2010フィンランド/エストニア」カテゴリーアーカイブ

フィンランド・エストニア日記(その3)

朝7:00起床。早々にホテルをチェックアウトして、8:00出発のヴァイキング・ラインでヘルシンキまで帰ります。船内のレストランでビュッフェスタイルの朝食を。(我々だけではありませんが)8:00 からだらだら食べて飲んで閉店時刻の 10:00 までレストランの中でうだうだしていました。(我々だけではありませんが)さすがに「閉店なので出て行ってくれ」と言われ、そのあとはフリースペースでまたうだうだ。そうこうしているうちに10:30くらいにヘルシンキに到着しました。

まずはフィンランド国立博物館へ行ってみました。フィンランドの国自体を知るためのいろいろな展示があったのですが、前提として国の歴史を知っていないとちょっと苦しいかも知れません。

その後、14:00からのシベリウス音楽学院内でのコンサートを聞きに行きました。とは言ってもクラスの発表会のようなもの。ごく内輪の発表会で聴衆は10人くらい。時間の関係で最初の2人だけ聞きました。なお、コンサートが行われたのはシベリウス音楽学院の本館ではなくて、レッスン用の建物のようでした。

二人ともバッハの《前奏曲とフーガ》(というか平均率クラヴィーア曲集)、それからベートーヴェンのピアノソナタを弾きます。これらは課題曲のような位置付けで先生から課せられたのではないかと推測されます。

最後の演目が「自由曲」ということになるのでしょうか、一人目はシューマンの《ピアノ協奏曲》(まあ、どうでもいい話ですが、ウルトラセブン最終回の名場面、モロボシダンが「僕はウルトラセブンなんだ!」と告白する場面で使われています。)オーケストラパートは友人(かな?)に弾いてもらって、二重奏の形で演奏されました。

二人目の自由曲はリゲティのピアノ練習曲集からの2曲。初めて聞きましたが面白い曲です。

そのあとはアパートに戻って帰るための荷物の用意。それからタクシーを呼んでもらってヘルシンキのヴァンター空港まで。あ、今さらですがアパートのある通りはこんな感じです。1ブロックの端から端まで続く大きなアパートが特徴なのだそうです。

Davidとはアパートの玄関で別れました。そういえばDavidは奥ゆかしいというかシャイというか、自分からは決して握手する手を差し出さないことをタクシーの中で思い出しました。以前、別れる時に「ちゃんと握手すればよかったなあ」と思ったのですが、またもや同じことを繰り返してしまいました。前回は次にいつ会えるのかわからないような状況だったので非常に後悔したのですが、今回はお互いに世界中のどこにいても簡単に会えそうな気がしたので、それほど大きな後悔はありませんでした。

空港でチェックインして搭乗口の待ち合いスペースの椅子に座ったとたんにどっと疲れが出て、体全体が一気にだるくなりました。今まで寒い中を歩き回っていたので体が緊張していたのかも知れません。

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今回の旅行で村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読了。(そういえばこの本を前回読んだのはサンフランシスコへの出張の道中だったような気がします)寒い世界で「世界の終わり」の方を読んでいるとかなり「あの世界」にひたれます。この作品、今まではラストが非常に切ないものだと思っていたのですが、今回読み直して実はハッピーエンドという考え方もできるのかなあ、とふと思いました。

以前、「ノルウェイの森」の冒頭にハンブルク空港への着陸シーンが出てくるとご紹介しましたが、この小説ではフランクフルトの観光ポスターが出てきたり、主人公がルフトハンザ航空の袋を持ってコインランドリーへ行ったり、登場人物の一人(「ハードボイルド・ワンダーランド」の博士)がフィンランドに行ってしまう設定になっていたりと、微妙なシンクロニシティを楽しめました。と、書きながら思い出したのですが、短編集「回転木馬のデッドヒート」の中に「レーダーホーゼン」という短編が収められています。レーダーホーゼンというのはドイツ人が履いている半ズボンのことで、登場人物がドイツ旅行中にレーダーホーゼンを作ろうとして … というストーリーになっています。村上春樹さん、実はドイツ好き?

