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フルート・ダモーレ協奏曲
以前、伊藤康英さんに「渡瀬さん(フルート・ダモーレ奏者の渡瀬英彦さん)をソリストにした吹奏楽のための協奏曲って面白いアイデアだと思いません か?」というネタ振りをしたところ、「フルバンドにするとソリストの音が埋もれてしまうので難しいね。」という返事が返ってきた。 伊藤さんがそんなネタ振りを覚えていらっしゃったのかどうかわからないが、今年の筑波大学吹奏楽団の演奏会のために書かれた作品が《フルート・ダモーレ協奏曲(あるいはフルート協奏曲)》である。送っていただいたスコアが今日届いた。 フルート・ダモーレとハープがかなり活躍するし、編成もかなり小さいのでバンドもかなり荷が重そう。吹奏楽というよりは完全に管楽合奏である。 (委嘱者のNくん、これ読んでいたら録音送って下さい(_0_)。)
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新宿TOWERで買ったもの
東京出張。 早く終わったら初台に寄って「明和電機 ナンセンス=マシーンズ展」を見たいと考えていたのだが、さすがにそんなに都合よく物事は運ばない。(再来週の出張時にはがんばろう) 結局(いつものように)タワーレコード新宿店に寄って終わりである。 Live at Tonic 1999 [DVD] [Import] 久しぶりにジョン・ゾーンの名前を見たなあ ….. 以前はショートカットでいかにもニューヨークの先端アーティストという風貌だったのだが、このDVDでは髪の毛を伸ばしていて、眼鏡を外した假屋崎省吾といった感じである。 そのジョン・ゾーンが率いる「マサダ」のライヴDVD。輸入盤だがオール・リージョン。 かなりこじんまりとしたライブハウスでの録画のようで、メンバーもかなりリラックスしているようだ。 いわゆるフリー・ジャズはあまり好きではないのだが、ジョン・ゾーンがやっている音楽はけっこう好きである。この「マサダ」はジョン・ゾーンの音楽 の中でも「真っ当」な方になるだろう。(「ペインキラー」とか「ネイキッド・シティ」はかなり覚悟が要ると思う …..)。トランペット、アルトサックス(これを担当しているのがジョン・ゾーン)、ベース、ドラムという編成でのユダヤの伝統音楽に基づいたインプ ロヴィゼーション。音階がどことなく中東風である。 CD の「マサダ」は普通のジャズ8割フリー・ミュージック2割くらいの割合なので比較的聞きやすいが、このライブではフリー・ミュージックの割合が3割〜4割くらいになっているように思える。 R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」 [DVD] いまさらながらにクライバー追悼。 クライバーの「ばらの騎士」はウィーン国立歌劇場版とバイエルン国立歌劇場の2タイトルがあるのだが、 やはりウィーン・フィルの音でリヒャルト・シュトラウスを聞いてみたい。 バイエルンよりウィーンの方が現時点では入手が難しそう。(amazon ではバイエルンは見つかるがウィーンは見つからなかった) ということで、ウィーン国立歌劇場版を買ってみることにした。 クラシックのDVDは画質が悪いので心配していたのであるが、まあこのくらいだったら許せるな。そういう意味でも収録が新しいウィーンの方がよかったのかも。
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香月泰男展
2004年11月5日の日記でも宣言していたように、静岡県立美術館へ「香月泰男展」を見に行く。 立花隆さんが著書「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」の中で再三述べているように、シベリア・シリーズは印刷物と実物を比べると光の加減やサイズの違いなどで受ける印象が全く異なる。特に香月泰男さんの作品は絵具が厚く塗られていることが多いため、絵画といっても立体的な造形になっていることが多いのである。 絶筆となった「渚(ナホトカ)」は香月さんが亡くなった日にイーゼルに置かれていたという作品。シベリア抑留から解放されて日本に戻る直前の様子を描写している。無数に書かれた人間の姿は無念にもシベリアで亡くなって日本に帰れなかった同僚の魂を連れ帰ろうとする香月さんの意思だそうである。実物で見ていちばん胸を打たれた作品である。「雪」は抑留地で見たという樹木にかかる雪を描写した作品。こちらは柔らかい雪の描写が美しい。シベリア・シリーズは全体的に黒や土色を主体とした陰鬱な色使いの作品が多いので、この作品の白が引き立っている。 シベリア・シリーズ全作以外にも作品は展示されていた。戦地から送られたスケッチ入りの葉書や、台所にあるものを題材としたものなど、こちらは非常にほのぼのとした作風のものが多い。 あとは静岡県立美術館の名物らしいロダンの「地獄の門」を見に行った。前にもどこかで見たことがある気がしていたのだが、上野の国立西洋美術館にあるらしい。パリのオルセー美術館にもあるらしいのだがこちらは気が付かなかった。2階にあるロダン館の入り口を入ると、正面にこの「地獄の門」を見下ろすような配置になっている。浜松市のこじんまりとした美術館と比べると空間を贅沢に使っていてうらやましい。
