一体感について

もう、仕事の土壇場。

一日中タコメーターが5000回転を指し続けているような感覚である。

今年からロンドンの開発拠点の人たちを仕事をしていて、基本的にはメールやテレビ会議でやり取りをしている。それに追加して今週はフェイス・トゥ・フェイスのミーティングもあった。特に最近は書くメールの8割くらいがイギリス人相手のものである。

当初はこうも考え方が違うものかと、半分呆れて半分怒っているようなことが多かった。いわゆる「あうんの呼吸」は全く通じない、指示していないこと はやらない、合意事項は正式に文書にすることを要求する(そりゃ、そっちは英語で読み書きするんだから問題ないんだろうけど、こっちは日本人が英語で読み 書きしているんだぜ)、こういうのを文化とか国民性の違いというのか、とあらためて思ったわけである。

最近せっぱ詰まってきたので、いきおいメールの数が増えていたのであるが、そうすると何となくコミュニケーションが取れてきて、お互いに相手に対する思いやりが文面ににじみ出てきたりするのである。

仕事に限らず、こういう「共通の目標に向かっているという一体感」というのは言葉や行動ではなく、まさに「実感」という形でしか感じることができないのではないかと思っている。

まだ仕事の方は全然決着ついていないのであるが、とりあえず今日は達成感を感じているのでちょっと今年を振り返ってみた(まだ早いって)。

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