フィンランド・エストニア日記(その2)&演奏会その32: アルヴォ・ペルト作品展

事前に David と電話で会話したときに「ヘルシンキからエストニアのタリンまで行く航路があるので、それでタリンに行くのも面白いかもね。」という提案を受けました。友人が訪ねてきた時に使う典型的な観光コースなのだとか。もともと、いわゆる旧ソ連に属していた国に対して、文化的な違いとか生活習慣の違いとかについて漠然とした興味を持っていたので、願ったりかなったりです。

昨日に引き続き、気温はマイナス20℃前後。David も「ヘルシンキに来てから、こんなに寒いのは初めてだ。」とか言っています。ただ、今日は特別なのかもしれませんがハンブルクに比べてさわやかに晴れ渡っています。ハンブルクの冬にこんな明るい日差しを見るチャンスはそうそうありません。

本当は街中を観光しながら港まで行って船に乗る予定だったのですが、昨晩のように寒さが半端ではありません。まずは地下鉄でヘルシンキ大聖堂を見に行きました。この大聖堂から船が出る港まで比較的近いので徒歩で。11:30発の船でタリンへ。

港から外海へ出るところにあるスオメンリンナの要塞群。世界遺産にも登録されていて、島全体が要塞のようになっています。

この季節なので当然海は凍りついているわけで、このように流氷をかきわけて船が進んで行きます。

ヘルシンキからタリンまでは約60km、船はそこを2時間30分ほどかけて進みます。エストニアはフィンランド湾をはさんでフィンランドと向かい合った国で、北はフィンランド湾、西はバルト海に面していて、東はロシアと、南はラトビアと国境を接しています。国の面積は九州より少し大きいくらいで、そこに130万人の人が暮らしているということです。言語はエストニア語(というのがあるんですよ)。文字列を見る限りフィンランド語に似ている感じがします。

というわけで午後2時頃にタリン到着。ヘルシンキより少しはましかな、というくらいの寒さです。船の中でだらだら食べたり飲んだりしていたので、お腹はあまり空いていません。とりあえず旧市街まで歩いてみることにしました。

遅めの昼食はエストニア名物らしいパンケーキのお店へ(そういえばシアトルでDavidにパンケーキをおごってもらったなあ)。ブルーベリーとクリームチーズが入った「甘系」と、ハムとチーズが入った「しょっぱ系」をシェアしました。

夕方になって(写真を撮り忘れてしまいましたが)聖ニコラス教会へ。ここには15世紀の画家バーント(ベルント)・ノトケが書いた「死の舞踏」があります。貴族と骸骨が並んで踊っているという不気味な絵です。この「死の舞踏」を題材にした絵はたくさんあるので、以前に本で見た絵がこれなのかどうかわかりませんが、とにかくこの手の宗教画は見た記憶がありました。

教会の中では何かコンサートのリハーサルが始まるような気配があったので、近くにいた女性にいた尋ねてみると午後7時からアルヴォ・ペルトの作品を集めたコンサートが行われるとのこと。チケットを尋ねてみるとここには1枚しかないとのこと。「エストニアの教会でペルトの作品を聞ける機会なんてなかなかないんだから聞きに行った方がいいよ」(ペルトはエストニア生まれの作曲家です)と David に言われ、ありがたくそのチケットを入手することにしました。彼はタリン在住の友人と時間を潰すということなので、コンサートが終わった後に連絡するということで別れました。

というわけで当日のプログラムですが … エストニア語です … 曲目はかろうじてドイツ語、ラテン語、英語などで書かれていますが …

  • 巡礼の歌(Ein Wallfahrtslied)
  • 来たれ、創造主よ(Veni creator)
  • 聖なる母よ(Most Holy Mother)
  • 交響曲第4番《ロサンゼルス》(エストニア初演)
  • 主よ、平和を与えたまえ(Da pacem Domine)

3曲目がアカペラ、4曲目がオーケストラのみ、それ以外の作品は合唱とオーケストラのためのための作品です。タイトルでわかるようにほとんどが宗教的な題材による作品で、最初の曲の演奏が始まってから最後の曲が終わるまで、曲間で一切拍手はありませんでした。なので、途中までどれがどの曲かわかりませんでした …

実はペルトというと、その作風は何となく想像できるのですが、実際によく聞いていたのは20年くらい前に購入した以下のCDでした。このCDには極度に抑制された編成や、中世音楽のスタイルを模した作風など、ストイックな作品が収められていてとても気に入っています。

