月別アーカイブ: 2013年1月

そしてオーロラ

明日の早朝にアイスランドを発つので、いろいろな行動ができるのは今日が最終日となる。

まずは、ツーリストインフォメーションへ行ってオーロラ観測ツアーの再予約(ツアーに参加してオーロラを見られなかった場合にはもう一度無料で参加できる)を行い、明日の朝の空港へのシャトルバスの予約を行う。

アイスランドには鉃道がないので、バスが主要な移動手段になる。いろいろな観光ツアーに行くにしてもバスで行くことになるのだが、泊まっているホテル(我々の場合はアパートメントだが)まで小さなワゴンでピックアップにしに来てくれ、バスターミナルで大きなバスに乗り換えてツアーに出かけたり空港へ向かったりする。

その後はいろいろなお土産を物色。

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こちらは書店とCDショップが一緒になったようなお店。ここで見つけたCDたち。世界的にブレークしたビョークやシガー・ロスらのCDは世界中どこでも同じものが手に入ると思ったので、「アイスランドならでは」のちょっと気になるアーティストのCDを探してみた。

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かつて、教授のツアーメンバーとしてベースを弾いたこともあるスクーリ・スヴェリソン(Skuli Sverrisson)がサクソフォンプレーヤーのオスカル・グジョンソン(Oskar Gudjonsson)と組んだデュオ。スクーリはここではギターを弾いている。

“Early Birds” はエレクトロニカあるいはフォークトロニカ志向のバンドであるムーム(mum)のアルバム。最新アルバムなのだが「お蔵出し」的な過去の音源らしい。これを聞いてもこのバンドならではのサウンドは聞けないかも知れない。別のお店で彼らの代表作である「Finally We Are No One」を買う。これはアイスランドのみで流通している盤らしい。

 

 

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そのあと、自分たちに出す手紙を投函するために郵便局へ。イマジン・ピース・タワーに行った時に迷って買わなかった写真集が売られていたので買っておくことにした。

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さて、午後9時からいよいよ2回目のオーロラ観測ツアー。小雨が降っているが予報では徐々に雲が切れていくとのことなのでそれに期待することにする。観測地点についてからも時おり雨は降っていて、空も雲が晴れたりかかったりと安定しない。

が、何となく北の空に雲とは違う霞がかかっているように見え始めた。

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何枚か撮影して、撮影した画像を確認しながら、だんだんオーロラではないかという確信に変わってきた。

ちなみに、肉眼で見ても薄白く見えるだけで、写真で捉えたように緑色には見えない。また、画像の右側にあるオレンジ色の光はレイキャヴィク市内の灯りなので、これもオーロラの光ではない。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

2012年12月はまったく更新できませんでしたが、年が改まったのを機会に粛々と更新していきたいと思いますのでお付き合い下さい。

さて、2013年はアイスランドのレイキャヴィクで迎えた。

アイスランドでは12月31日の午後から公共交通機関は全て(とはいっても鉃道はないので公共交通機関はバスのみなのであるが)止まり、1月1日も全て止まっている。レストランなども開いているところは限られている。というか、やはりほとんど閉まっていると考えた方がいい。

事前の調査でこういう状況なのはわかっていたので、持ってきた餅で作ったお雑煮や焼き餅を食べて、ほとんど日本にいる時と同じような状況で部屋に籠ることにした。

12月30日に参加したオーロラ観測ツアーでは残念ながらオーロラが見られなかったので、もう一度無料でツアーに参加できる。1月3日に帰る我々としては、チャンスは1日か2日。天気予報を見るとどちらの日も雨だし曇天率が高いし、オーロラ予測を見ても活動はあまり活発でなさそうなので、見られる可能性はかなり小さそうなのであるが、1月2日の深夜に向けて雨は止んで少しは雲も晴れそうなので、1月2日のツアーに参加することにした。

というわけで、今日は特に予定なし。家族3人でテレビを見たり、読書をしたりしてまったりと過ごす。

息子は Disney Channel ばかり見ている。「フィニアスとファーブ」や「トムとジェリー」が気に入ったようだ。

私が読んだ本。

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クラシック音楽、特に日本の現代音楽についての片山杜秀さんの語り口が好きなのでその著作をたくさん読んでいるのであるが、本業はこちらの著作のような政治思想史である。

第二次世界大戦における日本の戦い方というと、無謀な精神論が先行ことによって悲惨な結果がもたらされたという見方が一般的なのであるが、日清/日露戦争から第一次世界大戦を経て、なぜそのような考え方が大勢を占めることになってしまったのかをわかりやすく説明している本である。

要するに、日本のように「持たざる国」が、資源や人的リソースが豊富な「持てる国」と戦争をするにはどうすればいいのか?ある時点までは、一方では「電撃戦で戦えるような形でしか戦闘を行わない」、もう一方では「日本が持てる国になるまで戦争を行わない」という至極真っ当な論調が交わされていたのであるが、それがいつの間にか精神論にすり替わっていってしまったのである。

片山氏の語り口はクラシック評論における場合と同じで、豊富な伏線を交えながら上記のようなことを(バックグラウンドがほとんどない私にとっても)わかりやすく説明してくれる。