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とりあえず解脱

マイレージを貯めるために特定の航空会社を利用することを「修業」、修業によってマイレージサービスの上のクラスになることを「解脱」というらしいですが、このたび無事ルフトハンザのフリークエントトラベラー、スターアライアンスでいうところのシルバー会員になることができました。

今年は年末年始の帰省に始まって、弟の結婚式、家族渡独のための引っ越し手伝いと日本へ帰る機会が多かったので早々と「解脱」する予定だったのですが、日本に帰った時のマイルがいつまで経っても加算されませんでした。オンラインでマイルの事後加算ができることを知ったので試してみたところ、「加算対象外の予約クラスのために加算できませんでした」というメッセージが出てしまいました。よくよく見てみると、例の火山騒動のために再予約を繰り返したところ、予約クラスが変わってしまって加算できなかったようです。ルフトハンザに電子メールで依頼して、今日めでたく加算が確認されたわけです。

以前は上級クラスのメリットとしてインボラアップグレードの可能性が増えることが楽しみで、実際ユナイテッド航空のプラチナメンバーだった時にはアメリカ出張の際の復路をほとんどアップグレードしてもらっていたこともありました。最近はエコノミークラスでの10時間のフライトも慣れたようで、それよりも手荷物の重量制限が多くなったりバゲージの PRIORITY タグのおかげで荷物が早く出てくることの方がうれしくなっています。

ドイツ赴任を機にユナイテッドのマイレージプラスからルフトハンザのマイルズ&モアに切り替えてマイルをためているのですが、こんなに日本に帰る機会が多いのであれば、ANA で貯めて SFC を目指せばよかったかなあ、とも思っています。

デンマーク日記その3: いちめんのなのはな

お昼ちょっと前にチェックアウト。レゴランドの近くにあるビルン空港にもレゴショップがあると聞いていたので行ってみることにしたのですが、レゴショップはセキュリティエリアの中でした、残念。

ふと見上げると、ここにもレゴで作られたオブジェが。

帰途。道路脇に広大な菜の花畑が見えます。主に菜種油を取るために育てられているらしいのですが、ドイツ(あるいはデンマーク)では食べないんですかね?おひたしにしたりパスタにいれたりして食べたいですが。

帰りしなハンブルク空港へ。今日は休日なので基本的にスーパーマーケットは開いていないのですが、ハンブルク空港の中にある EDEKA は開いているのだそうです … という情報を聞きつけて買い出しに来ました。うちから結構近いし、品揃えも不足ないし、価格も街中と同じだし、これからも重宝しそうです。

デンマーク日記その2: レゴランド満喫

そういうわけで、ホテル・レゴランドに2泊して、昨日と今日はレゴランドを満喫しています。

レゴランドは半分がアトラクション、半分がレゴで作られたジオラマというような構成になっています。いわゆる絶叫マシン系は少ないので小学校高学年くらいになると物足りなくなってしまうのかも知れませんが、幼稚園から小学校低学年くらいの年齢は見るもの乗るものがかなり楽しいのではないかと思います。

ジオラマはデンマークの名所を中心に世界中の風景が作られています。例によって少々中国風の味付けがされた日本の風景もあったりします。息子はやはり鉄道が行き来しているジオラマに張り付いていますが、かなり精巧に作られたジオラマをじっくり見て回るのも楽しいです。

宿泊したホテル・レゴランドはこんな感じです。窓の外にすぐレゴランドを臨むことができます。子供用のアメニティグッズもあったり。個人的には、いわゆる「Please make up room」のプレートが気に入りました。

デンマーク日記その1: 今度は三連休

5月24日(月)はPfingsmontag(聖霊降臨祭)という復活祭から数えて50日目の祝日となるため、おそらくヨーロッパの多くの国で3連休になります。

以前からこのあたりは家族が日本から来てそろそろ落ち着く時期かな、と考えていたので、デンマークのレゴランドに行くことを計画していました。レゴはその名の通りレゴにちなんだテーマパークです。実はドイツ国内(バイエルン州のギュンツブルク)にもレゴランドはあるのですが、国境を越えてデンマークへ行った方が近いし、何と言ってもデンマークのビルンにあるレゴランドはレゴ本社のお膝元にあり、初めて作られたものなのだそうです。

ハンブルクからだと、アウトバーンの7号線を北上して300kmくらいのところにレゴランドがあります。ほとんどが高速道路であるため、3時間ほどでたどり着くことができます。このあたりからだと日帰りする人もいるみたいです。

