投稿者「musicabella」のアーカイブ

モントルーのマイルス

今日で日本人学校の1学期はおしまい。

終業後、息子のクラス(というか1学年1クラスなのだが …)の母子で集まって「打ち上げ」をやったそうな。夏休みに1世帯が帰国されるそうなので、2学期からは9人になる。4月の入学式の時点では15人の児童がいたのだが、ずいぶん減ってしまった。

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今日注文したもの。明日には amazon.de から届く予定。

ベスト・オブ・ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー1973-1991 [DVD]

タワーレコードからのメールマガジンを見た時に「それ、DVDじゃなくてCDちゃう?」と思ったのだが、確かにDVDで出るようだ。

以前にCDで「ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー1973-1991」、つまりマイルスが出演したモントルー・ジャズ・フェスティヴァルの全公演10回分の演奏を収録したボックスがリリースされた時にも、先にハイライトという形で1枚モノのCDがリリースされ、その後に20枚組のボックスが出た。

今回も喜び勇んでポチッとやったわけだが、やはり秋頃にコンプリートのDVDが出るらしい。

まあ、CDのボックスを買った時もそう思ったのであるが、一つの公演を聞き続けるのは時間と気持ちに余裕がある時でないとなかなかきつい。各公演からの演奏をピックアップした「ハイライト」の方が統一感がない分だけ変化があって楽しめる、という側面もある。

まあ、とりあえずコンプリートDVDも買ってしまうのだろうが、ひとまずはこのハイライトを見ることにしたい。実は80年代~90年代のマイルス(つまり復帰後から亡くなるまで)はあまり好きではなかったのだが、このCDボックスで少しは楽しめるようになってきたわけだし、映像の方も一時期はいわゆる「黄金のクインテット」や70年代のものばかりを集めていたので、この時期のものはあまり馴染みがない。

R.I.P. 中村とうようさん

「音楽評論家、自殺か」というニュースのヘッドラインを見た時に、まさか中村とうようさんだとは思わなかった。

いかにもサヨク的な物言いはさておき、いわゆる「ポピュラー音楽」に対してこの方が持っていたパースペクティブ、つまり世界各地に根ざしている「ポピュラー音楽」を俯瞰するモノの見方が好きだったので、ちょっとショックである。「ポピュラー音楽」というのは、マーケットによって評価されている商業音楽という意味ではなく、世界各地の大衆の中から生まれた(そして育った、あるいは育っている、あるいはもっと言ってしまうと育っていた)音楽である。そういう意味では「大衆音楽」といった方がいいのかも知れない。

浜松市の事業報告を見ると、2000年10月に「大衆音楽の真実」という市民講座が開かれている。私はこの講座を聞きに行った。ちなみに中村とうようさんには同じタイトルを持つ著作もある。その著作とは違う本なのであるが、ちょっと前に岩波新書の「ポピュラー音楽の世紀」という本を読んで、かなり目から鱗が落ちたので、ご本人の語り口を聞いてみたかったのである。

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

雑誌(ご本人が関わった「ミュージック・マガジン」や「レコード・コレクターズ」など)での歯に衣を着せぬレビューなどに反感を持つ方も多かったようである。(マイケル・ジャクソンの「スリラー」に10点満点の0点をつけたことがあるのは有名な話。)私は批評などというものは主観的であるべきだと思うし、その一方で批評は批評でしかないと思っているので、そんなもので一喜一憂はしないが。

まあ、それはともかく、とうようさん自身が「ポピュラー音楽」と地平に対して愛着があるのか、あるいは「市民講座」というハイソな雰囲気に気圧されたのか(笑)、そういった毒や牙のない熱い語り口が印象的だった。

レクチャーのあとに上記の本を差し出したら、「僕なんかがサインしちゃっていいの?」とおっしゃりながらサインをしていただいたことを覚えている。(今度実家に帰ったら探してみようかな … と思ったけど、簡単に見つかりそうにないなあ、新書は …)

