海外赴任」カテゴリーアーカイブ

後任者来たる

4/1 に出た正式な帰任辞令から2ヶ月、今日から後任者が着任した。

プライベートな面は大方整理がついているのだが、本業でも日本への帰国が具体的にカウントダウンを始めることになる。

(私の時もそうであったように)新任者をホテルに迎えに行き、社内に招き入れ、差し当たり必要な人(人事担当であったり、直属の上司になる人であったり)と顔合わせをする。

夜は、ささやかなウェルカムパーティーと、たまたま同じ日に入社25周年の記念日を迎えた Stefan のアニバーサリーを兼ねてディナーに。中央駅近くにあるタイ料理レストラン「Sara Thai」。

また忘れるところだった

本日、ドイツはメーデーということで祝日(休日)になっている。そして、例年忘れがちなのだが私たち夫婦の結婚記念日でもある。今年はギリギリ前日に思い出した。

(ちなみにこの日はアイルトン・セナの命日でもある。結婚披露宴の次の日、朝のワイドショーで「セナが死にました」と言っていた。)

昨日そんな話をしていたら、息子がメールでメッセージをくれました。(私たちも息子の誕生日にはメールでメッセージを送っているので。)

お父さんお母さん結婚記念日おめでとうございます。
お母さん毎日ご飯を作ってくれてありがとうございます。
お父さん何をしてるか分からないけどありがとうございます。

朝食後「お父さん、ちょっとパソコン使っていい?」と言われたので、「いいけど何するんだ?」と聞き返したら「内緒」と言い、よく見ると手元にいつの間にか下書きしたと思われる紙を持っている。このあたりがまだ子供なんだなあ?と感じる。

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息子と妻は友人宅にランチをしに行ったので、私はこの機に引っ越し準備。もっとも大きな作業になるであろう、CD と本のパッキングに手をつけた。

本については、文庫や新書などは手軽に手放す気になるのだが、大きくて重い本、例えばこちらで訪問した美術館などのカタログなどはやはり持って帰りたい。これを箱詰めすると恐ろしい重さになる。

また、某通運会社から指定されている段ボール箱は狙ってやっているのか?と思うほど、CD や DVD や書籍の寸法にフィット「しない」。例えば、ぎりぎりでA4版の書籍が2列に並ばないとか、ぎりぎりでCDが3列に入らないとか、そういう感じである。箱の中に微妙な空間が空いて収まりが悪いのが何とも気持ち悪いのであるが、そのくらい空いた方が持つ際の負担にはならないのかな?

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夜、UEFA チャンピオンズリーグの準決勝の最終戦、FC バルセロナ対バイエルン・ミュンヘンを前半だけ見る。前日はボルシア・ドルトムントがレアル・マドリードを何とか退けたし、バルサ対バイヤンもファーストレグは4-0でバイヤンが圧勝しているので、決勝はブンデスリーガ勢同士の可能性が限りなく高い。

さて、故障上がりらしいメッシは出ていない。バルサはイニエスタやシャビがボールを持つとそれなりにチャンスが生まれるのだが、彼らがボールに触る チャンスが圧倒的に少ない。「これは絶対にバルサは勝てないな」と思いながら、0-0 で終わった前半で見るのを止めたのだが、そのあとで 3 点入ったんですね。容赦ないな、バイヤン。

ウェンブリースタジアムで行われる決勝戦のチケットは惜しくも抽選で外れてしまったのだが、(結果論ではあるが)BVB 対バイヤンの試合をロンドンまで見に行くのも微妙だったなあ …

この組み合わせなら BVB にも勝ち目はあると思うので、そういった意味では楽しみな試合である。自宅で見られるかどうかはまだわからないが。

4/20 の徒然

まず午前中は息子のサッカーの試合。

我々が住んでいる地区はハンブルク市内ではなく、わずかに外れたところなので、息子が所属するチームもハンブルク市のチームではないのだが、今年はハンブルクのリーグに属しているようだ。

(ちなみに昨年は、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のリーグに属していて、全6チーム中2位という成績だった。)

息子の所属するサッカーチームでは実力が均等になるように2チームが編成されていて、それぞれ内部のコードネームでは「チーム・バルセロナ」「チーム・チェルシー」と呼ばれている。息子はチーム・バルセロナに所属しているのだが、先週の試合で 2-7 の大敗を喫してしまった。

今週の試合はどちらのチームが行うのか未定だったのだが、急きょ再びチーム・バルセロナが招集された。少しチーム・チェルシーからの助っ人を入れて格下のチームに確実に勝ち、嫌な雰囲気を払拭するのが目的だったのではないかと推測される。

