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みるく
まあ、どうでもいい話ではあるが、育児書で見つけてなるほどと思ったこと。 生まれたばかりの赤ちゃんはおよそ3時間おきにおよそ100ccのミルクを飲む。 だいたい体重3000gに対して100ccである。 これを体重60kgの大人にあてはめてみると、単純に換算して毎回2000ccのミルクを飲んでいることになる。自分が3時間ごとに2リットルの牛乳を飲んでいるところを想像するとちょっとすごい。 日に日に目に見えて大きくなっているのも無理はないと思ったしだい。 (親馬鹿?)
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ゆかしいよろこび
“I have no name; am but two days old.” What shall I call thee? “I happy am, Joy is my name.” Sweet joy befall thee! Pretty Joy! Sweet Joy, but two days old, Sweet Joy I call thee: Thou dost smile, sing the while, Sweet Joy befall thee! 「まだ名がない 生まれて たった二日」 では おまえを何とよぼう? 「あたいは楽しい よろこび […]
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最初にして最大の災厄
午後11時23分、彼に「最初にして最大の災厄」が訪れた。 また、ある人はそれを「意図せず数十年の冒険に漕ぎ出した勇気」と呼ぶ。 確かにそれは彼の意図ではない。 彼を冒険に漕ぎ出ださせたのは我々である。 ある方向に導くのではなく、彼が進みたい方向へ進みたい速さで進むことをしっかりと見守ることが我々の責務だ。 彼の冒険に幸多からんことを。 ***** (後日付記:妻がブログに書いた文章です。) 1月7日午後11時23分、サバヲが生まれた。陣痛開始からあっという間の出産だったので、あまりの展開の早さにびっくりするばかり。こりゃあ、忙しい子供かも、としみじみ思った。 そもそもの予定日は1月末だった。三ヶ日はDVD三昧で過ごし、4日は買い物、5日は友達が来訪、6日は年賀状の返事を出しに散歩、と呑気な日々を過ごしていた。 一応予兆はあった。6日夜におしるしがあったのだ。思えばこれがサバヲからの合図だったのだろう。 でも9日にフグのコース料理を友人と予約していた私たちは、「10日過ぎに出てきてくれぇ」と考えていた。 7日の朝から、何となく腰が痛いような変な感じがした。でも、よくドラマにあるような、「いたたっ」という感じがしない。ダンナに午前半休をとらせたものの、はっきりしないので仕事に行ってもらい、だらだら寝ていた。 3時頃やっぱり心配になり、自分で車を運転して病院に検診に行った。「子宮口が開き始めているので、数日中に出産かも。陣痛が10分おきになったらおいで」と言われた。家へ戻って、念のため入院用品に名前を書いた。ゆうがたクインテットを見ながら通販のカタログを見て申込用紙を書いているうちに、朝からの変な感じが間隔をおいてやってくるようになった。キッチンタイマーで計ってみると、10分だったり13分だったり一定しない。気のせいだろうと思っていたが、8時頃には8分おきに。これはまずいと思い始め、支度をしているうちにダンナが帰宅。ダンナは危うく夕飯のパスタを作りはじめようとしたが、そのまま病院へ。 病院に行く間にも陣痛の間隔はどんどん早くなる。入り口から診察室、病室から陣痛室へと移動するのに30分もかからなかったか?荷物を解く暇もなくパジャ マに着替え、陣痛測定器をつける。痛みに反応してグラフが跳ね上がるのがおもしろいが、助産婦さんが間に合うか心配になってきた。 助産婦さんも来て、分娩室へ。ダンナは打ち合わせ通り外で待つことに。血を見て倒れられると邪魔になるだけ、ということで。その間吉牛で夕飯を食べてきたらしい。 そろそろ陣痛の間隔が短くなり、子宮口も全開したということで、マタニティースクールの教え通り頑張ってみる。呼吸は深呼吸のままでなんとかなるのだが、 いつどう頑張ったものか、皆目見当がつかない。どこに力をいれるんだ?と自問自答しつつ頑張る。やっぱりその時になってみないと分からないことはあるもの だ。 しばらくいきんでも出てこない。陣痛の合間に看護婦さんが真面目な顔でダンナの伝言を伝えてくれる。 「『フグ、キャンセルしたから』だそうですよ。」 これには笑えた。ちょっと力が抜けて楽になった。 まだ出てこないので、助産婦さんが看護婦さんに先生を呼びに行かせる。「うーん、どこかがつっかえているのよねぇ。臍帯が巻いているわけでもないと思うし。」と、リアルな打ち合わせ後、麻酔してちょと出口を切ることになった。 サクサク、といった感じで切った後、またいきんでみる。とうとう看護婦さんと助産婦さんが交代でお腹を押してくれる事態になった。相変わらずどこに力をい れていいものやら分からないが、陣痛で痛い時に頑張らないといけない、ということがようやく理解できた。いやあ、大変だ、痛い時にこそ力もいれなきゃいけ ないとは。などと考えている間にも刻々と陣痛は来るので、 「あのー、そろそろ痛くなってきそうです。」 「あ、痛いです。」 などと報告しつつ、いきむ。 とうとう吸引もすることになった。看護婦さん、助産婦さんが交代でお腹を押し、先生が引っ張る。大変だぁ。3人がかりで出してもらうとは。 やっといきむコツがつかめたかな?という時に 「もうすぐよっ!」 と言われたと思ったら、赤いかたまりがびゅーんと出て行ったのが見えた気がした。 と、同時に激しく悪寒がした。歯の根が合わない。ガチガチいうのが分かる。寒い。寂しい。それまでお腹の中にいた生命の温かい塊が抜けて、取り残された私の体がさびしい、と訴えているようだった。 助産婦さん、先生で生まれたサバヲのケアをしているらしい。病室には看護婦さん一人だし、寒くて仕方がない。 よく言うおぎゃぁー、という声ではなく「めーめー」という山羊かなんかに似た声がした。男の子です、元気ですよ、良かったですね、云々という声が聞こえる。 先生が戻ってきて切ったところを縫い始める。お布団を山盛り掛けてもらい、暖房もしてもらったのに寒い寒い。相変わらず歯の根は合わないし、縫うときの痛みがじんじんする。 「先生、いたいです。」 と言うと、 「そうかいー?すぐ終わるからねー。」と呑気な声。 これは本当に痛かったんだってば。 ダンナが分娩室にやってくる。サバヲを先に見てきたらしい。写真も撮ったという。寒くてしょうがないので、お茶を飲ませてもらう。まさに病人ぽいなあ。な かなか出てこなかったのは、頭がちょっと入り口でつっかえていただけらしい。それ以外は何の支障もなく自分で頑張って出てきたらしい。えらい子だ。 洗ってもらってきれいになったサバヲを看護婦さんが連れてきてくれる。私は相変わらず分娩台の上で布団てんこ盛りだ。腕にサバヲを載せてくれる。思ったよ りしわしわで、しかも頭が伸びている。ドラマにあるような、まあかわいいっ、という感慨はわかなかった。悪いね、サバヲ。携帯でも写真を撮ったが、後から 見ると指揮者の岩城宏之さんに似ていた。 サバヲとダンナが出て行った後、ストレッチャーに載せられ、病室へ向かう。重病人みたいだが、本当に身動きができないんだからしょうがない。とにかく寝ようと思うがお腹が痛いし、寒いしでなかなか寝つかれず、友人にメールを書いたりなんかした。 そろそろ眠くなってきた。悪寒も治まり、大分暖かくなってきた。するとまだサバヲがいるかのように、お腹の中で蹴る気配がした。