リーガ・トータル杯

(最近サッカーネタばかりだなあ …)

そろそろ、どのチームも8月から始まる新しいシーズンへ向けての調整が始まっているようだ。

日曜日に、息子の友人のガブリエルから教えてもらって初めて知ったのであるが、火曜日と水曜日に「リーガ・トータル杯」というカップ戦が行われた。

これはドイツの大手携帯電話キャリアであるT-Mobileが主催しているカップ戦のようで、

  • 選考基準はわからないが、バイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムント、マインツ05、そしてハンブルガーSVの4チームが出場。
  • まず火曜日に1回戦として「バイエルン・ミュンヘン対ハンブルガーSV」「ボルシア・ドルトムント対マインツ05」の2試合が行われ、水曜日にそれぞれの敗者(3位決定戦?)と勝者(決勝戦?)が戦う。
  • 連戦なので、試合は通常より短くて30分ハーフ。

というかなり変則的なものである。

会場はマインツで、おそらくお客さんは当日行われる2試合を続けて見られるのだろう、4チームそれぞれのユニフォームを着たサポーターが観客席の中で混在している。なかなか見られない光景なのでちょっと面白い。そういえば、ブンデスリーガでは、いわゆる「オールスター戦」みたいなものは行われないなあ。

実は昨日(火曜日)に1回戦があることをすっかり忘れていたのであるが、ハンブルガーSVは韓国人の若手フォワードであるソン・フンミンの2ゴールで勝ったことを今日の新聞で知った(昼食を食べに行ったビストロに置いてあった新聞の表紙を飾っていた)。

ということで今日は少しテレビ観戦。3位決定戦という扱いの「バイエルン・ミュンヘン対マインツ05」の途中から(途中まで)見る。バイエルン・ミュンヘンはロッベン、リベリー、シュヴァインシュタイガー、ミュラー、ゴメスといった主力クラスはごっそりお休み。新しく加入した宇佐美は出場していたようだ。結局PKでバイエルン・ミュンヘンが勝ったらしい。

夕食をはさんで「ハンブルガーSV対ボルシア・ドルトムント」を見る。ボルシア・ドルトムントはバイエルン同様バリオス、ゲッツェ、グロスクロイツといった主力クラスはお休み。香川はリハビリのためか出場していた。HSVはペトリッチがおらず、GKが若手のミケルである以外はほとんどベストメンバーという布陣だったようだ。

まだ新規加入メンバーはよく知らないのだが、チェルシーから移籍してきたセンターバック、イングランド代表のマンシエンがよい。また、全体的に若返った分、攻撃が機敏になっている。似たようにガンガンあがるタイプの選手が多いので、攻撃のバリエーションが少ないという不安はあるが、このあたりはペトリッチが入ってくれば改善されるのかな。試合は0-2で負けてしまったが、予想以上に今季は楽しみである。

とはいいながら、今年はHSVだけに限らず、いろいろなスタジアムにいろいろなチームの試合を見に行きたいと思っているのだが …

マル・マル・モリ・モリ

まあ、日本から見ると「今さら」なのだろうが、息子が《マル・マル・モリ・モリ》にはまり始めた。

帰宅すると、息子が「ねえねえ、お父さん、アルプス一万尺やろう」と言う。息子と手を合わせてやってみるのだが、何か私が記憶しているものと違う。まあ、地域差というか多少のバージョン違いはあるのだろうと思って息子の説明を聞いていたのであるが、どうも、これは何らかの振り付けの一部らしいことがわかった。

最近は息子もインターネットでの検索の仕方を心得ているので、「お父さん、ゆーちゅーぶで《マル・マル・モリ・モリ》検索してみて。」と言う。それで動画が見つかったわけ。

息子は嬉々として動画に合わせて踊っているが、もう私くらいの年代になるとあれだけ複雑な振り付けは無理だ。(あ、年代ではなくて個人的資質の問題ですか、そうですか)

