東京佼成ウィンドオーケストラ定期演奏会のチケットが手に入った。岩城宏之さんがこの作品を振るというので楽しみである。

しかし楽譜の印刷が汚いなあ。インクがにじんで楽譜上の音符を判別できないところが何箇所かある。

マエストロ追悼

フレデリック・フェネルが亡くなったらしい。享年90歳。→ http://www.dws.org/ffennell.htm

そんなに先のことではないだろうと思っていたが、やはりその日が来てしまうとショックである。

詳細はあとで。ひとまずご冥福をお祈りしたい。

(12月10日追加)

フェネルの娘さんのメッセージが人づてに転送されてきました。ひとまずここに転載しておきます。とりあえず簡単な訳をつけておきますが、いかにもフェネルらしい最期だったように思い、ちょっとうれしくなりました。(誤訳があったのでちょっと直しました。)

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(原文)

I’ve managed to reach some of you by phone, others not, and I did not want to leave this as a voice message.

I want you, and the greater music community to know that my father died peacefully in his sleep early this morning, Tuesday, December 7, 2004.  Elizabeth and I were by his side.  I had promised him that I would do all I could to get him back to Siesta Key so he could watch the sun set over the ocean.  With the help of Hospice, he arrived home in time to see the brilliant orange and pinks in the western skies last evening.  A bit before Midnight, dad told me he was “frustrated and disappointed.”  When I asked him, “Why?” he
replied, “There’s no drummer here yet.  I can’t die without a drummer!”  I told him that I loved him, and that “Heaven’s best drummer was on the way.”  Moments later he said, “I hear him!  I hear him!  I’m OK now.” This was my final conversation with my dad.

I was blessed to be able to dress my father in his finest set of tails after he died, complete with the usual struggle with his tie.  Elizabeth asked if he could be “dressed up” and I could think of nothing finer for a lasting memory.  Dad asked to be cremated and that I scatter his ashes in the woods at Interlochen, Michigan this summer.  This, of course, I will do.

Elizabeth is OK at this point.  We are closely watching her, monitoring her blood sugar levels and seeing that she gets the diet and rest she needs after such a life transition.

There will be a small Memorial Service at a church in Siesta Key.  No date or time has been set yet.  As knowledge of my father’s death is communicated, please keep both Elizabeth and me in your prayers.

Fondly,
Cathy Fennell Martensen

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(訳)

皆さんに、私の父フレデリック・フェネルが2000年12月7日火曜日の朝、眠りの中で安らかに息を引き取ったことをお知らせします。エリザベス (訳注:フェネルの奥さん)と私は父のそばにいました。私は父に、父がシエスタ・キー(訳注:フェネルの自宅があるフロリダ州のビーチ。ちなみにこのCDのジャケット写真はシエスタ・キーのビーチらしい。)に戻って、海に沈む夕陽を見られるようにするためにどんなことでもすると約束しました。父は昨晩ホスピスの助けを借りて、西の空がオレンジやピンクに染まる時間に家に帰って来ました。真夜中ちょっと前、父は「がっかりした。」と言いました。「なぜ?」と私がたずねると、父は「まだ、鼓手が来ていない。鼓手がいなければ私は死ぬわけにはいかない。」私は父に「愛しているわ。」と言い、「天国でいちばんの鼓手がこちらに向かっているわ。」と言いました。しばらくしたあと、父はこう言いました。「聞こえる!聞こえる!これで大丈夫だ。」これが父との最後の会話になりました。

父の死後、私は父をもっとも上等な燕尾服で正装させました。いつものように苦労してネクタイを結んで。エリザベスは父を「ドレスアップ」することを望んでいました。私は思い出としてこれ以上素晴らしいことはないと思います。父は、火葬にして、灰をこの夏にミシガン州インターローケンの森に撒いてくれと言っていました。もちろん私はそうするつもりです。

エリザベスは今は大丈夫です。私たちは彼女の血糖値を見たり、彼女がダイエットしたりこのような人生の節目に必要な休息を取っていることを見守ったりしています。

シエスタ・キーの教会で小さな追悼集会を行う予定です。日時はまだ決まっていません。父の死を知らせる時には、私やエリザベスにも祈りを捧げて下さい。

Cathy Fennell Martensen
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西村朗作品集

最近は仕事しながら日本人作曲家のCDなどを聞いている。

西村朗:魂の内なる存在-西村朗協奏曲集[西村朗作品集 7]

ちょっと前に購入したのだけど日記に載せそびれたCD。 サクソフォン、二十絃箏、ピアノをそれぞれソリストにした協奏曲3曲が収録されている。サクソフォン協奏曲《魂の内なる存在》のソリストは須川展也さんである。

確か、このサクソフォン協奏曲は NHK 交響楽団での初演がテレビ放送されたので、それを録画してみたのだと思う。この時もソリストは須川さんだった。テレビで見た時は、かなり密度の高い音楽の 中でほとんど吹きっぱなしの須川さんを見て恐れ入ったのだが、今回はあまりそういう印象を持てなかった。なぜだろう?絵がなかったからなのか?オケがいま いちだからなのか?