最近のパターンでは息子は交替要員で、前半はフォワード、後半はディフェンダーで使われることが多い。(このチームではポジションは多少流動的である。)

前半は、相性のいい選手もいたので比較的いいパスが来てシュートまで持っていったのであるが、得点につなげることはできなかった。後半の守備ではもう少し当たりを強くしてもいいのではないかなあ?練習ではいい動きをするのだが、試合ではよく知らない相手だと気圧されてしまって本来の動きができないようだ。

結局、2点先制して楽勝と思いきや→相手に2点返されてやばい雰囲気→その直後に1点返して逃げ切り … というパターンで辛くも 3-2 で勝つことができた。前半は緊迫したいい試合だったのだが、後半はチーム・バルセロナのディフェンスのバランスが悪く相手に攻め込まれた、という感じだった。

午後からは移動遊園地ハンブルガー・ドームへ。ドームは春、夏、冬と開催されているので次の夏のドームには我々はハンブルクにいない。今回の春のドームも明日で終了なので、家族でドームに来るのはこれが最後の機会になると思われる。

いつものようにシュマルツクーヘン(揚げ菓子)を買い、息子が好きなゴーカートに乗り(チケットをまとめて買うと安いので前回まとめ買いしておいた。電車に乗る直前に自宅に忘れたことに気付いて取りに行ったのだが)、今回初めてのチャレンジのトリックハウス(何て言うんだろう?床が動いたり、鏡の部屋があったりするアトラクションです)に入ったり、そして最後は毎回通っているポークステーキの店で夕食をとった。

息子も今回が最後ということは認識しているので、名残惜しそうに「今度来れるのはいつだろうね?」と言っている。

今回、帰任するに際して、私の次の業務も幸いにして今の赴任先(出向先)とのつながりが大きそうなので、こちらで知り合った仲間たちにはいつでも合えそうな気がしている。

しかし、息子や妻がこちらで作った友人関係を断ち切らなければいけないことを考えると、本当に心が痛む。いつか、息子が「本当にハンブルクに来たい(帰って来たい)」と強く思うのであれば絶対に連れて来てあげたいと思う。

引っ越し準備

facebook の方には書かせていただいたのだが、4月1日付けで辞令が出て日本に帰任することになった。6月頃に後任者が赴任してきて、それから業務引き継ぎをして帰国、という段取りになっているので、日本に移動するのは6月下旬ころになりそうである。

そのうえ、前にも書いたように4月の上旬は休暇で旅行に出ていたし(実際、facebook 上での帰任の挨拶も旅行先で投稿した)、そのあとは出張やら日本からの出張者とのミーティングなどが入っていた。

それだからというわけではないが、かなりのんびり構えていた。心の準備はすっかり整ったものの(とはいえ、内示をもらった直後はやはり気持ちの整理がつかず何日か悶々としていたのは事実である)、日本へ帰る準備はあまりしていなかった。

今日は自宅に引っ越し業者が来て、大まかな見積もりやスケジュールの打ち合わせが行われることになっていた。(当然、私は仕事に行っているので妻が打ち合わせてくれることになっている。)梱包材や段ボール箱などもその時に持ってきてもらうことになっていたので、いよいよ本格的な引っ越しの準備が始まる。

また、今住んでいる借家も次の借り手が決まったらしく、夕方にその方が訪ねてきたらしい。4月上旬の休暇中(留守中)に大家さんが各部屋の写真を撮りたいと言っていたので、合鍵を渡して中に入ってもらっていたのだが、意外と早く決まった。また、この方からは水曜日にメールをもらっていたのであるが、返事を書く時間がなかったので週末にメールを書こうと思っていたら、気が早く直接訪ねてきたらしい。

ちょうど、妻はドイツ語の個人レッスン中だったので、ドイツ語の先生に助けてもらいながら会話をしたらしい。引っ越しに当たっては大きな家具(例えば本棚とかクローゼットとかベッドとか)の処分がけっこう大きな問題なのだが、多くの家具を引き取ってくれそうなので助かりそうだ。

というわけで、どのくらい頻繁に書けるかわかりませんが、久しぶりに「海外赴任」カテゴリーを復活させて、帰国に際しての作業を記録していきたいと考えています。

 

底をつく

銀行から毎週送られてきている取引記録をスキャンして保存する作業を粛々と続けている。最近のものは届いた都度スキャンして捨てているので、長い間保存しているものは昔の方から作業を始める。