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そういえば、最近、息子は母親を「ママ」と呼び、父親を「お父さん」と呼ぶ。しかも、時々「お父さん」を「お母さん」と言い間違える。「お父さん」のアイデンティティが危ぶまれている今日この頃。

一夜明けて

パブリックビューイングから帰ってきて、夜中の12時頃に倒れ込むように寝た息子はさすがに寝起きが悪い。

早起きの妻はニュースを見ようとテレビをつけたが、日本が休日のためいつものニュースが放送されていなかったとブーブー。ま、どうせ、放映権の関係で静止画しか見られないのだけれど。先日、日本に帰国された友人から「きっと日本人学校で盛り上がったんでしょうね」というメールをもらったとか。

私はと言えば、まず出勤時に、ちょうど家の前に出ていたご近所さんから「Good Game!」と言われた。会社に来てからもいろいろな人からお祝いの言葉をもらった。(ちなみにスウェーデンに勝った翌日に両手でサムズアップしてくれた社長は夏季休暇中) 今日ぐらいいいだろうと思って、日の丸を椅子にかけながら仕事をした。上司のRalfが「我々は日本が勝ってうれしい。『ドイツはチャンピオンに負けたんだ』と思えるから。」と言っていたのは、多くのドイツ人の気持ちなのだろうか?

またRalfは「日本の10番(もちろん澤ですね)はとにかく運動量がすごかった」「日本の監督はどんな時でも冷静だった。負けている場面でも静かで、まるで、選手が必ず成し遂げてくれることを信頼しているようだった。」とも言っていた。

以下はTwitterで見つけた。この名言をここで引用するのは秀逸だなあ。

そのもの青き衣をまといて金色の野に降りたつべし

しかし、優勝しても帰りはエコノミーなのか … 私のマイレージならアップグレードのために喜んで差し出すので岩渕真奈さんはご連絡下さい。

ぐらぐら

今朝起きてきた息子が、いきなり「歯がぐらぐらする」と言い出した。確かに見てみると下の前歯(医学用語では右下Aと言うんですかね?)が斜めになって今にも抜けそうになっている。「自然に抜けるからそっとしておけばいいよ」とは言っているんだが、やはりむずがゆい様子でしきりに歯を触っている。

今日は親子でヘアカット。息子はいつも切ってもらっているお姉さんとの会話が好きなようで、いろいろ話をしているのだが、今日は執拗にお姉さんの年齢を聞いていた。止めろっちゅーに。

電子レンジが壊れたので、街中の大規模家電ショップ「SATURN」で新しいものを買おうと思っていたのだが、今日は街中でトライアスロン大会が開催されているようで(実は日曜日だけかと思っていた)、街中をちょこちょこ移動するのは難しそうである。帰宅がてら郊外にあるショッピングセンター「ELBE」に寄る。

また例によって KIOSK のようなところに寄って、サッカー関連の雑誌が出ていないかどうか探す。昨シーズンのブンデスリーガの「ベスト 100 ゴール」を収録した DVD がついた雑誌を発見。DVD がついて 5.5 ユーロは安いなあ。買っておく。

演奏会その46: funky airport night

毎夏恒例のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭。ドイツに来て今年で3年目なので、この音楽祭に立ち会うのもこれで3度目ということになる。ちなみに今まではこんな演奏会に出かけた。

2009年

2010年

  • ポーランド・レクイエム(ペンデレツキ自作自演)←あ、これブログに書いていない …

そして今年は、誰が思いついたのか知らないが、空港でファンクを聞けるコンサートに行って来た。今までは、いわゆる「クラシック」に属する演奏会にしか足を運んでいないが、例えば小曽根真さんやボビー・マクファーリンなどもこの音楽祭のシリーズの中で演奏会を行っている。

空港とは言ってもターミナルビルの中でコンサートをするわけではなく、滑走路の端に仮設ステージを作ってそこでやる。こんな感じになる。

仮設ステージのレイアウトといい、会場のまわりにたくさん出店されている数々の食べ物屋といい、一昔前の野外ジャズフェスティヴァルの雰囲気を思い出す。(野外ロックフェスは行ったことがないのでその雰囲気はわかりません …)