ちなみにドイツとデンマークの国境はパスポートコントロールもなく、税関申告が必要な車両以外は完全にフリーパスでした。

ウィーン日記その2: お墓参りなどなど

(鮮度が悪くなるといけないので書いたところまで公開するか …)

前回ウィーンを訪れたのは、10年近く前になります。その時は夏休みを利用してきたので演奏会はほとんど行われていませんでした。ということで、「黄金のキャベツ」で有名なセセッシオン(分離派会館)へクリムトが書いた「ベートーヴェン・フリース」を見に行ったり、ベルヴェデーレ宮殿へやっぱりクリムトの「接吻」を見に行ったり、ハイリゲンシュタットへ行きながらベートーヴェンゆかりのスポットには目もくれずにマーラーのお墓参りをして、帰りにホイリゲで飲んだくれたり、そういうことをやりました。

私も少しは大人になったので、マーラーの先達たちにも挨拶しておいた方がいいと思い(笑)、ウィーンゆかりの作曲家が多く眠る中央墓地へ行ってみることにしました。交通手段は「地球の歩き方」にわかりやすく書かれています。国立歌劇場前のトラム乗り場から少し東へ行ったシュヴァルツェンブルク(Schwarzenburg)から71番トラムに乗り、中央墓地の第2門(Zentralfriedhof Zweite Tor)で下車します。その墓地の中の「32A」という区域が音楽家たちの墓が集められているところで、教会に向かって歩けば左側に案内表示が出ているのですぐにわかります。

で、主な作曲家の墓をご紹介。順にブラームス、ヨハン・シュトラウス2世、シューベルト、ベートーヴェン、スッペ、ヴォルフです。

そして、これらの墓はモーツァルトの墓を取り囲むような形で配置されています。こんな感じ。

それから、ここの教会はユーゲントシュティールなデザインでした。中に入ったら老婦人と若い男性が礼拝席の左右に座って交唱をしているところでした。とても二人だけで歌っているとは思えないほど豊かに響き、しばし聞き入ってしまいました。

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ウィーン日記その1: ウィーンはいつもウィーン

そういうわけで、今日から2泊3日でウィーンヘ出かけます。

オーストリア航空の直行便。フォッカー100なんて初めて乗りました。順調に2時間ほどでウィーンに到着。気温17℃ということですっかり春らしい天気です。空港で「ウィーン・カード」を購入。3日間ウィーン市内の交通乗り放題+各種美術館の割引 … なのですが、空港は「ウィーン市内」ではないらしいので、このカードだけでは中心部へ行けません(不正乗車になります)、1.80ユーロの差額を購入するように、と言われました。空港からウィーン・ミッテ駅までは30分弱といったところでしょうか。そこから地下鉄U3に乗り換えると観光の中心である Stephansplatz 駅まで行けます。そこで地上に出るとシュテファン教会のすぐそばです。

このシュテファン教会から国立歌劇場までの目抜き通りがケルントナー通り (Kärntner Straße) です。今回のホテル「ホテル・カイゼリン・エリーザベト」はこのケルントナー通りから少し脇道に入ったところ。歌劇場まで徒歩圏内という立地に関わらず意外に安い値段で出ていたので予約してみたのでした。あとから「地球の歩き方」を見てみたら非常に由緒あるホテルで、リストやワーグナーなども泊まったことがあるのだそうです。まあ「王妃エリーザベト」という名前をホテルに冠する許可を正式にもらったらしいので言わずもがななのですが。部屋は改装したばかりのようですし、フロントのスタッフも気さくだったし、よくある「由緒あるホテル」のデメリットを全く感じなかったホテルでした。

チケットのピックアップを兼ねて、念のため国立歌劇場と楽友協会ホール(ムジークフェラインザール)の下見へ。歌劇場は通りをまっすぐ南下したところにあります。

国立歌劇場の近くには地下のモール、というかトラム乗り場へ行くための地下通路に売店がいくつかあるようなところがあるのですが、その公衆トイレは「オペラ・トイレ」ということで《美しく青きドナウ》が鳴り響いていました。あいにく中には入ってみませんでしたが …

さて、国立歌劇場のすぐ裏には「ザッハー・トルテ」で有名なホテル・ザッハーがあります。なので、ちょっとお茶を。カプチーノとザッハー・トルテをいただきました。

まあ、混んでいるのはわかりますが「牛丼屋か?」というくらいの客のさばき方です。ちゃんとしたカフェの方に行けばよかったかなあ … 私が入ったのは売店に付随している方でした。

