日別アーカイブ: 2013 年 2 月 18 日

帰国内示

社長からミーティング参加依頼のメールが入った。「Personal」というタイトルだったので、ほぼ何が告げられるか見当がついていて、実際に想像した通り日本へ帰任することが決まったことを(社長の言葉を借りれば)「非公式に」「公式に」告げられた。もちろん、公式にできるのは辞令が発行される4月1日以降なのであるが。

「とりあえず3年」と言われてドイツに来てからすでに3年以上経過しているし、日本に出張した時にも「まあ、このプロジェクトが終わったら帰国かな?」という話もされたし、いつ帰任命令が来ても大丈夫なように心の準備はしていたのだが、やはり実際にその命令を聞いても、心の整理がつかない。

会社にいる時には、やらなければいけないことがたくさんあったのでそちらに没頭していたのだが、帰途につくために車に乗って一人になったとたんに、本当にいろいろなことがさめざめと思い出されてきた。

4年も住んでいれば、街のいたるところが記憶の中に刻み込まれるようになる。また、それと同時に私という存在の痕跡が街のいたるところに刻み込まれているように感じる。もちろんそれは街だけではなく、街に住む人々についても同じなのではないかと思う。息子の友人や、その家族や、妻のドイツ語の家庭教師の先生や、よく行く美容院やレストランの店員さんや、そういった人たちの中にも、好むと好まざるとに関わらず、また意識しているのか無意識なのかに関わらず、私の痕跡が刻み込まれ、私の記憶の中にも彼らの存在が刻み込まれる。

そういったものたちがこの街に確かに存在することがはっきり感じ取れるにも関わらず、それから引き離されてしまうことに強い悲しみを感じるのだろう。

もちろん、そういった思い出はいつか消えてしまうことがわかっている。しかし、それらの思い出を封じ込めたメールや写真やビデオなどを見るにつけ、私はこの街に住んでいたことを思い出すのだろう。いつかは朽ち果てるかも知れない私の痕跡がこの街に残っていることを願って思い出すのだろう。

いつかは帰らなければいけないのだ。それが「今である」必然性はないのかも知れないが、「今でなければいけない」必然性もあるのかも知れない。そう思うことにする。

All those moments … will be lost … in time … like tears in rain …