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最初にして最大の災厄
午後11時23分、彼に「最初にして最大の災厄」が訪れた。 また、ある人はそれを「意図せず数十年の冒険に漕ぎ出した勇気」と呼ぶ。 確かにそれは彼の意図ではない。 彼を冒険に漕ぎ出ださせたのは我々である。 ある方向に導くのではなく、彼が進みたい方向へ進みたい速さで進むことをしっかりと見守ることが我々の責務だ。 彼の冒険に幸多からんことを。 ***** (後日付記:妻がブログに書いた文章です。) 1月7日午後11時23分、サバヲが生まれた。陣痛開始からあっという間の出産だったので、あまりの展開の早さにびっくりするばかり。こりゃあ、忙しい子供かも、としみじみ思った。 そもそもの予定日は1月末だった。三ヶ日はDVD三昧で過ごし、4日は買い物、5日は友達が来訪、6日は年賀状の返事を出しに散歩、と呑気な日々を過ごしていた。 一応予兆はあった。6日夜におしるしがあったのだ。思えばこれがサバヲからの合図だったのだろう。 でも9日にフグのコース料理を友人と予約していた私たちは、「10日過ぎに出てきてくれぇ」と考えていた。 7日の朝から、何となく腰が痛いような変な感じがした。でも、よくドラマにあるような、「いたたっ」という感じがしない。ダンナに午前半休をとらせたものの、はっきりしないので仕事に行ってもらい、だらだら寝ていた。 3時頃やっぱり心配になり、自分で車を運転して病院に検診に行った。「子宮口が開き始めているので、数日中に出産かも。陣痛が10分おきになったらおいで」と言われた。家へ戻って、念のため入院用品に名前を書いた。ゆうがたクインテットを見ながら通販のカタログを見て申込用紙を書いているうちに、朝からの変な感じが間隔をおいてやってくるようになった。キッチンタイマーで計ってみると、10分だったり13分だったり一定しない。気のせいだろうと思っていたが、8時頃には8分おきに。これはまずいと思い始め、支度をしているうちにダンナが帰宅。ダンナは危うく夕飯のパスタを作りはじめようとしたが、そのまま病院へ。 病院に行く間にも陣痛の間隔はどんどん早くなる。入り口から診察室、病室から陣痛室へと移動するのに30分もかからなかったか?荷物を解く暇もなくパジャ マに着替え、陣痛測定器をつける。痛みに反応してグラフが跳ね上がるのがおもしろいが、助産婦さんが間に合うか心配になってきた。 助産婦さんも来て、分娩室へ。ダンナは打ち合わせ通り外で待つことに。血を見て倒れられると邪魔になるだけ、ということで。その間吉牛で夕飯を食べてきたらしい。 そろそろ陣痛の間隔が短くなり、子宮口も全開したということで、マタニティースクールの教え通り頑張ってみる。呼吸は深呼吸のままでなんとかなるのだが、 いつどう頑張ったものか、皆目見当がつかない。どこに力をいれるんだ?と自問自答しつつ頑張る。やっぱりその時になってみないと分からないことはあるもの だ。 しばらくいきんでも出てこない。陣痛の合間に看護婦さんが真面目な顔でダンナの伝言を伝えてくれる。 「『フグ、キャンセルしたから』だそうですよ。」 これには笑えた。ちょっと力が抜けて楽になった。 まだ出てこないので、助産婦さんが看護婦さんに先生を呼びに行かせる。「うーん、どこかがつっかえているのよねぇ。臍帯が巻いているわけでもないと思うし。」と、リアルな打ち合わせ後、麻酔してちょと出口を切ることになった。 サクサク、といった感じで切った後、またいきんでみる。とうとう看護婦さんと助産婦さんが交代でお腹を押してくれる事態になった。相変わらずどこに力をい れていいものやら分からないが、陣痛で痛い時に頑張らないといけない、ということがようやく理解できた。いやあ、大変だ、痛い時にこそ力もいれなきゃいけ ないとは。などと考えている間にも刻々と陣痛は来るので、 「あのー、そろそろ痛くなってきそうです。」 「あ、痛いです。」 などと報告しつつ、いきむ。 とうとう吸引もすることになった。看護婦さん、助産婦さんが交代でお腹を押し、先生が引っ張る。大変だぁ。3人がかりで出してもらうとは。 やっといきむコツがつかめたかな?という時に 「もうすぐよっ!」 と言われたと思ったら、赤いかたまりがびゅーんと出て行ったのが見えた気がした。 と、同時に激しく悪寒がした。歯の根が合わない。ガチガチいうのが分かる。寒い。寂しい。それまでお腹の中にいた生命の温かい塊が抜けて、取り残された私の体がさびしい、と訴えているようだった。 助産婦さん、先生で生まれたサバヲのケアをしているらしい。病室には看護婦さん一人だし、寒くて仕方がない。 よく言うおぎゃぁー、という声ではなく「めーめー」という山羊かなんかに似た声がした。