ピアノ協奏曲《シャーマン》は西村作品にしては華々しい雰囲気を持った曲である。

しかし、西村作品はヘッドフォンで聞くより大音量で体感したほうがいいのかも。

ロックの学校

映画「ロックの学校」の DVD を借りてきて見る。

偶然、テレビで紹介されていたのを見て面白そうだと思った ….. のだが、劇場で見るまでもないと思って DVD 化を待っていた映画である。

天使にラブ・ソングを」 のロック版というか、先日放送された「笑ってコラえて」のアメリカ版とでも言おうか。(極悪「サウンド・オブ・ミュージック」という人もいた。いちばん的確かも。)臨時教師(ニセ)が小学生にロックを教えてコンテストに出てしまうというストーリーである。

設定自体は「絶対にあり得ない」と思うくらい突っ込みどころ満載なのだが(何もかもが中途半端な設定が逆にバランスが取れているのかも)、何も考えないで楽しめる映画だった。

一度でも「音楽をやっていて楽しかった」と思える瞬間があった人はきっと共感するところがあるのではないだろうか。最初はほとんど私利私欲のために小学生にロックを教え込んでいたジャック・ブラック扮するニセ教師であるが、結局は純粋な楽しみを知ってしまった小学生に逆に手玉に取られてしまうという図式が面白い。映画としても「音楽を通じてうんぬん」というお題目を訴えずに、ひたすら楽しげなバンド演奏を強調したのがよかったのではないか。よくありがちな内紛とか葛藤とか挫折とかがほとんどこの映画には見られないのである。

例によって音楽クラス(アメリカの場合はほとんど吹奏楽と言っていい)が「つまらないもの」のステレオタイプとして描かれているけどね。

池野成の映画音楽

池野成の映画音楽

先日、日本人作曲家に関するホームページを見ていたら、池野成の映画音楽 というページにたどり着いた。

正直言って、池野成さんの名前も池野さんが音楽をつけた映画についてもほとんど知らなかった。しかし、このページに書かれている CD の制作経緯を読んでいると、ほとんどこの CD を聞くことが日本人作曲者愛好家の使命のように思えてきて、購入を申し込んだのである。

これからゆっくり聞いてみよう。

伊福部/マイルス/ビリー・ジョエル

伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ

NAXOS の日本人作曲家シリーズで登場した伊福部昭の管弦楽作品集。《シンフォニア・タプカーラ》や《SF交響ファンタジー第1番》あたりをロシアのオケ(ロシア・フィルハーモニー管弦楽団)がどのくらい凶暴に演奏してくれるのかが楽しみであったのだが、ちょっと期待外れ。

日本人(というか日本の伊福部ファン)に暗黙のうちに刻み込まれている「伊福部サウンドはかくあるべし」といった了解事項がこの演奏にはないのである。もちろん楽譜に純粋に向かい合えばこういう音楽が出てくることは納得しているのだが、《タプカーラ》を聞いていてもあっさりしていてなかなか血がたぎって来ないのである。(かといって、先日購入した「伊福部昭の芸術(8)特別篇 卒寿を祝うバースデイ・コンサート 完全ライヴ」の《タプカーラ》の第3楽章のように最初からオケが沸騰しているのもリスナーがついていけなくてちょっと白けてしまうのだが …)

音楽に国民性や民族性(やっぱりウィンナ・ワルツはオーストリアのオケじゃなきゃ、とかバルトークはやっぱりハンガリーのオケだね、とかいったドグマ)を持ち込むのはあまり好きではないのだが、やはり「血」が違うのかな、と思ったしだい。

ということで、淡々と盛り上がっていく《SF交響ファンタジー第1番》の後半のマーチメドレーが違和感なく聞けた。これは適度に抑制が効いていていい演奏だと思う。

ジャケットに青木繁「海の幸」を使ったのは秀逸。

マイルス・エレクトリック 〜 パフォーマンス・アット・ザ・アイル・オブ・ワイト[DVD]

幻と言われている、1970年に開催された「ワイト島ミュージック・フェスティヴァル」に出演したマイルス・デイヴィス・バンドの完全演奏と、(それだけではDVD1枚分の時間が持たないので)周辺ミュージシャンのインタビューによって構成されたドキュメント。

マイルスがいわゆる「アコースティック」時代から「エレクトリック」時代へと方向を変えていった時期の演奏はなかなか映像がなかっただけにかなりうれしい。個人的にこの時期のアルバム(「イン・ア・サイレント・ウェイ」とか「ビッチェズ・ブリュー」とか)が結構好きなので。

とはいえ、前半のインタビューが長かったので力尽きて寝てしまった … まだライヴまでたどり着いていない …

ビリー・ジョエルの紙ジャケ第2弾。リアルタイムで聞いていたのは「イノセント・マン」とかろうじて「ビリー・ザ・ベスト」くらいまでかな。

ザ・シンプソンズなどなど(今日届いたCD)

The Simpsons: The Yellow Album

先日買った「すべてのレコジャケはバナナにあこがれる。」という本で紹介されていて即注文したCD。いわゆる「ジャケ買い」というやつである。まあ見てください。

シンプソン一家が見事にビートルズの「サージェント・ペパーズ」をパロっている。 (中ジャケや裏ジャケも一応そんな感じ) ジャケットに写っている人たちはみんな一人一人ちゃんと名前のある登場人物で、中ジャケに説明されているのも凄い。まあ、音はどうでもいいな。

Do They Know It’s Christmas?

