月別アーカイブ: 2003年6月

ボウリング・フォー・コロンバイン

「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見に行く。(田舎なので3日間しか上映されないんだ、これが。)

ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX [DVD]

アメリカの銃社会を題材にしたドキュメンタリー映画で、今年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。また、授賞式でのスピーチで監督のマイケル・ムーアが「ブッシュ、恥を知れ!」とイラク侵攻を痛烈に批判したことでも話題になった。

タイトルは、デンヴァー州のコロンバイン高校での生徒による銃乱射事件から採られている。この事件の実行犯である二人の高校生はボウリング部員であり、事件当日の朝もボウリングをしていたのだそうだ。

閑話休題。吹奏楽関連でもこの事件を題材にした作品がいくつかある。全日本吹奏楽コンクールで演奏されて話題になったデヴィッド・ギリングハムの《アンド・キャン・イット・ビー》や、フランク・ティケリの《アメリカの哀歌(アメリカン・エレジー)》など。

受賞スピーチのように誰かを糾弾するという激しいアジテーションはなく、ウィットを交えながらなぜアメリカで銃犯罪がなくならないかを真面目に分析 している。見終わった後に変に重苦しい感情が残らないのも、制作側がドキュメンタリーといえどもエンタテインメントであることをわかっているからなのでは ないか。

一つの結論として導き出されたのが、「不安」を抱かせて一般市民をコントロールしようとする権力(政治であったりマスコミであったり)の存在であ る。確かに「銃」の問題だけに限らず日本でもこのような傾向はあるのかもしれない。以前から感じていたことなのであるが、ちょっと前に少年たちの間でバタ フライナイフが流行ったのはマスコミが過剰に報道したのが原因ではなかったのか?最近、集団自殺が連鎖的に発生したのもマスコミ報道が関係していなかった と言えるのか?「初回限定盤だから早めに買わないと手に入りませんよ」と購買意欲をあおるのも、消費者に「不安」を植え付けていることになるのではないか (笑)?

アメリカでは犯罪発生率が確実に減少しているのに対して、ニュースで犯罪報道が放送される率は増加しているのだそうである。銃乱射の実行犯がファン だったということで槍玉に挙げられたマリリン・マンソンのインタビューもあるのだが、失礼ながら至極真っ当な意見を表明していることに驚いた。一方、撮影当時全米ライフル協会の会長だったチャールトン・ヘストンはインタビューの途中で言葉を濁して退席するのであるが、「大人の世界」に生きている人としては あの行動が最善だったのだろう。マリリン・マンソンが言っていたように「原因を誰かに押しつけておけば」楽なのである。そういうシニカルなパラドックスも マイケル・ムーアの狙いなのだろうか?

タイガー大越クリニック&コンサート

ジャズトランペット奏者のタイガー大越さんのレクチャー&コンサートを聴きに行く。

前半が受講者を対象にしたクリニック、後半がミニコンサートのはずだったが、リラックスした(というかルーズというか)進行でかなり適当だったような気もする(笑)。

受講者であるトランペット奏者もかなりの腕前だったし、あまり専門的なことを指導されても聞いている方がついていけないと困るなあ、と思っていたの であるが、さすがふだんから教える立場におられる人だけあって、かなり型破りながらも非常に収穫の多いレクチャーだったと思う。

まずはフレージング。「Am – Dm – E – Am (実音じゃなくてトランペットでの)」という4つのコードがそれぞれ2小節ずつ、合計8小節のコード進行を用意する。それぞれの小節の構成音のみを使って フレーズを作るという練習である。つまり最初の2小節では(ラ−ド−ミ)、以下(レ−ファ−ラ)、(ミ−ソ#−シ)、(ラ−ド−ミ)という音だけを使って フレーズにしてみる。アドリブの練習としては単純ながら効果的な練習なのではないか。

それから呼吸法。

4拍吸って4拍吐く 8拍吸って8拍吐く 1拍吸って7拍吐く 1拍吸って1拍吐く 自分の手の甲を吸い付けるようなイメージで吸う などいろいろなパターンの呼吸法を実際にやってみた。常々、所属しているバンドが間然すべき問題の一つがブレスコントロールだと感じていたので今度試してみよう。

放送禁止歌

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

たまたま書店で見つけて面白そうだったので買ってみた。ちょうどハードカバーから文庫化されたばかりのようである。

このタイトルを見た限りでは、単に「放送禁止歌」(この本を読めばわかるが「放送禁止歌」というものはそもそも存在しないのである。)を紹介した雑 学的な本だと思っていた。前半は確かにそれに近い内容なのであるが、読み進むにつれ、どんどん横道に逸れていくというか、どんどん深い方へ進んでいくので ある。