さて、歌劇場からもうちょっと南下して東に行くとムジークフェラインザールがあります。それから帰りに見つけた広告塔。今日の公演も告知されています。

ホテルへ戻ってくる道すがら、寄ってみたかったのが楽譜屋さんの「ドプリンガー」です。

さすがにフルスコアの蔵書は多く、ずっと見ていても飽きません。おそらくウィーンゆかりかと思われる知らない作曲家の作品も多数ありました。さすがにウィーンの出版社である Universal Edition のスコアは比較的安いのでそのあたりを中心に「ウィーン記念」ということで、《シンフォニエッタ》(ヤナーチェク)、《ヴァイオリン協奏曲》(ベルク)、《パシフィック231》(オネゲル)のミニスコアを買ってみました。

ちょっと早い夕飯はホテルの隣りのレストランで。さすがに午後5時だと誰もいませんが(笑)、ちゃんとサーヴしていただきました。待望のヴィーナー・シュニッツェルを。ドイツでもシュニッツェルは食べられるのですが、多くの場合牛肉ではなく豚肉ですし、比較的厚めですし、何かしらのソースがかかっています。牛肉を薄く叩いたものにレモンを絞って … というやつを食べたかったのです。

かなりイメージ通りのものが食べられて満足でした。あ、ちなみに演奏会前に満腹になるのも嫌だったのでシュニッツェルはハーフポーションです。

演奏会については次のエントリーに続く。

フィンランド・エストニア日記(その3)

朝7:00起床。早々にホテルをチェックアウトして、8:00出発のヴァイキング・ラインでヘルシンキまで帰ります。船内のレストランでビュッフェスタイルの朝食を。(我々だけではありませんが)8:00 からだらだら食べて飲んで閉店時刻の 10:00 までレストランの中でうだうだしていました。(我々だけではありませんが)さすがに「閉店なので出て行ってくれ」と言われ、そのあとはフリースペースでまたうだうだ。そうこうしているうちに10:30くらいにヘルシンキに到着しました。

まずはフィンランド国立博物館へ行ってみました。フィンランドの国自体を知るためのいろいろな展示があったのですが、前提として国の歴史を知っていないとちょっと苦しいかも知れません。

その後、14:00からのシベリウス音楽学院内でのコンサートを聞きに行きました。とは言ってもクラスの発表会のようなもの。ごく内輪の発表会で聴衆は10人くらい。時間の関係で最初の2人だけ聞きました。なお、コンサートが行われたのはシベリウス音楽学院の本館ではなくて、レッスン用の建物のようでした。

二人ともバッハの《前奏曲とフーガ》(というか平均率クラヴィーア曲集)、それからベートーヴェンのピアノソナタを弾きます。これらは課題曲のような位置付けで先生から課せられたのではないかと推測されます。

最後の演目が「自由曲」ということになるのでしょうか、一人目はシューマンの《ピアノ協奏曲》(まあ、どうでもいい話ですが、ウルトラセブン最終回の名場面、モロボシダンが「僕はウルトラセブンなんだ!」と告白する場面で使われています。)オーケストラパートは友人(かな?)に弾いてもらって、二重奏の形で演奏されました。

二人目の自由曲はリゲティのピアノ練習曲集からの2曲。初めて聞きましたが面白い曲です。

そのあとはアパートに戻って帰るための荷物の用意。それからタクシーを呼んでもらってヘルシンキのヴァンター空港まで。あ、今さらですがアパートのある通りはこんな感じです。1ブロックの端から端まで続く大きなアパートが特徴なのだそうです。

Davidとはアパートの玄関で別れました。そういえばDavidは奥ゆかしいというかシャイというか、自分からは決して握手する手を差し出さないことをタクシーの中で思い出しました。以前、別れる時に「ちゃんと握手すればよかったなあ」と思ったのですが、またもや同じことを繰り返してしまいました。前回は次にいつ会えるのかわからないような状況だったので非常に後悔したのですが、今回はお互いに世界中のどこにいても簡単に会えそうな気がしたので、それほど大きな後悔はありませんでした。

空港でチェックインして搭乗口の待ち合いスペースの椅子に座ったとたんにどっと疲れが出て、体全体が一気にだるくなりました。今まで寒い中を歩き回っていたので体が緊張していたのかも知れません。