先日「ライヴ・エイド★初回生産限定スペシャル・プライス★ [DVD]」を買ったのであるが、これのきっかけとなったチャリティ・レコード(そう、当時はレコードだった)「Do They Know It’s Christmas?」が20周年を機にリメイクされた。

2004年のニューバージョン、1984年のオリジナル・バージョン、それに1985年のライブ・エイドでのライブ・バージョンの3曲入り。

最近の洋楽には疎いので2004年バージョンで誰がどのパートを歌っているのかほとんどわからないが、U2のボーノが20年前と同じ部分を歌っているらしいことはわかった。1984年バージョンに比べると、バラードっぽく始まって、途中でラップを入れたりとかいろいろ曲調に変化をつけようとしているのがわかる。まあ、これはこれでいいのだろう。

不満が2つ。amazon.co.jp で見たジャケット写真はオリジナル通りのものだったのだが、送られて来たCDは別ジャケットだった。あのジャケットが欲しかったのに。それからオリジナル・バージョンってこんなに音悪かったっけ?2004年バージョンはそれなりの音をしているし、1985年のライブ・エイド・バージョンもかなりクリアになっているのに1984年バージョンだけがモコモコした感じである。

Euphonium Magic Vol.2/スティーブン・ミード

スティーブン・ミードによるユーフォニアム・アンサンブルのアルバム。つまり一人で複数のパートを多重録音している。目当ては伊藤康英さんの《ユーフォニアム・パフェ》(フルート四重奏曲《フルーツ・パフェ》のユーフォニアム版)とミードの直筆サイン。

「おお、偶然にも《ザ・シンプソンズ》という作品が入っとるわい。」と思ったら、「ザ・シンプソンズ」のオープニング・テーマをユーフォニアム・アンサンブルに編曲したものだった。まさにシンクロニシティ。

MADE IN JAPAN

de haske から出版されている日本人作曲家の吹奏楽作品を集めたCD。酒井格作品(《若草山のファンファーレ》《たなばた》《大みそか》《大仏と鹿》)がまとめて聞けるのがポイントか。個人的には旧作である《吹奏楽のための三つの断章》(桑原洋明)が聞けるのがうれしい。

シエナ・ウィンド・オーケストラ

今日 NHK BS-2 で放送されたシエナ・ウィンド・オーケストラのコンサートを見る。昨年8月の「富士山河口湖音楽祭 2004」での演奏である。

野外劇場で演奏される《ローマの松》はなかなか風情があってよい。特に第3楽章《ジャニコロの松》なんてぴったり。

打楽器奏者による《ロック・トラップ》も演奏者のパフォーマンスのおかげでかなり楽しいものになっている。

下手に「吹奏楽の普及うんぬん」とか大仰なことを考えずに、とにかく楽しいステージを作ろうとしている姿勢がよい。

その反面、指揮者の佐渡裕さんのインタビューの中では「コンサートに対する敷居は低い方がいいが、その敷居がなくなってはいけない」という発言があった。全く以って同感である。「楽しい」ということと「無頓着」ということを穿き違えてはいけないのである。

マイルスとコルトレーンの日々

マイルスとコルトレーンの日々 (植草甚一スクラップ・ブック)

かつてのサブカルチャーの担い手 ….. と言っていいのかな、植草甚一さんの著作が晶文社から一気に復刻される。

とりあえず、目に留まった一冊を買ってみた。

まだ「マイルスの日々」の途中なのだが、マイルスの激動の時代(アコースティックからエレクトリックへの移行期)をリアルタイムに聞いていた強み、またその中での批評眼の確かさが非常に興味深い。

吹奏楽作曲家についての本

Composers on Composing for Band

マーク・キャンプハウスによる吹奏楽作曲家についての本。音楽学者である谷口昭弘さんのホームページ「音と音楽を考えるページ」で紹介されていた。その内容が面白そうだったので注文してみた。

キャンプハウス本人も含む11人の吹奏楽作曲家に対して同じ質問をし、その結果をまとめた本である。その11人とは、

  • ジェームズ・バーンズ
  • ティモシー・ブロージェ
  • マーク・キャンプハウス
  • デヴィッド・ギリングハム
  • デヴィッド・ホルジンガー
  • カレル・フサ
  • ティモシー・マー
  • W.フランシス・マクベス
  • ロバート・シェルドン
  • ジャック・スタンプ
  • フランク・ティケリ

である。また、質問については、

  • 創作のプロセス
  • オーケストレーションへのアプローチ
  • バンド指導者が研究すべき10の作品(もちろん吹奏楽作品だけではない)
  • 作曲者と委嘱団体との関係について
  • 吹奏楽の未来について

など、かなり具体的に参考になると思われる質問が設定されている。