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ポチョムキンを見る

ちょっと時間にゆとりができたので、先日買った「戦艦ポチョムキン」の DVD を見る。

(どうでもいい話ではあるが、この休みに大阪に行って来た。梅田の紀伊国屋書店では紀伊国屋書店が制作した DVD が 20% OFF で売られていて、当然この「戦艦ポチョムキン」もあった。ちょっと悔しい …..)

前回見た時はあまり面白いとは思わなかったし、ほとんど印象に残らなかったのであるが、今回はわりと面白く見ることができた。やはり、この映画はストーリーというよりも技巧を見る映画なのだ。それから、音楽が少なからず映画に対する印象に与している。

例えば、寄港しているポチョムキンにオデッサの人々が集まる場面のシーケンスとか、あまりにも有名なオデッサの階段での虐殺場面(階段を転がり落ち る乳母車)のシーケンスとか、確かにモンタージュ技法の祖であるという意味では画期的なのだが、現代の感覚で見るといささか冗長であるようにも思える。も ともと映像に合わせて作られたエドムント・マイゼルの音楽があると、こういうシーケンスも必然的な繰り返しに思えてくるのである。音楽に合わせて映像が作られているようにも思える。このあたりは、今まで決定版とみなされていたショスタコーヴィチの音楽伴奏版だと全く違う印象になるのではないかな。

ツイン・ピークス第16章

無事バンドジャーナル誌の原稿も(一応)脱稿したので、やっと「ツイン・ピークス」の続きを見る。 (年末年始に貸し出すために、何とか年内に見終わってあげないと。私は帰省行脚なので年末年始はゆっくり見れないし。)

ファーストシーズン(第1章〜第7章)は人間関係が必要以上に絡まっていくので展開がたるい。 第10章を過ぎたあたりから、謎が収束し始める。

そして、全編のクライマックスとも言える第16章でローラ・パーマー殺しに関する謎が全て明らかになる。 すごく久しぶり(10年ぶりくらい?)に見直したのだが、留置場の中で犯人(ネタばれになるのであえて名を秘す)が告白する場面は圧巻である。

アンジェロ・バダラメンティが作曲した例のテーマに乗せて、クーパーに抱きかかえられた犯人がパーマーを殺めたことを告白する。 降り注ぐのは雨ではなく、故障した(というか、タバコの煙に過敏に反応した)スプリンクラーである。

美しく、可笑しく、悲しい。 デヴィッド・リンチの真骨頂である。

このあと後日談みたいな形で1話くっつければ、整った形で終わることができたのだろうが、さすがデヴィッド・リンチ、そんな期待通りのことはしてくれない(笑)。 打ち切りが決まった「ツイン・ピークス」は、もっと訳が分からない世界に進んでいくのでした。

映画って本当にいいものですね

録画しておいた第79回アカデミー賞授賞式を見る。

賞の行方は別にどうでもよくて、アメリカならではの軽妙な司会進行を楽しみにしている。生放送の同時通訳だとギャグやウィットがわかりにくいと思ったので、字幕放送になっている再放送の方を録画した。これだと合間も編集されて間延びしないだろうし。

今年の司会は初登場となる女性のエレン・デジェネレス。ちょっと気負っているのか固い気もした。まあ、ビリー・クリスタルみたいにエスカレートするのもアレなのだろうが …..

なんといっても感動的だったのは、外国語映画賞の制定50周年を記念してジュゼッペ・トルナトーレが編集した外国語映画賞受賞作品のトリビュート・クリップ。

古くは「自転車泥棒」「羅生門」「禁じられた遊び」などから、フェリーニの「道」「アマルコルド」、「ブリキの太鼓」、「バベットの晩餐会」、それ からもちろん、トルナトーレ自身が監督した「ニュー・シネマ・パラダイス」などがコラージュされて回想される。直ちに「ニュー・シネマ・パラダイス」の、 あの、名場面が思い出される。

それぞれの映画は数秒ずつしか登場しないのだが、その映画の制作に携わった人、その映画を見たいろいろな時代のいろいろな地域の人のことを思うと、 映画のワンシーンの裏側には目に見えない無数の息遣いが聞こえてくるように思える。それが映画というメディアが持つパワーなのかな、と思ってみたりする。

でも、最近全然映画館に行っていないんだよなあ …..

ダンサー・イン・ザ・ダーク

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

頭がカタルシスを欲していたので見ることにした。 半額で売られていたのをしばらく前に買ったまま見ていなかった DVD である。

ビョークが演じる主人公セルマはチェコからアメリカへの移民。 小さな工場で働きながら女手一つで息子を育て、アマチュア・ミュージカルが唯一の楽しみ。 遺伝的な病で徐々に視力をなくしていくが、同じ病を抱えている息子に手術を受けさせるためになけなしのお金を蓄えている。 ある日、そんな風にして蓄えたお金を盗まれたことから人を殺してしまい …..