男の子です、元気ですよ、良かったですね、云々という声が聞こえる。 先生が戻ってきて切ったところを縫い始める。お布団を山盛り掛けてもらい、暖房もしてもらったのに寒い寒い。相変わらず歯の根は合わないし、縫うときの痛みがじんじんする。 「先生、いたいです。」 と言うと、 「そうかいー?すぐ終わるからねー。」と呑気な声。 これは本当に痛かったんだってば。 ダンナが分娩室にやってくる。サバヲを先に見てきたらしい。写真も撮ったという。寒くてしょうがないので、お茶を飲ませてもらう。まさに病人ぽいなあ。な かなか出てこなかったのは、頭がちょっと入り口でつっかえていただけらしい。それ以外は何の支障もなく自分で頑張って出てきたらしい。えらい子だ。 洗ってもらってきれいになったサバヲを看護婦さんが連れてきてくれる。私は相変わらず分娩台の上で布団てんこ盛りだ。腕にサバヲを載せてくれる。思ったよ りしわしわで、しかも頭が伸びている。ドラマにあるような、まあかわいいっ、という感慨はわかなかった。悪いね、サバヲ。携帯でも写真を撮ったが、後から 見ると指揮者の岩城宏之さんに似ていた。 サバヲとダンナが出て行った後、ストレッチャーに載せられ、病室へ向かう。重病人みたいだが、本当に身動きができないんだからしょうがない。とにかく寝ようと思うがお腹が痛いし、寒いしでなかなか寝つかれず、友人にメールを書いたりなんかした。 そろそろ眠くなってきた。悪寒も治まり、大分暖かくなってきた。するとまだサバヲがいるかのように、お腹の中で蹴る気配がした。
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買い初め
近くの書店をのぞいたところ、新品CD(デッドストックか?)の半額処分セールをやっていた。 gut gut 坂本龍一が率いていた gut レーベルのアーティストによるコンピレーション。 他に中谷美紀、ゲイシャガールズ、アート・リンゼイなどの作品が収録されている。 坂本作品《愛してる、愛してない》は別リミックス、《1919》《Asadoya Yunta》は他アルバム未収録のライブ・バージョン。 そういえば、佐藤琢磨が出てくるホンダのCMでかかっている坂本美雨の《ネバー・エンディング・ストーリー》がなかなかよい。 そういえば、いよいよYMOメンバーのソロアルバムも紙ジャケ化再発売が始まるらしい。 ソニーからは以下の6タイトル。 MHCL 509 : HARRY HOSONO & THE YELLOW MAGIC BAND – PARAISO (HARAISO) MHCL 510 : HARUOMI HOSONO – PHILHARMONY MHCL 511 : RYUICHI SAKAMOTO & THE KAKUTOUGI SESSION – SUMMER NERVES MHCL 512 : RYUICHI SAKAMOTO – B-2 UNIT MHCL 513 : […]
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見初め聞き初め
今年もよろしくお願いいたします。 フーズ・ネクスト+7 なぜか今年の聞き初めはザ・フーの「フーズ・ネクスト」。リスニング・ルームで他の作業をしながら聞いていたのであまり細かい印象は残っていない。1曲目 の《ババ・オライリー》の冒頭のシーケンスがU2のギタリストであるエッジのプレイに影響を与えたと読んだことがあるが、なるほどそういう感じはある。 ゴッドファーザー [DVD] 時間的に余裕のある正月にしか見れない映画を見ることにした。 前にも書いたように、パート1とパート2を年代順に編集した「特別編集版」しか見たことがなかったのである。 初代ゴッドファーザーであるビト・コルレオーネ役のマーロン・ブランドの存在感も素晴らしいが、二代目のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ) が名実ともにゴッドファーザー(名付け親)となる場面、すなわちバッハの宗教曲(詳細不明。《パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582》らしい。)にのって神聖な洗礼の場面と殺戮の場面がモンタージュされるところがたまらなく好きである。 ちなみに、ここで洗礼を受けている赤ちゃんは当時生まれたばかりのソフィア・コッポラ(監督フランシス・フォード・コッポラの娘)だそうである。
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東京佼成ウィンドオーケストラ第83回定期演奏会