Arvo Pärt: Arbos

この演奏会で取り上げられた作品は21世紀に入ってから作曲/改訂された作品が多く、上記のCDに収録されている作品に比べるとモダンな手法が取り入れられているというか、中世的な響きと現代的な響きが混在するような作品が多かったように思えます。上記のCDに収められている作品が好きな私にとって、こういう作風は中庸的というかペルトの持つ個性が薄められてしまっているのかなあ、と感じました。

ただ、交響曲第4番《サンフランシスコ》は、ペルトのいわゆる「前衛時代」に書かれた3曲の交響曲から実に40年近い時間を経て作曲されたという意味で興味があります。繰り返し聞くと印象が変わるのかも知れません。

あ、会場にはペルトも来ていました。

コンサートのあとで David と再び落ち合い、近くのホテルのバーでちびちびとお酒を。紹興酒のような飲み口のタリンのお酒と、エストニアのローカルビールである「SAKU」を飲みました。「タリンのように1000年近くも風景が変わらない街にいると、ペルトのように古い時代のまま時が止まったような音楽を書く気持ちがわかるような気がするね。」みたいな話をしながら。

フィンランド・エストニア日記(その1)

というわけでヘルシンキ在住の友人に会うための小旅行です。

多少のマイル修業のため、わざわざフランクフルト経由でヘルシンキへ。小腹が空いたのでフランクフルトの乗り継ぎで軽く食べたのですが …

フランクフルト→ヘルシンキ便で機内食が出ました。国際線だから?ちなみにグヤーシュです。

さて、私はほぼ定刻である午後6時ちょっと前に到着したのですが、オスロから David が乗ってくる飛行機が遅れているとのこと。結局到着したのは午後8時頃でした。

それからタクシーで彼のアパートへ行き、とりあえず荷物を置いて夕食を食べに行こうということになりました。私は厚手のセーターとマフラーと手袋を用意していったのですが「寒いから帽子もかぶっていた方がいいよ」とのこと。「帽子が似合わない男選手権」静岡県大会で第3位になった私なので、あまり気が進まず「大丈夫だと思うけど …」と言ってとりあえずやんわりと断ったのですが、「絶対必要だから」ということで強く勧められたので貸してもらったキャップをかぶって外に出ました。

はい。帽子は必須です。後で聞いたら外気温はマイナス20℃くらいだったそうです。特に浜松近辺に住んでいる方はマイナス20℃の世界はあまり体験したことがないと思いますが、こんな感じになります。(実はその昔お菓子屋さんでバイトしたことがあって、その時にマイナス30℃の冷凍庫に入ったことがあるのですが、同じような感じでした。)

  1. 顔が動かない。「寒い」と言うのもかったるくなります。キャップを目深にかぶって首に巻いたマフラーを口のあたりまで上げているのですが、やはりほっぺたや鼻の辺りは露出しているわけで、本当にこのあたりが動かなくなります。
  2. 息の滞空時間が長い。寒い時に「はー」っとやると息が白くなりますが、この白い息がしばらく消えません。何か顔のまわりにまとわりつくような感じでしばらく漂っているような感じです。
  3. 鼻の穴のまわりがチクチクする。半ば霜がついたような感じになるのでしょうか、鼻をすすると鼻の穴のまわりがチクチクします。痛くはないのですが。

というわけで、一応カメラは持って行ったのですが、カメラを取り出して撮影するだけの気力が出ません。ですので、この日は写真がありません。ご了承下さい。

まずは、アパートの近くにあるテンペリアウキオ教会へ。この教会は岩をくり抜いて作られたことでとても有名です。中ではコンサートをやっていますが、もう終盤だったためか、勝手に客席に入って聞くことができました。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を10分ばかり聞きましたが、やはり室内楽を聞くには少し残響が多過ぎるかなと思いました。もう少し早く来ることができればフォーレの《レクイエム》などを聞くことができたのですが。

その後、近所のロシア料理屋へ。体を中から暖めないといけないということでまずはトロトロに冷やしたウォッカと、メインはビーフストロガノフを。そういえばハンブルクでは今のところロシア料理屋を見かけていません。(余談。後日、会社での食事時に「昔ドイツとロシアは仲が悪かったからドイツにはロシア料理屋がないって聞いたんだけど …」と話を振ってみたら「そもそも、ロシアは誰とも仲悪いんじゃないの?」と返されてしまいました。)