開演は午後9時、この時間だとハンブルクはまだまだ明るい。まずはメイシオ・パーカー・バンド。

ジェームズ・ブラウンのバックバンドに参加したところからキャリアが始まる(MCによると)「もっともファンキーなサクソフォニスト」。ちなみに教授のアルバム「未来派野郎」のオープニングを飾る《Broadway Boogie Woogie》でサックスを吹きまくっているのが、このメイシオ・パーカーである。あとで Wikipedia で調べてみたら今年で 68 歳。とてもそんな風には見えない若々しい。

MC 専門の女性がいてステージのオープニングとエンディングはその人が仕切るスタイル、曲中のソロの長さなどもリーダーが仕切る、など JB のステージのスタイルを踏襲している(らしき)部分も多い。ちなみにオープニングは JB のレパートリーである《Papa’s got a brand new bag》。途中ではバンドメンバーを休ませるために、サングラスをかけて体をくねらせて(もうおわかりですね(笑))ピアノのみの伴奏でレイ・チャールズのカバーを披露した。あ、この人ヴォーカルもやります。

特にベースとドラムがうまい。きっちりアンサンブルされているので、ノリがとてもシャープ。

次はタワー・オブ・パワー。メイシオ・パーカーがイーストコーストのファンクなら、タワー・オブ・パワーはウェストコーストのファンクである。こちらも MC によると1968年結成で今年で43年目とのことらしい。

まあ、人数も多いせいか、メイシオ・パーカー・バンドに比べるとアンサンブルはいくらか荒い。大人数での迫力あるサウンド、それからヴォーカルのうまさからか、こちらの方が盛り上がっていた。

ちなみに滑走路に仮設ステージを建てただけなので、いわゆる「オール・スタンディング」形式。それでも比較的年齢層の高いお客さんがそれぞれに体を揺らしながら聞いていた。

この2つのバンドが終わった時点で午後11時30分。さすがに立ちっぱなしはしんどくなってきたし、最後に出るバンド「The Nils Landgren Funk Unit」はよく知らないし、帰りの渋滞に巻き込まれるのも嫌だし、ということで帰ることにした。

帰り道、長い案内路を通って駐車場まで戻りながら、なぜ滑走路の上でコンサートが行われたのか、ふとひらめいた。ここなら、こんなに遅い時間まで野外で大音量で騒いでいても誰にも怒られないからだろう(笑)。

女子ワールドカップ準決勝「日本対スウェーデン」

いよいよ女子ワールドカップも準決勝。

「日本対スウェーデン」の試合は日本人学校でパブリックビューイングが行われた。昨年の男子のワールドカップの「日本対デンマーク」戦以来である。前回はグループリーグだったのである程度前から試合日程がわかり、パブリックビューイングの用意もしやすかったのだろうが、今回は決勝トーナメント。日本の準決勝進出が決まったのが土曜日の深夜なので、具体的なプランがスタートしたのはおそらく週明けの月曜日、日本人会のメーリングリストを通して開催が通知されたのが前日である火曜日の午後だった。フットワークの軽さに頭が下がる。

試合開始が午後8時45分。90分で決着がついても試合終了は午後11時くらいになってしまうので、我が家では息子に昼寝をさせてパブリックビューイングにのぞんだ。

澤のパスミス(だよね?)から1点取られてしまい、その後はボール回しが消極的になって少し心配したが、いい時間帯に同点に追いついて立て直すことができた。

あとから思い出して気付いたのだが、日本は相手選手とのコンタクトを極力避けているのか?ほとんどどこの国の選手も体格的には大きいので当たり負けするリスクがあるからだろうか、早めに細かいパスを回して攻撃パターンを作っているように見える。(そのあたりがFCバルセロナに例えられる所以なのかなあ)ただ、この1点目のゴールシーンだけはハードコンタクトも辞さない覚悟で縦に入っていって、結果として、もみ合ってつぶれるような形でゴールが生まれたのが印象的だった。

そのあとはほとんど日本ペース。まったく負ける気がしない。(ううん、それを考えるとイングランド戦の内容は何だったんだろう?)