詰まるところ、それは岡林信康の《手紙》や赤い鳥の《竹田の子守唄》が(いわゆる)「放送禁止歌」となった根拠にもあげられる部落問題にいきつくの である。この本は「放送禁止」に代表され、いろいろなシチュエーションに演繹可能なタブーについて、極めて誠実に分け入ったルポルタージュである。読み始 めたら途中で止めることができなくなり、最後まで一気に読んでしまった。

幸か不幸か、私は自分の人生の中で直接的にも間接的にも、いわゆる「部落問題」に関わったことがない。責められるかもしれないが、それについて私は いかなる意見も表明することができない。しかし、ソクラテスではないが、自分が何も知らないということを自覚することは必要なのだと思う。

この本を読みながら、インターネットの黎明期にある方が発言された文言を思い出した。私はこの主張に100%賛同している。

「差別用語などというものは存在しない。存在するのは、ある用語を差別的に使う人です。」

オンド・マルトノ・レクチャーコンサート

前回のテルミンに引き続き、オンド・マルトノのレクチャーコンサートを聞きに浜松市楽器博物館へ。

講師兼演奏者は日本のみならず世界を代表するオンド・マルトノ奏者である原田節(ハラダタカシ)さんである。オンド・マルトノが使われている曲で 真っ先に思い出すのはメシアンの《トゥランガリラ交響曲》である。この作品ではピアノとともにソリスト的な役割が与えられている。原田さんとオンド・マル トノとの出会いもこの曲であったらしいし、原田さんはシャイー/コンセルトヘボウの録音でソリストを務めている(この録音は残念ながら未聴)。

オンド・マルトノという楽器に対する私の印象は、この作品での使われ方のようにポルタメントが多用された(リボンコントローラーによって音の間を滑 らかに移動できる)甘美な旋律を受け持つ単旋律(同時に一つの音しか出せない)の楽器というものだった。この既成概念を完全に払拭したのが、トリスタン・ ミュライユが作曲した2台のオンド・マルトノのため《マッハ2.5》という作品である。2台のオンド・マルトノで微妙に異なる音程(微分音)を演奏するこ とによって生じるうねりや、「メタリック」と呼ばれるスピーカー(詳細は省略しますがオンド・マルトノは最終的に出力するスピーカーを演奏者が選択するこ とができます。それによって残響の音色もコントロールすることができるわけです。「メタリック」と呼ばれるスピーカーは銅鑼の真後ろにスピーカーを設置し たもので、当然金属的な残響を生み出します。)から出力される音は、もはや「ノイズ」とか「音響系」とか呼ばれるジャンルに近い。クセナキスやシュトック ハウゼンの電子音楽に興味を持っている人ならきっと愉しめるのではないかと思う。

これはサイン目当てに会場で購入したCD「In The Garnet Garden」にも収録されていた。

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その帰り、タワーレコードでピーター&ゴードンの紙ジャケ「ピーター・アンド・ゴードン・プラス」を購入。

ピーター・アンド・ゴードン・プラス(紙ジャケット仕様)

ちなみにピーター(ピーター・アッシャー)というのは往時ポール・マッカートニーと付き合っていたジェーン・アッシャーのお兄さんらしい。かのビー トルズ・ナンバー《抱きしめたい》はジェーン・アッシャーの家の屋根裏部屋で書かれたというのがビートルズ・マニアの間では定説になっている。そんな人間関係もあってか、レノン=マッカートニー作品(実際にはポールだけが書いたんだろうけど)が何曲か収録されている。ビートルズ初期のコーラス・ワークに似 た、いかにも「イギリス」という感じのグループである。

ジャケットには二人が写っているのだが、どちらがピーターでどちらがゴードンか知らない(^_^;)。その程度の認識しかない私がこのCDを買った のは、《アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ》という曲を聞きたかったから。もはや曲の断片すら記憶になかったのであるが、中学生くらいの時に聞いていた深夜放送(時代を感じますね)で偶然かかったこの曲の持つ雰囲気がえらく気に入ってしまったということだけはずっと覚えていたのである。中学生の英語力ではピーセズを「peaces」だと思い込んでいて「私は平和になるんだ」みたいな意味だと勝手に思い込んでいた。

それから数年後、この曲が村上春樹の最高傑作(だと私は思っている)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中に登場することを知っ た。そして、決して「私は平和になるんだ」という意味ではなく「私はばらばらになる(I go to pieces)」という意味だと知った時には、その世界観の逆転に呆然としたものである(歌詞自体は全然深刻なものではないんですけどね)。この本の中で は多くの洋楽作品が登場するのであるが、《アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ》は極めて象徴的に重要な形で使われているのでお楽しみに。