といったあたりがあらすじである。

このあらすじは以前から知っていたので、かなり暗い映画であることは覚悟していたのだが、これらのこと自体はそれほど暗くは描かれていないし、そういう「他人の不幸」によって泣かせる映画では決してないのだ。

この映画で激しく心を揺さぶられたのは2点。

「なぜ、同じ病に冒されることを知っていながら子供を産んだのか?」という問いに対して「赤ちゃんをこの手で抱きたかったから。」と答えたセルマ。彼女は、彼女に降りかかる全ての不幸を受け入れなければ、このシンプルで根元的な願いを叶えることができなかったのだ。

それから「ミュージカルは最後の曲で終わってしまうから、最後から2曲目で席を立つの。そうすれば永遠でしょ。」と言ったセルマが最後に歌う《最後から2番目の歌》。

ミュージカルには哀しい場面はないと言うけれど、独房で歌われる《マイ・フェイヴァリット・シング(私のお気に入り)》(セルマが所属するアマチュア・ミュージカルが練習しているのは「サウンド・オブ・ミュージック」)は哀し過ぎる。

パリ、テキサス

祝・(やっと)リマスターで単独発売記念! ….. ということで、ちょっと前に NHK-BS から録画したものを見た。

パリ、テキサス デジタルニューマスター版 [DVD]

主人公トラヴィスのとことん不器用な生き方にはとても共感できないし、現実味も感じないのでラストシーンでの感動というのはあまりない。

しかし、この映画には、映画というメディアのみが提示することができる素晴らしい瞬間がいくつもある。前にも似たようなことを書いたけど、単なるス トーリーテリングは映画ではない。例えばカメラワークであったり、音楽であったり、セリフであったり、そういう技巧があるからこそ映画なのではないか。

例えば、久しぶりに会ったぎこちない父子がお互いに道路の両側の歩道を歩きながら家まで帰るシーンとか、切々と復縁を訴える男を捉えずに、それを聞いて変わっていく女の表情のみを捉えているシーンとか、さすがだと思う。(他にもいっぱいあるけど。)

主人公の決断によって、映画の途中で何となく(ハッピーエンドではない)ラストシーンが想像できてしまう。その通りに終わって欲しくないと願いつつも、その通りに終わってしまう無常感。深い映画です。

しかし、ナスターシャ・キンスキーは美しい。

象になった少年(じゃないよ)

だって、このタイトル間違いやすくないですか?

星になった少年 スペシャル・エディション [DVD]

アウトレットで半額で売られていたので買ってみた。

何となく体がカタルシスを欲していたのですぐに見てみた。

意図的なのかどうかわからないが意外なほど淡々とした進行。 そういえば邦画を見るのは久しぶりだし、そもそも最近の邦画というものはほとんど見ていないのだが、正直こんなんでいいのかと思う。 映画って時系列に並んだエピソードの点描的な羅列じゃないと思うんだけどな。

そりゃ「泣ける」「泣けない」という尺度で見れば「泣ける」んだろうけど、映画を見終わった後の心地よい疲労感とか充実感が感じられないのでありました。

映画の最後近くにある、屋根の上での常盤貴子の演技は印象的。

愛と青春の旅立ち

テレビをつけたら NHK-BS でやっていた。

愛と青春の旅だち [DVD]

やばい。コテコテではあるが大好きな映画である。 ストーリーはそんなに練られていないし、リチャード・ギア扮する主人公の生き様にもそんなに共感を抱かないのであるが、やはり、この映画は泣かずにはいられないのである。

この映画を名作たらしめているルイス・ゴセット Jr. の名演技はやはり胸を打たれる。 舞台となっている海軍士官学校の修了式、自分の上官となったかつての教え子を敬礼と敬語で送り出す毅然とした態度が印象に残る。

Mr. インクレディブル

買ったまま、しばらくほっておいた「Mr.インクレディブル」を見る。

Mr.インクレディブル [DVD]

妻が訪問した友人宅で、うちの息子がジャック・ジャックに似ているといわれたらしいので、どんなものなのかと思って見ることにしたのである。まあ、似ているといえば似ているのか …(笑)。

主人公は Mr.インクレディブルで邦題も「Mr.インクレディブル」。しかし原題は「THE INCREDIBLES」。つまり本当は「Mr.インクレディブル一家」もしくは「すげえヒーローたち」が主人公なのだろう。ともすると押し付けがましくなってしまう「家族の絆」というテーマをドライに描いているのはストーリーが練られているからなのだと思う。

ピクサーの作品群の中では小粒だが、やはり「ちゃんと作られている」。

こういった「スーパーヒーローは今!?」みたいな設定はその手のコミックやアニメで育ったアメリカの中年(?)に呼応するものがあるのだろう。「スーパースリー」(ボヨヨンのコイルとかバラバラのマイトとかスイスイのフリー)を連想してしまった私も中年?