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今回の旅行で村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読了。(そういえばこの本を前回読んだのはサンフランシスコへの出張の道中だったような気がします)寒い世界で「世界の終わり」の方を読んでいるとかなり「あの世界」にひたれます。この作品、今まではラストが非常に切ないものだと思っていたのですが、今回読み直して実はハッピーエンドという考え方もできるのかなあ、とふと思いました。

以前、「ノルウェイの森」の冒頭にハンブルク空港への着陸シーンが出てくるとご紹介しましたが、この小説ではフランクフルトの観光ポスターが出てきたり、主人公がルフトハンザ航空の袋を持ってコインランドリーへ行ったり、登場人物の一人(「ハードボイルド・ワンダーランド」の博士)がフィンランドに行ってしまう設定になっていたりと、微妙なシンクロニシティを楽しめました。と、書きながら思い出したのですが、短編集「回転木馬のデッドヒート」の中に「レーダーホーゼン」という短編が収められています。レーダーホーゼンというのはドイツ人が履いている半ズボンのことで、登場人物がドイツ旅行中にレーダーホーゼンを作ろうとして … というストーリーになっています。村上春樹さん、実はドイツ好き?

フィンランド・エストニア日記(その2)&演奏会その32: アルヴォ・ペルト作品展

事前に David と電話で会話したときに「ヘルシンキからエストニアのタリンまで行く航路があるので、それでタリンに行くのも面白いかもね。」という提案を受けました。友人が訪ねてきた時に使う典型的な観光コースなのだとか。もともと、いわゆる旧ソ連に属していた国に対して、文化的な違いとか生活習慣の違いとかについて漠然とした興味を持っていたので、願ったりかなったりです。

昨日に引き続き、気温はマイナス20℃前後。David も「ヘルシンキに来てから、こんなに寒いのは初めてだ。」とか言っています。ただ、今日は特別なのかもしれませんがハンブルクに比べてさわやかに晴れ渡っています。ハンブルクの冬にこんな明るい日差しを見るチャンスはそうそうありません。

本当は街中を観光しながら港まで行って船に乗る予定だったのですが、昨晩のように寒さが半端ではありません。まずは地下鉄でヘルシンキ大聖堂を見に行きました。この大聖堂から船が出る港まで比較的近いので徒歩で。11:30発の船でタリンへ。

港から外海へ出るところにあるスオメンリンナの要塞群。世界遺産にも登録されていて、島全体が要塞のようになっています。

この季節なので当然海は凍りついているわけで、このように流氷をかきわけて船が進んで行きます。

ヘルシンキからタリンまでは約60km、船はそこを2時間30分ほどかけて進みます。エストニアはフィンランド湾をはさんでフィンランドと向かい合った国で、北はフィンランド湾、西はバルト海に面していて、東はロシアと、南はラトビアと国境を接しています。国の面積は九州より少し大きいくらいで、そこに130万人の人が暮らしているということです。言語はエストニア語(というのがあるんですよ)。文字列を見る限りフィンランド語に似ている感じがします。

というわけで午後2時頃にタリン到着。ヘルシンキより少しはましかな、というくらいの寒さです。船の中でだらだら食べたり飲んだりしていたので、お腹はあまり空いていません。とりあえず旧市街まで歩いてみることにしました。

遅めの昼食はエストニア名物らしいパンケーキのお店へ(そういえばシアトルでDavidにパンケーキをおごってもらったなあ)。ブルーベリーとクリームチーズが入った「甘系」と、ハムとチーズが入った「しょっぱ系」をシェアしました。

夕方になって(写真を撮り忘れてしまいましたが)聖ニコラス教会へ。ここには15世紀の画家バーント(ベルント)・ノトケが書いた「死の舞踏」があります。貴族と骸骨が並んで踊っているという不気味な絵です。この「死の舞踏」を題材にした絵はたくさんあるので、以前に本で見た絵がこれなのかどうかわかりませんが、とにかくこの手の宗教画は見た記憶がありました。

教会の中では何かコンサートのリハーサルが始まるような気配があったので、近くにいた女性にいた尋ねてみると午後7時からアルヴォ・ペルトの作品を集めたコンサートが行われるとのこと。チケットを尋ねてみるとここには1枚しかないとのこと。「エストニアの教会でペルトの作品を聞ける機会なんてなかなかないんだから聞きに行った方がいいよ」(ペルトはエストニア生まれの作曲家です)と David に言われ、ありがたくそのチケットを入手することにしました。彼はタリン在住の友人と時間を潰すということなので、コンサートが終わった後に連絡するということで別れました。

