月別アーカイブ: 2002年12月

浜松交響楽団第53回定期演奏会

プログラムはリヒャルト・シュトラウスの《ドン・ファン》とブルッフのヴァイオリン協奏曲とホルストの《惑星》。《ドン・ファン》はやはり弦が大変そう。 もうちょっと余裕がないと匂い立つような響きが出てこないのではないだろうか。一生懸命演奏しているという感じの方が先に出てしまっている。ブルッフは ….. うぅん、初めて聞いたけどこういう曲はちょっと苦手。《惑星》はかなり表現がダイナミックでわかりやすかった。特に「土星」あたりはCDで聞いていると必 ず眠くなってしまうのだが(笑)、この演奏で面白さを再確認できた。全曲を通してフルートパートのアンサンブルの確かさが目立っていたように思える。アン コールの《スター・ウォーズ》にはびっくり。

浜松ウィンドオーケストラ第2回定期演奏会

都合により第3部の《青銅の騎士》(グリエール)しか聞けなかった。ううん、全体的に未整理という感じ。特にバレエ音楽は短い曲で構成されているか ら、各曲の音楽的なストーリー(バレエの筋という意味ではなく音楽的な起伏という意味で)を考えないとただ曲を並べただけになってしまう。

サウンドとしてはクラリネットとサクソフォンのアンサンブルによるバランスがよい。ここが中心になった時には充実した響きがする。サポートスタッフとして協力していますし、お互い切磋琢磨してがんばりましょう。

SKETCH SHOW

SHIBUYA-AX で行われた「SKETCH SHOW」のライブを見に行く。 CD では電子音主体の音作りが目立っていたのであるが、ライブではやはりアコースティックな面が強調される。サポートメンバーとして参加している小山田圭吾の ギターの存在感は決して小さくない。終電に間に合うように残念ながら途中で帰ってしまったのであるが、特に前半のルーツ・ミュージックっぽいまったりとし た雰囲気がいい意味で期待を裏切ってくれた。まさかユーフォニアム(とコルネット持ち替え)が編成に含まれているとは。

ロンドンBBCポップスオーケストラ

そういうわけで、「コンプリート・モントルー」を買って以来、少しマイルスにはまっています。マイルス・デイヴィス本人あるいは共演者など周辺にいた人へ のインタビューを通してマイルスの生涯を追うという本。クインシー・トループの「自伝」より本当のことが書かれているかも知れないという罠(笑)。

マイルス・デイヴィスの真実

ロンドンBBCポップスオーケストラを聴きに行く。全く聴きに行くつもりはなかったのだが、妻の知人が急遽行けなくなったということでチケットを譲ってもらった次第。席はバラバラだったのだが、私の隣に座ったのは同じ吹奏楽団の団員だった(笑)。

第1部はジョン・ウィリアムズの作品を中心とした映画音楽(《利家とまつ》も)、第2部はプロムスの再現ということで、ウォルトン、エルガー、RVWからビートルズまでイギリスの作曲家を中心としたプログラム。

率直に言って期待していた以上に楽しめた。よくよく考えてみると、オーケストラの演奏会でよく取り上げられる古典的なレパートリーに比べれば、映画 音楽などの方が遥かに管楽器が活躍するのである。弦楽器奏者も少ないので(例えば第1ヴァイオリンは8人だったので通常編成の半分?)、それぞれの管楽器 の音色を楽しむことができた。金管の強奏はかなり鳴らしていたのであるが、決してうるさくなく包み込むようなやわらかい響きだったのはイギリスならではの 鳴らし方だったのかな?木管は3管、金管はそれぞれトップにアシをつけていたようだ。木管はアルト・フルートやコントラ・バスーンがかなり活躍し、木管だ けのアンサンブルの部分でも充実した響きがあった。

吹奏楽的にはウォルトンの戴冠式行進曲《王冠》や、RVWの行進曲《海の歌》を聴けたのが収穫。このあたりの曲や《威風堂々第1番》などはもっと厳かに演奏されるのかと思ったら、行進曲っぽい拍子感を大事にし、あっさりとしたフレーズの歌わせ方だった。

あと、日本(というか浜松かな?)では、こういうセミ・クラシック的なコンサートに対して聴衆がどう振舞えばいいのか戸惑いがあるように思える。コ ンサートの後半では演奏者もリラックスしてきて(トロンボーン奏者は小さなユニオン・ジャックを振りながらスライドを動かして演奏していたし(笑))手拍 子なんかも自然に起こってきたのであるが、それまでは「一緒に演奏を楽しむべきか」「神妙に演奏を聞くべきか」という葛藤に多少居心地の悪さを感じた。日 本人の司会者を立てるだけで、このへんはかなり楽しいステージになると思うのだが。

5年くらい前にロンドンでロンドン交響楽団のニュー・イヤー・コンサートを聞いたことがあるのだが、指揮者はいろいろなおしゃべりをするし、子供は指揮台にあがるし、聴衆は歌を歌わせられるしで、演奏者と聴衆が一体になっていたということを思い出した。