最初は聞きに行こうかどうしようか迷っていたのだが、応募したチケットプレゼントに当選したので行くことにした。 プログラムは以下の通り。 第一部 フランシス・プーランク/フランス組曲 オリヴィエ・メシアン/異国の鳥たち 武満徹/ガーデン・レイン 武満徹/室内協奏曲 第二部 イーゴリ・ストラヴィンスキー/エボニー・コンチェルト ドミトリ・ショスタコーヴィチ/ジャズ組曲第1番 クルト・ヴァイル/小さな三文音楽 アンコール クルト・ヴァイル/小さな三文音楽より「マック・ザ・ナイフ」 よくよく考えると、かなり贅沢な演奏会である。 ほとんど編成の異なる20世紀に書かれた管楽アンサンブルの重要作品を一つの演奏会で聞けるのだから。 第一部はかなり多様な作品が集められたが、第二部はジャズ的な雰囲気を持った作品で統一されている。 第一部が演奏者にも聴衆にも緊張感を強いる作品が多かった(例えば《異国の鳥たち》の変拍子とか、《ガーデン・レイン》の金管楽器の超弱音の持続とか)が、その反面、第二部には演奏者も聴衆もリラックスできる作品が多かった。 そのせいか演奏会が進むにつれ演奏者がだんだんなごんでくるのがわかる。 《ジャズ組曲第1番》《小さな三文音楽》あたりでは、かなり乗った演奏が楽しめた。 演奏会前から「こんな特殊な編成ばかりの演奏会でアンコールに使える曲があるのだろうか?」と要らぬ心配をしていたのだが、《小さな三文音楽》の第2曲、ジャズのレパートリーとしてもよく知られている《マック・ザ・ナイフ》が再び取り上げられた。 佼成のメールマガジンによると、WOWOW のビデオ収録が入っていたらしい。放送されるのかな? アンケートにも書いたが、また似たような企画で演奏会を開いてほしいものである。 (どんな作品があるかなあ ….. 武満徹の《シグナルズ・フロム・ヘヴン》を第一部と第二部の前に演奏して、クセナキスの《アクラタ》とか、ヴァイルの《ヴァイオリン協奏曲》とか(あれ、 佼成は最近やったっけ?)、ヒンデミットの《演奏会用音楽》あたりはギリギリでOKか?) 岩城宏之さんのサイン入りCDはしっかりゲットしました。
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今日買ったもの(アバ)
アバ・オリジナル・アルバム・BOX アバのオリジナル・アルバム8枚にボーナス・トラックを加えた紙ジャケボックスセット。 「収納ボックス」「帯」という紙ジャケ必須のアイテムが最初からついているのはいいのだが、ジャケットの出来はいまいち。一応、紙質はアルバムごとに変えられているのであるが。 最初に出会った洋楽がたぶんアバだったのではないかと思う。 小学校6年生か中学校1年生くらいのときだったと思うので、絶頂期のちょっとあとくらいからリアルタイムで聞いていたのだろう。 また、この頃ちょうど親からステレオを買ってもらい、本格的にFM放送のエアチェックを始めた頃であった。 なので、アバの主要曲はかなり知っているのではないかと思う。 《ダンシング・クイーン》《恋のウォータールー》《サンキュー・フォー・ザ・ミュージック》あたりはもちろん、《タイガー》とか《サマー・ナイト・シティ》とかも好きである。
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一段落
今日は昨日よりは少し早く帰ることができて、吹奏楽団の知人たちと呑み会。 昨日の職場の忘年会に出られなかったうらみもあって最初から飛ばしまくる。さすがに二次会ではまともに思考できなくなってきたので先に失礼する。 なので、私が二次会で喋ったことは真に受けないで下さい。 … お願い … ***** 国立音楽大学ブラスオルケスターで長年指揮者を努められてきたクラリネット奏者の大橋幸夫さんが亡くなったらしい。同バンドが長年行ってきた邦人作品の紹介企画などは、もっとちゃんと成果をまとめて欲しいと思っているのだが。合掌。
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マーフィーの法則
10年くらい前にはやった「マーフィーの法則」を思い出した。 If anything can go wrong, it will. 失敗する可能性のあることは失敗する。 そうだよな、まったくその通りだよな … 忘年会も行けなかったし …
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一体感について
