日別アーカイブ: 2006 年 2 月 23 日

交響曲とは何か

今年の定期演奏会で某作曲家の某交響曲を指揮することになった。 (確か、来月発売のバンドジャーナル誌でカミングアウトすることになると思うので、公表はもう少しお待ちを …..)

以前の日記にも書いたが、アナリーゼする気が失せるほど汚いスコアなので、自分のために Finale で浄書している。 見た目もすっきりするし、音符を打ち込むながら和音などを耳で確認できるので、これは有効な手段だ。

で、楽譜を打ち込みながら、いったい「『交響曲』って何だろう?」と考えるようになった。 ギャグのような扱われ方をしているが、「作曲者が『交響曲』だと言えば『交響曲』だ」という定義は、ある意味正しいのだと思う。

でも、交響曲を語る上で避けては通れない、あるいは規範にすべきなのは、やはりベートーヴェンが作り上げたソナタ形式の構成感なのではないかと思う。 交響曲と名乗るということは、そのベートーヴェンが作り上げた構成感からの距離の表明なのだと思う。

例えばブラームスのようにベートーヴェンの世界をどう継承していくかという表明、ショスタコーヴィチのようにベートーヴェンの影がギリギリ見えるところまで遠ざかってみるという試み、そういう明確な世界観があるからこそ交響曲と名乗っているのではないか。

今回取り上げる交響曲へのアプローチとして、とりあえず出した結論がこれである。 そういった目で見ても、この交響曲は実に味わい深い。 私も、バンドも、こういった絶対音楽に触れる機会が少なかったので、どんな演奏ができるか、非常に楽しみである。