スウィング・ガールズなどなど

スウィングガールズ プレミアム・エディション [DVD]

試写会の抽選に外れたので、すっかり見るのを忘れていた。DVD が発売されたところ、かなり評判がいいようなので買ってみることにした。買うとなると、やっぱりいちばん特典映像が収録されているプレミアム・エディション。すでに発売されたあとだったので入手できるかどうか心配だったのだが、行きつけのショップに在庫があったので無事入手できた。

まだ特典映像しか見ていないのだが、ちょっとした感想を。

オーディションで配役が決まったあとに特訓して撮影に望んだと聞いていたので、妙に演奏がうまかったりしたらうそ臭いなあ ….. といらぬ心配をしていたのだが「特訓四ヶ月」相当のサウンドだったので一安心(笑)。

技術的にはいくらでも注文をつけられると思うのだが、スウィングのノリなんかはかなり正統的だし、何よりも演奏者それぞれの自発性が感じられて「楽しさ」がストレートに伝わってくるのが魅力。多くの管楽器奏者にありがちな「吹奏楽部」的な価値観を打破してくれる爽やかさがある。変な先入観(例えばピッチは合わせなきゃいけないとか言われたとおりに演奏しなきゃいけないとか)がないのがかえっていいのかも。

管楽器の経験者にとっては、プレミアム・エディションにしか収録されていない東北地方からニューヨーク、ロサンゼルスにいたる各地でのライヴ演奏の様子が参考になると思う。

黛敏郎:シンフォニック・ムード

NAXOS の日本人作曲家シリーズ第12弾。とりあえず1曲目の《シンフォニック・ムード》しか聞いていないのだが … 黛の吹奏楽曲《トーンプレロマス’55》の解説などを見るとヴァレーズからの影響が大きいとあるが、比較的初期に書かれたこの作品のきらびやかなオーケストレーションはメシアンに近いものを感じる。《舞楽》は秋田南高校がコンクールで取り上げていましたね。

ジャケットは日本のシュルレアリズム画家である古賀春江(ちなみに男性です)の「海」。これも伊福部の時の青木繁「海の幸」のように黛の作風にマッチしているように思う。

戦前日本の名行進曲集~秘蔵名盤篇~

「戦前日本の名行進曲集」シリーズの最後の一枚が遅れて入荷。他の2枚は海軍軍楽隊篇、陸軍軍楽隊篇とそれぞれまとまっていたのだが、このCDは特に収録団体にこだわらずに貴重録音を集めている。どの音源がどのくらい貴重なのかはよくわからないのだが、1935年に録音された、ベルリン・フィルが演奏する《軍艦行進曲》はかなり珍しいのではないか。

What,Me Worry?

これもYMOのメンバーのソロアルバムラッシュから一枚だけ遅れて入荷連絡があったもの。

オセロ/ハムレット

そういえば買ってなかったなあ … ということで。リードの代表作《オセロ》と《ハムレットへの音楽》が収録されたアルバムを2枚まとめて再発したもの。価格もかなり安くなっている。

コンクールで演奏されているこれらの作品しか聞いたことがない人は、全曲を聞くとさぞかし驚くことだろう。《オセロ》の場合、取り上げられるのはだいたい1・3・4楽章だし、《ハムレットへの音楽》にいたっては第1楽章前半から第3楽章に飛んで再び第1楽章に戻ってくるという荒業、通称「天理カット」と呼ばれている構成に慣れてしまっているのではないか。どちらの曲も実は悲劇的な結末で重苦しく終わっているのである。

見初め聞き初め

今年もよろしくお願いいたします。

フーズ・ネクスト+7

なぜか今年の聞き初めはザ・フーの「フーズ・ネクスト」。リスニング・ルームで他の作業をしながら聞いていたのであまり細かい印象は残っていない。1曲目 の《ババ・オライリー》の冒頭のシーケンスがU2のギタリストであるエッジのプレイに影響を与えたと読んだことがあるが、なるほどそういう感じはある。

ゴッドファーザー [DVD]

時間的に余裕のある正月にしか見れない映画を見ることにした。 前にも書いたように、パート1とパート2を年代順に編集した「特別編集版」しか見たことがなかったのである。

初代ゴッドファーザーであるビト・コルレオーネ役のマーロン・ブランドの存在感も素晴らしいが、二代目のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ) が名実ともにゴッドファーザー(名付け親)となる場面、すなわちバッハの宗教曲(詳細不明。《パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582》らしい。)にのって神聖な洗礼の場面と殺戮の場面がモンタージュされるところがたまらなく好きである。

ちなみに、ここで洗礼を受けている赤ちゃんは当時生まれたばかりのソフィア・コッポラ(監督フランシス・フォード・コッポラの娘)だそうである。