ドイツ国内で試合を放送していた ZDF では、試合前に日本の様子が流されていた。地震で被災された人たちを取材し、日本チームの活躍がそれらの人たちを勇気づけているという内容だった。個人的にこういう恣意的かつ短絡的な決め付けにはとても違和感を感じる。ナショナリズムとか使命感とか、そういうものとは関係なく、このチームのサッカーは見ていてとても楽しい。そういったものが彼女たちのモチベーションになっていたとしても、それはプレーそのものとは関係ない。

とはいえ、日本が優勝した暁には、このチームに国民栄誉賞をあげても全然問題ないのではないかなあ、と思った。過去の受賞者を見るにつけ。

NHK「現代の音楽」アーカイブシリーズ

最近停滞気味の「日本作曲家選輯」シリーズにかわって NAXOS がリリースを開始したNHK「現代の音楽」アーカイブシリーズ。

今日、その第1弾として矢代秋雄と三善晃がリリースされた。

どうやって入手しようかと考えていたのだが、リリース日に Naxos Music Library で聞ける(しかも日本語版ではなくインターナショナル版で)のにはかなり感動した。当該ページから読むことができるPDF版ブックレットのページ順がばらばらなのはご愛嬌か(笑)。

とりあえず三善晃を聞く。「合唱三部作」といわれる3作品のうち、第1作《レクイエム》と第2作《詩篇》の初演音源が収められている。ちなみに第3作となる《響紋》の初演音源はカメラータから出ている「民音現代作曲音楽祭 ’84」や廉価版の「コンテンポラリー・アーカイヴズ」で聞くことができる。また、この3部作は以前ビクターからライブ音源が出ていた … が、あまり録音がよくなかったので作品を味わうにはちょっと物足りないところがあった。

今回の録音は時期が古い(《レクイエム》は1972年、《詩篇》は1979年)わりには意外とクリアである。上記ビクター版は現在手元にないので一概に比較はできないのであるが、今回のリリースの方が聞いていて面白かった。とはいえ、やはりこれらの作品の持つ音響の情報量を十分には捉えきれていない感じ。

ふだん合唱と管弦楽という編成を聞き慣れていないのでひょっとして外しているかも知れないし、この作品の編成上仕方がないことなのかも知れないけれど、合唱はもう少しクリアに聞こえるべきだと思う。言葉自体の発音にしても、オーケストラとのバランスにしても。特に《詩篇》は《レクイエム》に比べて激しい表現の箇所が多いので、そのあたりは「ごちゃごちゃしたオケと一緒に何か絶叫している」くらいの解像度でしかないのだ。もう少し歌詞を読み込んだり曲を聞き込んだりすれば解決される問題なのだろうけど、この曲を理想的な音像で聞いたらさぞかし感動するのだろうなあ。もっとも、これは生演奏でしか体験できないことなのかも知れないし、録音に求めるのは幻想なのかも知れないけど。

それはさておき、これらの作品(《響紋》も含めた合唱3部作)は三善晃の死生観を具現化したものとして知られている。彼のような年代(1933年生まれ)の人にとって死生観は第二次世界大戦の体験と結びついているのだろう、歌詞としてもそれらが題材として採られているし、曲調的にも私がそういった時代の映像を見る時に感じる何か曖昧模糊とした抑圧されたようなものを感じるのである。

例えば初期の《交響三章》などからは、彼が留学していたフランスの音楽からの影響がうかがえるのであるが、この合唱3部作からは日本人でなければ書けなさそうな(=他の民族の人からは受け入れられそうにない)メンタリティを感じるのである。

ええと、矢代秋雄はこれから聞きます。