日別アーカイブ: 2011 年 7 月 13 日

女子ワールドカップ準決勝「日本対スウェーデン」

いよいよ女子ワールドカップも準決勝。

「日本対スウェーデン」の試合は日本人学校でパブリックビューイングが行われた。昨年の男子のワールドカップの「日本対デンマーク」戦以来である。前回はグループリーグだったのである程度前から試合日程がわかり、パブリックビューイングの用意もしやすかったのだろうが、今回は決勝トーナメント。日本の準決勝進出が決まったのが土曜日の深夜なので、具体的なプランがスタートしたのはおそらく週明けの月曜日、日本人会のメーリングリストを通して開催が通知されたのが前日である火曜日の午後だった。フットワークの軽さに頭が下がる。

試合開始が午後8時45分。90分で決着がついても試合終了は午後11時くらいになってしまうので、我が家では息子に昼寝をさせてパブリックビューイングにのぞんだ。

澤のパスミス(だよね?)から1点取られてしまい、その後はボール回しが消極的になって少し心配したが、いい時間帯に同点に追いついて立て直すことができた。

あとから思い出して気付いたのだが、日本は相手選手とのコンタクトを極力避けているのか?ほとんどどこの国の選手も体格的には大きいので当たり負けするリスクがあるからだろうか、早めに細かいパスを回して攻撃パターンを作っているように見える。(そのあたりがFCバルセロナに例えられる所以なのかなあ)ただ、この1点目のゴールシーンだけはハードコンタクトも辞さない覚悟で縦に入っていって、結果として、もみ合ってつぶれるような形でゴールが生まれたのが印象的だった。

そのあとはほとんど日本ペース。まったく負ける気がしない。(ううん、それを考えるとイングランド戦の内容は何だったんだろう?)

ドイツ国内で試合を放送していた ZDF では、試合前に日本の様子が流されていた。地震で被災された人たちを取材し、日本チームの活躍がそれらの人たちを勇気づけているという内容だった。個人的にこういう恣意的かつ短絡的な決め付けにはとても違和感を感じる。ナショナリズムとか使命感とか、そういうものとは関係なく、このチームのサッカーは見ていてとても楽しい。そういったものが彼女たちのモチベーションになっていたとしても、それはプレーそのものとは関係ない。

とはいえ、日本が優勝した暁には、このチームに国民栄誉賞をあげても全然問題ないのではないかなあ、と思った。過去の受賞者を見るにつけ。

NHK「現代の音楽」アーカイブシリーズ

最近停滞気味の「日本作曲家選輯」シリーズにかわって NAXOS がリリースを開始したNHK「現代の音楽」アーカイブシリーズ。

今日、その第1弾として矢代秋雄と三善晃がリリースされた。

どうやって入手しようかと考えていたのだが、リリース日に Naxos Music Library で聞ける(しかも日本語版ではなくインターナショナル版で)のにはかなり感動した。当該ページから読むことができるPDF版ブックレットのページ順がばらばらなのはご愛嬌か(笑)。

とりあえず三善晃を聞く。「合唱三部作」といわれる3作品のうち、第1作《レクイエム》と第2作《詩篇》の初演音源が収められている。ちなみに第3作となる《響紋》の初演音源はカメラータから出ている「民音現代作曲音楽祭 ’84」や廉価版の「コンテンポラリー・アーカイヴズ」で聞くことができる。また、この3部作は以前ビクターからライブ音源が出ていた … が、あまり録音がよくなかったので作品を味わうにはちょっと物足りないところがあった。

今回の録音は時期が古い(《レクイエム》は1972年、《詩篇》は1979年)わりには意外とクリアである。上記ビクター版は現在手元にないので一概に比較はできないのであるが、今回のリリースの方が聞いていて面白かった。とはいえ、やはりこれらの作品の持つ音響の情報量を十分には捉えきれていない感じ。

ふだん合唱と管弦楽という編成を聞き慣れていないのでひょっとして外しているかも知れないし、この作品の編成上仕方がないことなのかも知れないけれど、合唱はもう少しクリアに聞こえるべきだと思う。言葉自体の発音にしても、オーケストラとのバランスにしても。特に《詩篇》は《レクイエム》に比べて激しい表現の箇所が多いので、そのあたりは「ごちゃごちゃしたオケと一緒に何か絶叫している」くらいの解像度でしかないのだ。もう少し歌詞を読み込んだり曲を聞き込んだりすれば解決される問題なのだろうけど、この曲を理想的な音像で聞いたらさぞかし感動するのだろうなあ。もっとも、これは生演奏でしか体験できないことなのかも知れないし、録音に求めるのは幻想なのかも知れないけど。

それはさておき、これらの作品(《響紋》も含めた合唱3部作)は三善晃の死生観を具現化したものとして知られている。彼のような年代(1933年生まれ)の人にとって死生観は第二次世界大戦の体験と結びついているのだろう、歌詞としてもそれらが題材として採られているし、曲調的にも私がそういった時代の映像を見る時に感じる何か曖昧模糊とした抑圧されたようなものを感じるのである。

例えば初期の《交響三章》などからは、彼が留学していたフランスの音楽からの影響がうかがえるのであるが、この合唱3部作からは日本人でなければ書けなさそうな(=他の民族の人からは受け入れられそうにない)メンタリティを感じるのである。

ええと、矢代秋雄はこれから聞きます。