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リベラ・ウィンド・シンフォニー
ビムス・エディションズ バンド・コレクション Vol.1 「響宴VII」の会場で予約したビムス・エディションズの楽譜の参考音源。演奏はリベラ・ウィンド・シンフォニー。諸般の事情により最初はCD-R で作成されたらしいのだが、プレス盤がリリースされた時にはプレス盤も送付してもらえることになっていた。ということで届いたのがこれ。 以前の CD-R 盤に加えて、黛敏郎の行進曲《黎明》と、團伊玖磨作曲/福田滋編曲の《キスカ・マーチ》が追加収録されている。また、ホームページによるとヘンリー・ウッドの《イギリスの海の歌による幻想曲》ではカデンツァが追加されているらしい。 この出版社は今後も意欲的に邦人作品を出版していくようなので(おそらくリベラ・ウィンド・シンフォニーの音楽監督であり、バンドジャーナルに興味深い連載を執筆されている福田滋さんが絡んでいるのだろう)、ぜひともこのあたりも音源としてリリースして欲しいものである。
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「公民館まつり」出演
今年最後の演奏となる「積志公民館まつり」に出演。 子育てのため休団している何人かの団員もお子さんを連れてきていたりして、普段とは違うリラックスしたムードである。 10月の末に浜松市から「教育文化奨励賞」なる賞をいただき、そのあと最初の公開演奏となったわけであるが、控え室から会場へ向かうときにまったく知らないおばちゃんから「おめでとう」と声をかけられてびっくり。地域の方にも注目されているんだなあ。 《マツケンサンバII》《椰子の実》《九ちゃんグラフィティ》を演奏。相変わらずの課題は解消されていないが、昨日の最終練習でちょっと締めたためか演奏全体としてはかなりよかったと思う。
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今日買ったもの
ロンドン・コーリング(紙ジャケット仕様) サンディニスタ!(紙ジャケット仕様) パンクあるいはニュー・ウェイヴというムーヴメントの中の代表バンドであるザ・クラッシュの代表作2枚。リアルタイムでは聞いていなかったのであるが、再発されたので聞いてみたいと思って購入。「ロンドン・コーリング」は確かどこかの雑誌(ローリング・ストーンズだったかな?)が選んだ1980年代の偉大なアルバムでかなり上位にランクされていた。 ライヴ・エイド★初回生産限定スペシャル・プライス★ [DVD] 1985年にアメリカとイギリスで開催された、おそらく今のところ最大規模のチャリティ・コンサート「ライブ・エイド」のDVD。計16時間の演奏時間中約10時間が収録されている。 リアルタイムで見たのは大学の夏休みだったのかな?日本での進行(確かフジテレビの逸見アナウンサーだったと思う)がかなり割り込んできてまともに演奏が聞けなくてイライラしていたのを覚えている。だからちゃんと見なかったのか、記憶の中にはあまり残っていない。スティングが演奏した《孤独のメッセージ》(残念ながら今回のDVDには収録されていないようだ)くらいかな。 ちなみに特典映像ではアメリカ・イギリス以外の国の参加アーティストも紹介されていて、日本からはラウドネスと矢沢永吉の映像が収録されている。 まだ半分くらいしか見ていないのであるが、以下のようなシーンはかなりうるうるきてしまった。 冒頭の《Do they know it’s Christmas?》(バンド・エイド)や、それのアメリカ版である《We are the World》(USA for Africa)が懐かしい。以前は、いかにも二番煎じのアメリカ版はあまり好きではなかったのであるが、貫禄のあるヴォーカリストを揃えたあたりはさすが。特にボブ・ディランとかレイ・チャールズとか。 エルヴィス・コステロ。ギター1本で出てきて「北イングランドの古いフォークを演奏するぜ。」と言ってビートルズの《愛こそはすべて》を演奏する。 まだ直球勝負のU2。短い時間ながらステージ構成が見事。 かなりテンションの高いクイーン。こういう寄せ集めライブは進行がいいかげんになりがちだが驚くほど完成度が高い。 出演者も観客も「音楽で世界が変えられる」とは思っていなかっただろうが、一丸となって何かをやり遂げようとするパワーが確かにあった。今の時代にこういうパワーはないのか? TITAN 鈴木英史さんへの委嘱作である《カントゥス・ソナーレ》、ウィテカーの《クラウドバースト》などが収録されている。 最近、エリック・ウィテカーがお気に入りである。《ゴースト・トレイン》や《ラスヴェガスを食い尽くすゴジラ》などで注目を集めたせいか、イロモノ的な見方をされることが多かったのであるが、合唱での経験を生かした繊細な和声感覚はうるさいだけではない管楽合奏の魅力を聞かせてくれる。 《オクトバー》、先日購入したヘリオトロープ・ウィンド・シンフォニーのCDに収録されている《スリープ》、そしてこのCDに収録されている《クラウドバースト》、どれかは次の演奏会で取り上げてみたい。
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ビートルズのアメリカ盤