もう、仕事の土壇場。 一日中タコメーターが5000回転を指し続けているような感覚である。 今年からロンドンの開発拠点の人たちを仕事をしていて、基本的にはメールやテレビ会議でやり取りをしている。それに追加して今週はフェイス・トゥ・フェイスのミーティングもあった。特に最近は書くメールの8割くらいがイギリス人相手のものである。 当初はこうも考え方が違うものかと、半分呆れて半分怒っているようなことが多かった。いわゆる「あうんの呼吸」は全く通じない、指示していないこと はやらない、合意事項は正式に文書にすることを要求する(そりゃ、そっちは英語で読み書きするんだから問題ないんだろうけど、こっちは日本人が英語で読み 書きしているんだぜ)、こういうのを文化とか国民性の違いというのか、とあらためて思ったわけである。 最近せっぱ詰まってきたので、いきおいメールの数が増えていたのであるが、そうすると何となくコミュニケーションが取れてきて、お互いに相手に対する思いやりが文面ににじみ出てきたりするのである。 仕事に限らず、こういう「共通の目標に向かっているという一体感」というのは言葉や行動ではなく、まさに「実感」という形でしか感じることができないのではないかと思っている。 まだ仕事の方は全然決着ついていないのであるが、とりあえず今日は達成感を感じているのでちょっと今年を振り返ってみた(まだ早いって)。
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楽譜が届いた(その2)
カレル・フサ/この地球を神と崇める 海外のオークションで見つけたもので、かなり安く落札できた。 《プラハのための音楽1968》もかなり抽象的な音楽であるが、この楽譜を見ると《プラハ》はまだわかりやすいんだな、と思う。
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楽譜が届いた
何か最近とっても忙しいぞ ….. とりあえず、選曲検討用と興味のために購入した楽譜が到着した。 マイケル・ドアティ/ビザロ 吹奏楽というよりは管楽アンサンブルといった方がよいような編成。 木管は3管(ただしクラリネットは Eb + Bb + Bb Bass が一本ずつ)+アルトサックス、金管は 4-4-3-1 + ユーフォニアム。それに打楽器、ピアノ、エレキベースという編成である。 実はあまり音源がなく、私が持っているのは《メトロポリス・シンフォニー》(終楽章は単独で吹奏楽編曲されている《レッド・ケープ・タンゴ》という作品)とカップリングになっている ARGO 盤だけである。 Daugherty: Metropolis Symphony/Bizarro シンプルなリフがいろいろな楽器で繰り返されるという構成。 ジャズよりもロックに近い雰囲気である。 こういう作品こそ、大江戸ウィンドオーケストラあたりが演奏したら面白そうだ。 エリック・ウィテカー/スリープ ヘリオトロープ・ウィンド・シンフォニーのCD に収録されている。最初に合唱曲として作られ、後に吹奏楽編成に改作されたらしい。吹奏楽版のフルスコアの真ん中には合唱譜も書かれているので、吹奏楽 + 合唱という形態での演奏も可能なのかも知れない。やはりいい曲であった。 最終部分での二度下降進行の音形には予想通り「Sle-ep」という言葉があてはめられていた。上記 CD の中山鉄也さんの解説によると作曲者のウィテカーは「スリープ = 永眠」という意味合いを持たせているという。この音形はマーラーの《大地の歌》(ここでは「E-wig(永遠に)」という歌詞がつけられている)や《交響曲第9番》でも死を暗示する音形として使われている。やはりウィテカーは意識しているのであろう。 エリック・ウィテカー/クラウドバースト 創価グロリア吹奏楽団のCD に収録されている。聴衆をも演奏者にしてしまうという面白いアイデアの作品である。聴衆がランダムに行う「指パッチン」が雨音を模倣しているのである。作品としては上記の《スリープ》よりちょっと大味か。 パーシー・グレインジャー/マルボロ侯爵のファンファーレ 《リンカンシャーの花束》の第1曲の途中で割り込んでくるファンファーレが、この《マルボロ侯爵のファンファーレ》である。イーストマン・ウィンド・アンサンブルの前指揮者であるドナルド・ハンスバーガー校訂によるエディション。 ホルンのオフ・ステージのソロに始まり、金管主体でどんどん繰り返されるような構成になっている。なかなか面白い小品なのだが演奏者によってはプレッシャーがきついかも。 クルト・ヴァイル/小さな三文音楽 オペラ《三文オペラ》から作曲者自身が再構成した管楽アンサンブルのための組曲。 この組曲を編むことを進言したのがオットー・クレンペラーというのが面白い。 個人的には厳格で気難しいそうな印象のあるクレンペラーがこの作品を振っている情景を想像すると何となくおかしい。クレンペラーによる音源もあるらしいのだが、残念ながらまだ聞いたことがない。 皇帝円舞曲(巨匠クレンペラーの世界) 編成は以下のようになっている。 2 fl (picc.), 2 cl, alto sax, ten. […]