収支(主に支出だが)記録を見ていると、いつ何をしたかという記憶がおぼろげながら蘇ってくる。最初の一年は単身赴任だったので、日々の食事以外はほとんどお金を使わかった。笑ってしまうくらいあっという間にお金が溜まっていくのがわかる。

すでに帰国された友人は、2年という赴任期間が決まっていたので精力的に計画的に旅行をしていた。その結果、あっという間に貯金が底をついたらしい。

うちも、一応「3年」という期間を見据えて2011年から積極的に旅行を計画して、そして同じように貯金が減っていった。数えてみたら、2011年はドイツを含めて11ヶ国、2012年も11ヶ国を訪れていた。

今日はこちらのクレジットカードの引き落とし日なのだが、少しは余裕があると安心していたところ、チェックしてみたら予想外の引き落としがあった。3か月ごとの日本人学校の月謝である。けっこう大きな金額なので残高が足りない。会社へ行く途中で、あわてて入金する。そういえば自分の口座に自分で入金するのはこれが初めてかも知れない。

会社の都合

最近、息子の聞き分けがいい。

我が強く、寝起きが悪い息子とはよく衝突していたのだが、最近はスムースに遊べるようになっている。私の言動に現れているかも知れない心境の変化を敏感に感じ取っているのだろうか?

息子には、3学期の終業式(この日で2人の同級生が日本に帰ることになっている)の夜に説明するつもりである。

やっと気持ちが落ち着いてきた。

海外からの帰任に関してウェブをつらつらと眺める。やはり「最初に言われていた滞在期間と違う」とか「会社の突然の帰任命令は理不尽だ」とかという意見や相談が多い。まあ、私の場合は「とりあえず3年」と言われて来て、3年は居させてもらえたのだから、今回の帰任命令は想定範囲内であるし、(おそらく)期待通りの働きをしなかったから帰らされるということでもないと思う(そう思うようにしたい)。

こういった発言を見ていて「会社の都合で赴任したんだから会社の都合で帰任するのは当たり前」という発言を見つけた。至極全うな指摘に納得する。

旅行計画変更

イースター旅行の計画変更を検討する。

この旅行の目的は、まずミラノでセリエAの試合を見ること。妻は以前(もちろん帰任が知らされる前に)「これを見ればヨーロッパの主要なリーグを見られたことになるので満足だ。」と言っていたのだが、実際におそらくドイツのブンデスリーガ以外に見るリーグ戦はこれが最後になるのだろう。

それから、私たちの住居の隣り(いわゆるドッペルハウスなので、同じ建家を分割していたことになる)に住まれていて、ハンブルクからバルセロナに引っ越したご家族にお会いすること。お子さんが、うちの息子の一年上と一年下になるので、よく遊んでいただいていた。期せずして、本帰国のご挨拶をお知らせすることになるのだ。

もともと、ミラノからバルセロナまでの移動には鉄道を乗り継いでいくことを考えていたのだが、何とか船での移動を入れることにした。最近うちでは、にわかに「クルーズ熱」が高まり、じゃあ秋休みくらいには地中海クルーズに行ってみるか?と考えていたのだが、それも叶わないことになってしまったので、何とか今回の旅行に組み込むことにした。

バルセロナまで行ける航路はジェノヴァからしか出ていないので、ミラノからジェノヴァやその周辺(ニースとかモナコまでかなあ?)を観光してからバルセロナへ移動することにする。

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前から手をつけようと思っていた紙類の電子化、つまり給与明細、銀行の取引記録(こちらでは週ごとの取引記録が郵送されて来るのである)、保険/医療関連の請求書/領収書、交通違反の通知書(苦笑)などをスキャンすることを、ちょっと本腰を入れてやり始める。

給与明細は当然毎月渡されるので、毎月分と細かい調整分、年末のまとめ書類などを入れても4年間でトータルで50枚くらいである。わかっていたことではあるが、多いような少ないような、複雑な気分になる。

カウントダウンタイマー

まだ心の整理がついていない。

目にする全てのものにカウントダウンタイマーがついているように見える。これらの風景をあと何回見られるのだろうかと思う。同僚の Stefan との昼食時の何気ない会話の中にも、エレベーターの中で挨拶を交わす同僚の笑顔にも、帰宅途中に見える街の中の教会の尖塔にも。

いつも帰りに渋滞するロンバルト橋。ここで左に目をやるとアルスター湖越しにユンクフェルンシュティークの町並みが見える。私がハンブルクの中でいちばん好きな風景である。

