写り具合がいまいちであるが、YMO の「増殖」人形である。
アルバム「増殖」が発売されたのは1980年。今から28年前である。 まさか、自分があの人形を所有することになるなんて、28年前の自分には想像もつかなかっただろう。まりん(元電気グルーヴ)ではないが、昔の自分が喜んでいると思う。
で、さすがに赤い人民服の方は買っていない。 「夢」がないもの。amazon のレビューにもあったけど、赤い人民服を着せるならマージャンさせなきゃダメでしょう。
引越し後のお掃除。
昔のページで使っていたスタイルファイルを持ってきてみる。 「えいや」でファイルの中身を差し替えてみたが、概ね順調。 やっぱり、こっちの方が落ち着くなあ …..
(昔は右側のメニューバーを使っていなかったので、こちらは少し作りこみが必要そうだが、まあ、おいおい …..)
見た目はほとんど変わっていないと思いますが、i18n 版の pukiwiki に引っ越しました。 それに伴い、漢字コードが EUC から UTF-8 に変わっています。
細かい部分で不具合があるかも知れませんが、おいおい修正していきますのでご容赦ください。
(….. こんなに時間がかかるとは …..)
(後日付記) WordPress ではなく Pukiwiki を使っていたころの話です。
ふと見つけた1枚。 YMO のカバーというだけではあまり食指が動かないのだが、権藤知彦さん率いる anonymous のアルバムということで興味を持った。
権藤さんは Sketch Show や HASYMO のステージでシンセサイザーを操りながらユーフォニアムやコルネットを吹いている人だ。高橋幸宏さんの最新アルバム「BLUE MOON BLUE」のアルバム全体のほっとする雰囲気もこの人の参加によるところが大きい。
このアルバムは特に YMO 後期の曲に目がいく。 時代の最先端にいた前期、にわかファンを振るい落としてついて来れるファンのためにアルバムを作った中期に比べて、後期の作品(「浮気なぼくら」や「SERVICE」)はいまいち地味な雰囲気がある。
後期の歌モノは手垢がついていない分、カバーで新しい発見がされる余地があるし、また演奏者の「愛」を試す試金石にもなり得る。そういった意味ではいいアルバムである。
細野晴臣 STRANGE SONG BOOK-Tribute to Haruomi Hosono 2-(DVD付)
1 はさんざん悩んだあげく買わないことにしたのだが、忘れていた頃に「25%OFF」で買ってしまった。なので、こちらも買ってみることにした。
とりあえず備忘録。
ブレーンから新譜がどっさり届きましたとさ。
編曲が終わらないと聞いている時間がないなあ …..
会社で使っているノート PC の調子がずっと悪い。 (たぶんファンが壊れているのだと思うのだが …..) さすがに仕事に支障をきたしてきたので、新しいノート PC を買ってもらえることになった。
で、最近は PC も Mac も面倒をみなければいけない状態になっているし、さすがに出張に Mac と PC を持っていくわけにもいかないので、Mac のノートを買って、その上で Windows を動かすことにした。
小ささを求めたので MacBook Pro ではなく MacBook を購入し、そこで Prallels Desktop for Mac を動かして Windows を使うことにした。
先週末は仕事が立て込んでいたのでなかなか手をつけられなかったのだが、仕事が一区切りついたのでセットアップしてみた。
メモリー 2GB 積んだら普通の書類作成とかは全然問題なさそう。 むしろ、今メインで使っている貧弱なデスクトップ PC よりも快適かも。
しばらく使ってみてよさそうだったら、自宅 PC もこの手でいこうと画策中。
自分で Mac を買ったのは 15 年くらい前だったなあ ….. 漢字 Talk 7 の時代 …..
で、本番の発表会。
公開練習を聞けなかったし、あまりスコアも読んでいないのでとりあえず保留。 作曲者が内容的に手加減し過ぎた感もあり。
この作品には直接関連しないが、プレトークでは弦楽器が嫌いだったというエドガー・ヴァレーズに言及。 こういう、いかにもウィンドアンサンブル的な書法の作品は聞いていて楽しい。 最近聞いていたヒンデミットの《室内音楽》シリーズを思い出す。 メリハリのある練れている演奏だった。
前日の公開練習では 6/8 拍子のリズム感を指摘されていた。 これを 6 つ振りにすると縦の線は合うのだが、旋律がちじこまってしまう。 公開練習では試しに 2 つ振りで演奏したときにいい流れになっていたように思うのだが、今日の演奏ではテンポ感に迷いが感じられた。 ちょっと停滞しすぎ。
それから、これも公開練習で指摘されたように、何度か登場する piu mosso の部分に変化をつければ全体の構成にメリハリがついたように思うのだが、これも不十分だった。
難易度もそんなに高くないし、音楽の掘り下げ方をじっくり考えられるという意味でよいレパートリーになるのではないだろうか?