というわけで当日のプログラムですが … エストニア語です … 曲目はかろうじてドイツ語、ラテン語、英語などで書かれていますが …

  • 巡礼の歌(Ein Wallfahrtslied)
  • 来たれ、創造主よ(Veni creator)
  • 聖なる母よ(Most Holy Mother)
  • 交響曲第4番《ロサンゼルス》(エストニア初演)
  • 主よ、平和を与えたまえ(Da pacem Domine)

3曲目がアカペラ、4曲目がオーケストラのみ、それ以外の作品は合唱とオーケストラのためのための作品です。タイトルでわかるようにほとんどが宗教的な題材による作品で、最初の曲の演奏が始まってから最後の曲が終わるまで、曲間で一切拍手はありませんでした。なので、途中までどれがどの曲かわかりませんでした …

実はペルトというと、その作風は何となく想像できるのですが、実際によく聞いていたのは20年くらい前に購入した以下のCDでした。このCDには極度に抑制された編成や、中世音楽のスタイルを模した作風など、ストイックな作品が収められていてとても気に入っています。

Arvo Pärt: Arbos

この演奏会で取り上げられた作品は21世紀に入ってから作曲/改訂された作品が多く、上記のCDに収録されている作品に比べるとモダンな手法が取り入れられているというか、中世的な響きと現代的な響きが混在するような作品が多かったように思えます。上記のCDに収められている作品が好きな私にとって、こういう作風は中庸的というかペルトの持つ個性が薄められてしまっているのかなあ、と感じました。

ただ、交響曲第4番《サンフランシスコ》は、ペルトのいわゆる「前衛時代」に書かれた3曲の交響曲から実に40年近い時間を経て作曲されたという意味で興味があります。繰り返し聞くと印象が変わるのかも知れません。

あ、会場にはペルトも来ていました。

コンサートのあとで David と再び落ち合い、近くのホテルのバーでちびちびとお酒を。紹興酒のような飲み口のタリンのお酒と、エストニアのローカルビールである「SAKU」を飲みました。「タリンのように1000年近くも風景が変わらない街にいると、ペルトのように古い時代のまま時が止まったような音楽を書く気持ちがわかるような気がするね。」みたいな話をしながら。

フィンランド・エストニア日記(その1)

というわけでヘルシンキ在住の友人に会うための小旅行です。

多少のマイル修業のため、わざわざフランクフルト経由でヘルシンキへ。小腹が空いたのでフランクフルトの乗り継ぎで軽く食べたのですが …

フランクフルト→ヘルシンキ便で機内食が出ました。国際線だから?ちなみにグヤーシュです。

さて、私はほぼ定刻である午後6時ちょっと前に到着したのですが、オスロから David が乗ってくる飛行機が遅れているとのこと。結局到着したのは午後8時頃でした。

それからタクシーで彼のアパートへ行き、とりあえず荷物を置いて夕食を食べに行こうということになりました。私は厚手のセーターとマフラーと手袋を用意していったのですが「寒いから帽子もかぶっていた方がいいよ」とのこと。「帽子が似合わない男選手権」静岡県大会で第3位になった私なので、あまり気が進まず「大丈夫だと思うけど …」と言ってとりあえずやんわりと断ったのですが、「絶対必要だから」ということで強く勧められたので貸してもらったキャップをかぶって外に出ました。

はい。帽子は必須です。後で聞いたら外気温はマイナス20℃くらいだったそうです。特に浜松近辺に住んでいる方はマイナス20℃の世界はあまり体験したことがないと思いますが、こんな感じになります。(実はその昔お菓子屋さんでバイトしたことがあって、その時にマイナス30℃の冷凍庫に入ったことがあるのですが、同じような感じでした。)

  1. 顔が動かない。「寒い」と言うのもかったるくなります。キャップを目深にかぶって首に巻いたマフラーを口のあたりまで上げているのですが、やはりほっぺたや鼻の辺りは露出しているわけで、本当にこのあたりが動かなくなります。
  2. 息の滞空時間が長い。寒い時に「はー」っとやると息が白くなりますが、この白い息がしばらく消えません。何か顔のまわりにまとわりつくような感じでしばらく漂っているような感じです。
  3. 鼻の穴のまわりがチクチクする。半ば霜がついたような感じになるのでしょうか、鼻をすすると鼻の穴のまわりがチクチクします。痛くはないのですが。