The Capitol Albums, Vol. 1 ビートルズのアメリカ盤ボックスが到着。 いろいろなところで取り上げられているが、紙ジャケットの意匠といい、レーベル面の印刷といい、いかにもアメリカらしい大雑把な作りである(笑)。 「曲」に関しては、すでに発売済のイギリス盤CDを聞けば全てフォローできるので、「意表をついた曲の配置」や「ミックス違い」、それにもちろんリマスタリングなどがこのボックスの存在価値になるだろう。 前にも書いたが、私は「赤盤・青盤」→「イギリス版オリジナルアルバム」という形でビートルズを聴いてきたので、初期のビートルズのアルバムは《アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア》とか《イット・ウォント・ビー・ロング》とか《ア・ハード・デイズ・ナイト》とかで始まらないと違和感があるのである。 カーステレオで聴き始めたのであるが、ほとんど予測がつかない節操のない曲順(米キャピタルが何らかのコンセプトを持って選曲しているわけがない)はシャッフルプレイのような感じで、それはそれで悪くない。 また、ステレオミックスとモノミックスが同時収録されているのもうれしい。(アメリカ盤のように11曲くらいしか入っていなかったら収録時間は30分くらい。)アメリカ盤では悪名高き擬似ステレオミックスが多数存在するので、モノミックスで聞いている方が落ち着く。リマスタリングもナチュラルな感じでいいのではないか。
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クイーンのライブCDとか華氏911とか
今日買ったもの。 [tmkm-amazon]B0002W5BVE[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B0002W5BVO[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B0002W5BV4[/tmkm-amazon] クイーンのライブCDを3枚。これでオリジナル・アルバムの紙ジャケ化は完了か?「ライブ・キラーズ」は高校時代に友達から借りて聞いた。アルバムとしてクイーンを聴いたのはこれが最初だったような気がする。 [tmkm-amazon]B0001X9D68[/tmkm-amazon] 最近は劇場公開からDVD発売への期間が極端に短くなっているような気がする。まさに「興奮冷めやらぬ」というタイミングでDVDが出た。劇場で見られなかったので購入。
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アヴァンギャルド・アコースティックのスピーカー
リスニング・ルームのスピーカー配置を変更しようと思い立った。 サラウンド用のリア・スピーカーの位置が悪くて DVD の音声がいまいち気に入らなかったのである。 ケーブルの引き回しに問題があるので新しくスピーカー・ケーブルを買いに行った。 ケーブル自体は問題なく買えた(少々予算よりも高くついたのであるが)が、ふと目に留まったスピーカーがあったので試聴させてもらうことにした。 ティアックが輸入販売しているドイツのアヴァンギャルド・アコースティックの「DUO」というスピーカー・システムである。(写真はこちら) 直径70cmくらいの馬鹿でかいホーンが目立つ斬新なデザインである。(気になるお値段は280万円なり) 応答のよさと低音の空気感がいい感じ。かなり分離がよいのでフルオーケストラなどよりは室内楽やジャズくらいの編成の方が向いているように思う。リ ファレンスとしてドヴォルザークの交響曲第9番(指揮者/演奏者不明)を聞かせてもらったのだが、各楽器がはっきり聞こえる反面、全体としてのまとまりが なくなってしまう気がする。その後に聞かせていただいたジャズ・トリオの方が合っている。 最高級モデル(気になるお値段は1800万円なり)を使ったジャズ喫茶が近々浜松にオープンするらしいのでぜひ行ってみたい。 自宅のもっと貧相な(涙)オーディオ・システムはリア・スピーカーの位置を移動してだいぶサラウンド感がよくなった。ビョークの「ヴェスパタイン」 (DVD オーディオ盤)を聞いて幸せになる。この DVD は内容もいいし、マルチチャンネルオーディオのリファレンスにももってこいである。
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今日届いたもの(本)
封印作品の謎 円谷プロ作品「怪奇大作戦」に関するホームページを見ていて見つけた本。面白そうだったので注文してみた。 ちょっとした特撮マニアなら、例えば「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」や「怪奇大作戦」の第24話「狂鬼人間」が欠番扱いになっていて、一般的には見ることのできない作品になっていることは知っている。この本ではそういった作品がなぜ欠番になってしまったのかということを細かく検証している。 ちょっと前に読んだ「放送禁止歌」という本でも感じたことであるが、表層的な部分だけをとらえてマスコミを批判する糾弾者と、それを深く考えることなく「臭いものに蓋」式に「自主規制」してしまうマスコミという構図は、実は無自覚的に表現者を抑圧しているのではないかと思う。 (例えば注意深く読んでみると、上記のウルトラセブン第12話が欠番となる発端となった抗議がいかに論理的に捻じ曲がったものであるかわかる。)