国塩さん、ガンダムについて語り過ぎ(笑)。 曲は、まあ、どうでもいいという感じ。 内容的にも編成的にも無理矢理感ありあり。
結局、ブロックコードを演奏した場合のバランスが改善されなかったのかなあ。 どうしてもテンションが含まれている和音は通常の協和音よりも響かないわけで、全般的にサウンドがもこもこしてしまった。 トランペットのソロは安定していてよかった(制服を見ると高校生のエキストラっぽかったけど、卒業生かな?)。
これも作品的にはどうでもいい。ホルンがほとんど主旋律を受け持っているが、うまかった。
演奏といい作品といい、今回の演奏会企画の最大の成果ではないだろうか。 こういう高度な合奏力を要求される作品は、時間対効果が要求される、すなわち、より少ない練習時間でより大きな演奏効果を求めることになるプロフェッショナルな奏者ではなかなか取り上げにくいレパートリーなのでは?
前日の公開練習でも当日の演奏会本番でも安定した演奏が見られたということは、相当の練習を積んでいると思う。 その結果、このような熱演が生まれたということはアマチュアイズムの勝利なのでは。 「日本有数のバンド …..」というところで場内から失笑が漏れていたが、全国大会で金賞を取っているような指導者と演奏者でも(その是非はともかくとして)これだけの演奏ができるとは思えない。
来月、「響宴」を聞きにいこうとしているあなた(笑)は、この演奏を聴くべきだった。
ここは前日の公開練習よりもリラックスした感じでよかったと思う。 エキストラを入れている団体も多かったのだが、ここは中学生のみでほっとするサウンドだった。
北爪さんがおっしゃっていたように「本来なら西村さんの作品が最後に置かれるべきなのだが、そうすると僕の作品を置く場所がなくなってしまうので、アンコールのような形で、お客さんにほっとしてもらう」という目論見は成功したと言えよう。
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まあ、中学生が演奏するには明らかに力不足な部分はあったが、そういうのはこれからリリースされる CD を聞けばいいのだ。
こういう(響宴と違って(笑))全く採算が取れないであろうイベントには、やはり「お上」の力と太っ腹な企業が必要なのだと思う。 そういった意味で浜松市の企画力と実行力、全作品の楽譜を出版するのみならず、この演奏会のためにフルスコア集まで作成した東京ハッスルコピーの自虐的な使命感には脱帽するしかない。
毎年やってくれとは言わないが、せめて来年もう一回くらいやりませんか? で、藤家渓子さんと望月京さんに(使いまわしでもいいから)吹奏楽曲を書いてもらって下さい。
備忘録。
ブレーンから BCL8 のサンプル盤が届く。
ちなみに「9」もありますので。
今日はバンド維新の初日。 レクチャーコンサートと公開練習である。
ある程度覚悟はしていたが、8団体が公開練習するということで13:00開演で終演予定時間は18:10とのこと。夕方からの合奏の準備もあるし、残念ながら途中で退席することになってしまった。
なので、聞いたのは以下の5団体。
この中では、バンド維新の趣旨に沿った目的意識で書かれたのは北爪作品と丸山作品だけなのかな、という感じ。
北爪作品は数年前の課題曲である《祈りの旅》を思わせる作風。 楽譜としてはすっきりしているのだが、肝は3拍子と4拍子(3拍4連)が同時進行するところか。指揮者はやはり3拍子の拍子感をなるべく感じさせないように振っていたが、全ての拍でそれをやると合わせるべき1拍目が合わなくなってしまうのではないかなあ。
丸山作品は分数コードを多用した、ビッグバンドのサウンドにも通じる作品。 こういうところを作曲者によるピアノで解説してもらえるのがレクチャーコンサートの面白いところ。
西村作品は全く演奏者に妥協せず自らの語法を貫いている。 「中学生や高校生が演奏する」という前提がある場にこういう複雑な(情け容赦ない)楽譜を書く作曲者もすごいが、それを見事に音にしてしまう浜松海の星高等学校もすごい。 久しぶりに吹奏楽を聞いて鳥肌が立った。 舞台裏から「ブラヴォー」の声が出たが、全くその通りだと思う。 演奏を褒めつつも冷静にアドヴァイスを行い、演奏を修正している西村さんは非常に真摯だなあと思った。また、指揮者からの「ヘテロフォニーとは何か?」という質問に対して、かなりわかりやすく回答されていた。
服部作品、小六作品は過去の自作からの転用。 手持ちのストックを小編成のためにアレンジしてみましたという感じ。 小六禮次郎さんが来られなかったため、《アンゼラスの鐘》は北爪さんと三枝さんがコメントしていたのだが、他人の作品だからこそ好き勝手に言えるのか、面白かった。 三枝さんは、この作品がギリシャの映画監督であるテオ・アンゲロプロスの映画でかかっているようなイメージだと言っていた。なるほどね。
しかし、スコアを販売(それも学生が買えるくらい超リーズナブルな価格で!)して、それを見ながらレクチャーを聞けるという環境はすばらしいと思う。