というわけで、一応カメラは持って行ったのですが、カメラを取り出して撮影するだけの気力が出ません。ですので、この日は写真がありません。ご了承下さい。

まずは、アパートの近くにあるテンペリアウキオ教会へ。この教会は岩をくり抜いて作られたことでとても有名です。中ではコンサートをやっていますが、もう終盤だったためか、勝手に客席に入って聞くことができました。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を10分ばかり聞きましたが、やはり室内楽を聞くには少し残響が多過ぎるかなと思いました。もう少し早く来ることができればフォーレの《レクイエム》などを聞くことができたのですが。

その後、近所のロシア料理屋へ。体を中から暖めないといけないということでまずはトロトロに冷やしたウォッカと、メインはビーフストロガノフを。そういえばハンブルクでは今のところロシア料理屋を見かけていません。(余談。後日、会社での食事時に「昔ドイツとロシアは仲が悪かったからドイツにはロシア料理屋がないって聞いたんだけど …」と話を振ってみたら「そもそも、ロシアは誰とも仲悪いんじゃないの?」と返されてしまいました。)

日本→ドイツ

ドイツから日本へ帰るのが帰国なのか、日本からドイツへ帰るのが帰国なのか、よくわからなくなっていますが、あっという間に日本での滞在期間が終わり、ドイツへ帰る日になりました。

妻と息子がセントレアまで送ってくれるとのことなので、新幹線→名鉄ミュースカイを乗り継いでセントレアまで。オンラインでチェックインができるようになったので搭乗手続きにかかる時間がかなり短縮されたのは喜ばしいのですが、セキュリティチェックと出国手続きには相変わらず時間がかかります。年末にテロ未遂事件があったのでなおさら。折り返しの待ち行列に並んでいるので見送ってくれる息子の視界からは時々消えてしまうのですが、それでも行列の間から私の姿が見えると息子はいつまでも手を振ってくれます。10日後にはまた日本に帰ってくるので今回はそんなに感傷的になりません。

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機内ではマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見ました。面白いことは面白かったのですが、やはりこういう「遺作」には何かしらの不完全感が付きまとってしまいます。他の例を探すとブルース・リーの「死亡遊戯」とかジョン・レノンの「ミルク・アンド・ハニー」とかになるのでしょうか。それほどマイケル・ジャクソンに対する思い入れがない(つまり、この作品が「最後」であることに大きな意味づけを行えない)私にとって、もう決して見ることができなくなってしまった完成版を見ることなしに、この「不完全版」を見てもそれほど大きな感慨はありません。追悼番組などで見た「完成版」としての過去のステージの方がはるかにインパクトは強かったです。

それから、先日買った山口百恵さんの「蒼い時」を一気に読了。クロニクル的に彼女のキャリアを振り返っているのではないかという期待とのギャップもあったのですが、意外に内容は「普通」でした。特に前半に書かれている自身の出自とか性についての独白は出版当時はセンセーショナルだったのでしょうが、それ以降は率直に言って平凡。残間里江子さんがプロデュースしたとありますが、文章自体の構成や売り方についてのプロデュース力がモノを言ったのではないかと思います。

そうこうしているうちにフランクフルト空港に到着。ちゃんと機内の乗り継ぎ案内でフランクフルトからハンブルクへの乗り継ぎ便が表示されていたにもかかわらず、空港内の案内を見るとキャンセルされていました。どうもフランクフルト付近の豪雪のせいで、フランクフルト発のフライトが軒並みキャンセルされていたようです。

チェックインカウンターに並んでからハンブルクへの代替便のチケットをもらうまで4時間かかりました。午後4時30分に列に並んで私の順番が来たのが午後8時30分。今にして思えばハンブルクまで飛びそうなフライトの搭乗ゲートに行ってごねた方が早く帰られたかも知れません。結局その代替便もディレイしてハンブルクに到着したのは午後11時過ぎ、Sバーンに乗ってアパートに到着したのは午前0時を回っていました。

余談ですが … アパートに日本人が住んでいるらしいことは知っていたのですが、今日初めて会うことができました(笑)。どうやら同じフランクフルト→ハンブルク便と同じSバーンに乗っていたようです。彼はアパートの西方面から、私はアパートの東方面からお互いにばかでかいスーツケースを押してきてアパートの入口でばったり会いました。日本からのフライトは成田発だったそうなので、私より2時間以上フランクフルトに足止めを食っていたことになります。