そういうわけで、細野晴臣さん関連のCDを引き取りに。
で、つらつら書棚をながめていて、つい買ってしまった本たち。
斜め読みしていた「作曲家がゆく 西村朗対話集」という本に、中川俊郎さんと西村朗さんの対談が載っていた。
その「鬼才」ぶりは以前からいろいろな情報で触れていたので(ちなみに上記の本では「見たい番組があったから」という理由で、自分がピアノを弾く演奏会のゲネプロにテレビを風呂敷に包んで持ち込んだというエピソードが披露されている)、ちょっと気になってウェブをツラツラながめているとCDが安くオークションに出ていた。「天才の感触」というCDをわりと簡単に落札できた。本日到着。
もともとは現代音楽畑の人なのだが、一時期かなりの数のCM音楽を作っていたらしい。それをまとめたのが「天才の感触」シリーズ。第3集まで出ており、確か大昔に「3」を聞いたことがあるはずだ。
民音現代作曲音楽祭で演奏された《合奏協奏曲第2番》も相当奇天烈な曲で賛否両論が巻き起こったらしい。聞いてみたいなあ。
午前中はサックスのパート練習に顔を出す。パート練習を見ると、かなり突っ込んだ指摘や確認ができるのでありがたいのだが、こればっかりはいくら時間があっても足りない。指摘されたところは抽象的な形にして(例えば、こういうパターンのフレーズが出てきたら同じようなアーティキュレーションやデュナーミクで演奏するとか)別の部分に応用する力をつけて欲しいものである。これを「水平展開」と言う。
午後からは食材の買出しのついでに、先日読み始めた「プレイボール」の続きを探す。とある書店に買いに行ったところ、全11巻のうち5巻と6巻がなかったので、とりあえず1〜4巻を買ってきて読んだ。5巻以降を買おうと思って何件か書店を回ったのだがどこにもない。その中でこんな本を見つけてしまったので買ってしまった。
同時代の日本人作曲家のエッセイは多くあれど、作曲家が生み出した作品あるいは音楽観に徹底的に焦点を合わせた書物はなかなかない。しかも、作曲家本人が携わっているとなればなおさらである。この本で西村朗さんの作品により一層近付けそうな気がする。
西村朗さんといえば《巫楽》という吹奏楽作品がある。アジア的な祝祭を表現するために吹奏楽という編成が効果的に用いられていると思う。氏の表現している世界を考えると、吹奏楽(もっと具体的に言うと管打楽器アンサンブルか)という編成を選択する余地はまだあると思えるのだが … 書いてくれませんかね?
ちなみに室内楽編成だと、管打楽器(それぞれ2本のクラリネット、オーボエ、バスーン、ホルンと2人の打楽器奏者)を伴奏にした《フルート協奏曲》がある。
また、分かる人には分かると思うが、この本の装丁は、カメラータからリリースされている一連の西村朗作品集のジャケットデザインも手がけている杉浦康平氏によるものである。書店でこの本を手にとって、それらの CD との統一されている世界観にクラクラした。
最近は仕事しながら日本人作曲家のCDなどを聞いている。
ちょっと前に購入したのだけど日記に載せそびれたCD。 サクソフォン、二十絃箏、ピアノをそれぞれソリストにした協奏曲3曲が収録されている。サクソフォン協奏曲《魂の内なる存在》のソリストは須川展也さんである。
確か、このサクソフォン協奏曲は NHK 交響楽団での初演がテレビ放送されたので、それを録画してみたのだと思う。この時もソリストは須川さんだった。テレビで見た時は、かなり密度の高い音楽の 中でほとんど吹きっぱなしの須川さんを見て恐れ入ったのだが、今回はあまりそういう印象を持てなかった。なぜだろう?絵がなかったからなのか?オケがいま いちだからなのか?
ピアノ協奏曲《シャーマン》は西村作品にしては華々しい雰囲気を持った曲である。
しかし、西村作品はヘッドフォンで聞くより大音量で体感したほうがいいのかも。