演奏会その9: ハンブルク・バレエ(バレエ・リュスへのオマージュ)

今日はハンブルク歌劇場デビュー戦。念願のハンブルク・バレエの公演です。ドレスデンに出張した時に見たジョン・ノイマイヤー振り付けによるドレスデン・バレエが面白かったので、ぜひ本場のハンブルク・バレエを見てみたかったのです。

ライスハレでの演奏会などは午後8時から始まることが多いのですが、この公演は午後7時開演。なぜならば、全公演時間が休憩込みで3時間を超えているからです。午後5時に退社して、アパートで着替えて、電車でハンブルク歌劇場に向かいました。今さらですが、ライスハレやハンブルク歌劇場で行われる多くの公演ではチケットが切符代わりになっていて、往復分の電車/バスの料金は公演チケットに含まれています。特にハンブルク歌劇場は駐車場を見つけにくいし、そもそもSバーン/Uバーンの駅に近いし、今日はビールを飲みたいし、ということで電車で行くことにしました … が、急いでいたので電車を間違えてしまいました。S1 に乗らなければいけないところを S11 に乗ってしまい、中央駅を過ぎたら別の駅(Dammtor)に。地図を見るとそこからでも歩いていけそうなのですが、初めての道はちょっと心配。リスクを減らすためにちゃんと中央駅まで戻り、U2 で最寄り駅の Gänsemarkt まで。グビっとやろうと思ったのですが、全然時間がありません。とりあえずカプチーノとブラウニーをお腹に入れて空腹をしのぐことにしました。(ベルリンフィルの時と同じパターン)

Hommage aux Ballets Russes

DER VERLORENE SOHN
MUSIK: Sergej Prokofjew
CHOREOGRAFIE: George Balanchine
BÜHNENBILD UND KOSTÜME: Georges Rouault

LE PAVILLON D’ARMIDE
MUSIK: Nikolai Nikolajewitsch Tscherepnin
CHOREOGRAFIE: John Neumeier
BÜHNENBILD UND KOSTÜME: John Neumeier

LE SACRE DU PRINTEMPS
MUSIK: Igor Strawinsky
CHOREOGRAFIE: Millicent Hodson, inspiriert von Vaslaw Nijinsky
BÜHNENBILD UND KOSTÜME: Nicholas Roerich rekonstruiert von Kenneth Archer

まずはプロコフィエフ作曲の《放蕩息子》。プロコフィエフの交響曲第4番はこのバレエ音楽の素材に基づいているそうです。また、このバレエは1928年にバレエ・リュスの主宰者であるセルゲイ・ディアギレフが没する3ヶ月前に初演され、結果的にバレエ・リュスが上演した最後の作品になりました。振り付けはジョージ・バランシン。後に書くように、もうバレエ・リュスにニジンスキーはいません。

家族との生活に不満を持つ「放蕩息子」が家を飛び出し(第1幕)、異国で妖精に誘惑されて全てを失い(第2幕)、自分の愚かさを思い知って家に帰り、父親の腕の中に抱かれる(第3幕)というあらすじです。ストーリー的に、第1幕はかなり奔放、第2幕はコミカル、第3幕は厳か、という感じです。ほとんど妖精役のダンサー(アンナ・ラウデレ(Anna Laudere))の演技を見ていました。素晴らしかったです。

演目2つ目はニコライ・チェレプニン作曲の《アルミードの館》。ちなみに伊福部昭さんなどと関連が深いアレクサンドル・チェレプニンはニコライの息子です。この作品は1909年のバレエ・リュス旗揚げ時(@パリ・オペラ座)に初演された作品です。この作品は初演時のオリジナル版ではなく、ジョン・ノイマイヤーが新しく振り付けを行い、今年の6月に初演したばかりのものです。

ノイマイヤーはこれ以前にショパンやリムスキー=コルサコフの音楽を使ってニジンスキーの生涯を描いた《ニジンスキー》というバレエも作っていますが、この《アルミードの館》はその続編に当たる作品です。