橋の上から何時間もこの風景を見続けていられたらと思う。

帰国内示

社長からミーティング参加依頼のメールが入った。「Personal」というタイトルだったので、ほぼ何が告げられるか見当がついていて、実際に想像した通り日本へ帰任することが決まったことを(社長の言葉を借りれば)「非公式に」「公式に」告げられた。もちろん、公式にできるのは辞令が発行される4月1日以降なのであるが。

「とりあえず3年」と言われてドイツに来てからすでに3年以上経過しているし、日本に出張した時にも「まあ、このプロジェクトが終わったら帰国かな?」という話もされたし、いつ帰任命令が来ても大丈夫なように心の準備はしていたのだが、やはり実際にその命令を聞いても、心の整理がつかない。

会社にいる時には、やらなければいけないことがたくさんあったのでそちらに没頭していたのだが、帰途につくために車に乗って一人になったとたんに、本当にいろいろなことがさめざめと思い出されてきた。

4年も住んでいれば、街のいたるところが記憶の中に刻み込まれるようになる。また、それと同時に私という存在の痕跡が街のいたるところに刻み込まれているように感じる。もちろんそれは街だけではなく、街に住む人々についても同じなのではないかと思う。息子の友人や、その家族や、妻のドイツ語の家庭教師の先生や、よく行く美容院やレストランの店員さんや、そういった人たちの中にも、好むと好まざるとに関わらず、また意識しているのか無意識なのかに関わらず、私の痕跡が刻み込まれ、私の記憶の中にも彼らの存在が刻み込まれる。

そういったものたちがこの街に確かに存在することがはっきり感じ取れるにも関わらず、それから引き離されてしまうことに強い悲しみを感じるのだろう。

もちろん、そういった思い出はいつか消えてしまうことがわかっている。しかし、それらの思い出を封じ込めたメールや写真やビデオなどを見るにつけ、私はこの街に住んでいたことを思い出すのだろう。いつかは朽ち果てるかも知れない私の痕跡がこの街に残っていることを願って思い出すのだろう。

いつかは帰らなければいけないのだ。それが「今である」必然性はないのかも知れないが、「今でなければいけない」必然性もあるのかも知れない。そう思うことにする。

All those moments … will be lost … in time … like tears in rain …

a short and a long good bye

今年はクリスマスイブが土曜日ということで、例年のように多くの社員が一斉に休暇に入るということはないのだが、それでも今週に入ってから少しずつ出社する人が減ってきている。

ということで、私も今日が年内の最終出勤日。ふだん多く打ち合わせをしているメンバーも会社にいないし、時間が経つにつれ日本からの連絡もどんどん少なくなっているし(そういえば日本は明日は休日)、まったりと時間が流れる。

上司の Ralf に挨拶に行ったら、握手したまま「今年1年お疲れさま。気をつけて日本に帰って。家族にとってよいクリスマス/新年でありますように。」みたいなことを延々言われる。Ralf の性癖なのかドイツ人一般の傾向なのかわからないが、かなりストレートにこういった思いを投げかけてくる。これは未だに慣れない。私なんか、いちいち感極まってしまう。

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帰りしな、いつものワインショップに立ち寄る。最近(前からいたのかな?)フランスから来たという若いお兄さん(我が家では「ボルドー兄ちゃん」と呼んでいる)がいろいろ勧めてくれて、しかもハズレがないので、素直に勧められたワインを買っているのである。

「今日の夜、友人と SUKIYAKI を食べるのでそれに合わせる赤ワインが欲しいんだけど …」「SUKIYAKI って何?」「スライスした牛肉をソイソースで食べる料理なんだけど …」みたいな会話をしたあと、サンテミリオンの赤を勧められる。

あと、前からじっくり飲んでみたかったイタリアのバローロ、それから食事の時に飲む白ワイン(結局、ボルドーのソヴィニオン・ブランとイタリアのガーヴィにした)を購入。

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というわけで、今日は今年いっぱいで日本へ戻られる友人ご家族との最後の夕食会。引っ越しの最中なのでお子さんを預かり、また夕飯の準備もままならないのではないか?ということでそのままうちで夕食を食べていただくことになった。

息子にとっては、こちらに来て最初に仲良くなった友達で趣味も合う、というか、サッカーであったりゲームであったり、かなり影響を受けた点が多いのではないかな?名残惜しいようで結局夜11時過ぎまで遊んでいた、っていうか、しこたま食べて飲んだあとでサッカーさせるなよ(笑)。