ニジンスキーは1909年のバレエ・リュス旗揚げ時から参加して名声を得ますが、1913年の《春の祭典》初演後にバレリーナであるロモラと結婚したことからディアギレフの怒りを買い、バレエ・リュスを解雇されます。(ディアギレフとニジンスキーは同性愛の関係があったという説もあります)その後、精神衰弱によって1919年から精神病院に入院することになり、結局それ以降バレエ・ダンサーとして復帰することなく亡くなります。結局、ダンサーとしてのキャリアは10年あまり、60年の人生のほぼ半分を精神療養に費やしたことになります。

このバレエの舞台はニジンスキーが入院しているサナトリウムなのですが、その現実世界とニジンスキーが回想する過去とが複雑に交錯する構成になっています。初演時のオリジナル版《アルミードの館》はその回想の中の劇中劇のような形で登場します。この時、ニジンスキーは主役ではなく奴隷役のパ・ドゥ・トロワの一員だったそうで、もちろんこのパ・ドゥ・トロワも登場しますし、このバレエでなく他のバレエ《オリエンタル》でニジンスキーが踊った「シャムの踊り」も登場します。また、バレエ学校に通っていた頃の少年ニジンスキーも登場します。

その他にも、現実世界ではニジンスキーの妻であるロモラが回想の中ではバレエの主役のアルミードとして登場したり、現実世界でのサナトリウムの医師が回想の中ではバレエ・リュスの主宰者ディアギレフとして登場したりして、微妙に現実と回想がオーバーラップしています。

… と、後から調べて以上のようなことがわかりましたが、他にもいろいろなネタが仕込まれているのではないかと思います。

とても複雑な構成を全て消化できているわけではないのですが、とにかく、輝かしい過去を回想しながらも、過去の自分と全く噛み合うことができないニジンスキーに、とても切ないものを感じました。過去の自分の踊りに加わろうとしてなかなか加われない、というか、全く別物としてしか機能していないのがうまく踊りで表現されていたと思います。

ラストシーンでは、自分が着ているジャケットを脱いでバレエ学校時代の自分に着せ、ほとんど何も身につけていない姿で静かにゆったりとしたソロを踊ります(これもきっと何かのバレエからの引用なのでしょうね)。そして《春の祭典》の冒頭のファゴットソロが流れる中で幕となります。

これを見ると《ニジンスキー》も見たくなります。

そして最後の演目はストラヴィンスキーの《春の祭典》。この作品はニジンスキーの振り付けによるものなのですが、上に書いたようにその直後にニジンスキーがバレエ・リュスを解雇されたために、このバレエは8日間しか上演されませんでした。ほとんど忘れ去られていた振り付けをミリセント・ホドソンが復元したものが1987年に蘇演されました。詳細は Wikipedia をご参照下さい。また上演に際しては、このページにあるニコライ・リョーリフの背景画が使われました。もちろん、今日の上演でもそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AE%E7%A5%AD%E5%85%B8

ベジャールやノイマイヤーの振り付けによる《春の祭典》を見てしまうと、この初演版は何とものどかです。(日本に持ってきたら小山清茂さんや伊福部昭さんあたりの曲が似合いそうな題材です。)ロシアの民族衣装を着たダンサーたちが踊り、第1部では敵の部族との争いを、第2部では神に捧げる生け贄の乙女の選出と、その生け贄の踊りが描かれます。まあ、当たり前ですがストラヴィンスキーによる表題通りのストーリーが展開されます。最後の生け贄の踊りだけがソロで、それ以外はほとんどグループによる踊りになっています。

いや、しかし、フルート(アルト・フルートかな?)は派手に間違えましたな(苦笑)。最後の tutti の一撃の前にフルート属だけが上昇形のパッセージを演奏するのですが、一人出遅れて時間差で演奏してしまいました。そのために最後の tutti までに微妙な間が空いてしまいました。指揮者が何とか合わせようとしたんでしょうね。(第1部「春のきざし」でもアルト・フルートのソロが1〜2小節飛び出していたような気がします。)あと、何だっけ?第1部「敵の部族の遊戯」のクライマックスでギロが使われているはずなのですが、これも聞こえませんでした。版の違い?

ということで、ちょっと締まらない公演になってしまいました。

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