積志ウィンドアンサンブル」カテゴリーアーカイブ

本日の合奏

そろそろ本格的に定期演奏会の練習が始まる。

ここ最近「こども講座」の練習でポップス系の曲ばかり振っていたせいか、いわゆる「指揮者の筋肉」の感覚がどうもしっくりこない。

普段は重心がほぼ握る位置にある指揮棒を使っているのだが、今日はそれより少し棒の先の方に重心がある指揮棒を使う。なかなか意図通りに動かない腕を、棒の重さによる慣性の力を借りて動かしてみようと考えたのである。

わりと意図通りにうまくいったような気がする。やはり「素振り」(指揮の基礎練習)はきちんと時間をかけてやらないと筋肉が退化してしまうのかなあ?

こども講座

ふだん練習に使わせていただいている公民館主催の「こども講座」での演奏。

  • 第1部:演奏
  • 第2部:パート紹介&指揮者体験コーナー
  • 第3部:楽器体験コーナー
  • 第4部:合同演奏

という構成で行った。

演奏者もリラックスして楽しめたようだし(これがいちばん大事)、聞きに来てくれた小学生にも楽しんでもらえたのではないかと思う。

楽器体験コーナーでは、意外といろいろな楽器にチャレンジする子供が多かった。団員も自分の担当楽器とは別の楽器を演奏していたし(笑)。

たまには原点に立ち返って「楽器を演奏するとはどういうことなのか」「演奏を人に聞かせるということはどういうことなのか」ということを考えるいい機会だった。

今日の積志ウィンドアンサンブル

3月6日に行われる「こども講座 吹奏楽編」の合奏。

その後、9月の定期演奏会のための選曲会議。とりあえず全容が決定する。

毎年チャレンジングな曲が多くて消化不良の部分があったという反省があったので、今年はぐっとこらえていくらかハードルを低くした。毎年少しずつでも前進していきたいという思いと、技術的に少し余裕を持ってその分表現を充実させたいという思いの葛藤が強かったのだが、今年は比較的いいところに着地したのではないか。

思い入れの強い曲ばかりやっても必ずどこかで空回りが起こってしまうと思うし、「積志ウィンドアンサンブルらしい曲」ばかりやっても自己満足に終わってしまっては意味がない。要はバランスなのだろう。

今年は副指揮者にも何曲か振ってもらうことになっている。自分が振らない曲では客観的にうちのバンドを観察できそうだし、演奏者も新鮮な方向からの曲作りができてメリットがあるのではないかと思う。結局、いちばん忙しいのは演奏者としても指揮者としても出演しなければならない副指揮者になりそうなのだが、ぜひがんばって欲しい。

新年会

所属する吹奏楽団の新年会。

例年、新年会で団の音楽的方向性を定めるための「スローガン」を発表するのだが、今年は別のイベント報告があってすっかり忘れていた。

2次会での話の流れから急遽2次会で発表することになったのだが ….. 人数少ないし、すでに暴走しまくっているし、誰も聞いちゃいないよね …

また改めて発表することにします。>> 団員諸氏

リンカンシャーの花束

年内の演奏予定行事も全て終了し、ぼちぼち来年のための準備に入る。

限られた時間内で借りることのできた楽譜の音出しをしてみようということで《リンカンシャーの花束》の合奏。やはり3楽章と5楽章の変拍子は初見では無理だと思い、「1」→「2」→「4」→「6」→「5」→「3」の順に通してみることに。

特に3楽章などはもっとてこずるかと思っていたのだが(そりゃ、かなりてこずったけど)、一応全ての楽章を音にすることができたのは素直に感動。1時間弱の合奏時間、しかも初見でこれだけできたのはすごい。

しかし3楽章、5楽章は予想以上に疲れる。演奏者に音楽の流れを委ねられる部分がほとんどない。変拍子を正しく振ったり、5楽章の例の無拍子の部分のキューを出したりするのはもちろんなのだが、ほぼ毎小節何らかのキューを出さないと、きっと音楽が止まってしまうだろう。

この曲、演奏会で取り上げるにはちょっと地味(演奏が難しいわりに報われない)かなと思っていたのであるが、ラトル/バーミンガム響の演奏を聞いて少し考えが変わった。吹奏楽の演奏とは違い、それぞれの奏者がソリストであるかのように鳴らしまくっている。こういう演奏ができるといいのだが。

「公民館まつり」出演

今年最後の演奏となる「積志公民館まつり」に出演。

子育てのため休団している何人かの団員もお子さんを連れてきていたりして、普段とは違うリラックスしたムードである。

10月の末に浜松市から「教育文化奨励賞」なる賞をいただき、そのあと最初の公開演奏となったわけであるが、控え室から会場へ向かうときにまったく知らないおばちゃんから「おめでとう」と声をかけられてびっくり。地域の方にも注目されているんだなあ。

《マツケンサンバII》《椰子の実》《九ちゃんグラフィティ》を演奏。相変わらずの課題は解消されていないが、昨日の最終練習でちょっと締めたためか演奏全体としてはかなりよかったと思う。

敬老会の依頼演奏

ふだん練習で使わせていただいている積志公民館からの依頼で、本日行われた敬老会の余興(笑)で演奏した。

定期演奏会直後でなかなか練習する時間が少なかったこと、祝日ということで仕事が入っている団員もいて演奏者が少なかったこと、など厳しい条件もあったが、演奏の出来もよかったし、聞きに来ている方々にも喜んでいただけたのではないかと思う。

懐かしい日本のメロディ(《椰子の実》《赤とんぼ》《朧月夜》《里の秋》)や、中村八大のヒット曲などを中心に演奏したのであるが、体を揺らしながらメロディに聞き入っていたおばあちゃんなどもいたようだ。

(何か気恥ずかしい表現になってしまうが)こういう場こそ、ただ演奏するだけではなく聞いている方一人一人の心に届く演奏をしなければいけないと感じる。

会社にて

演奏会に来てくれた同僚から感想を聞く。吹奏楽経験者で、学生時代に《コーラル・ブルー》を演奏したことがあるらしい。さすが吹奏楽経験者、バンドが抱えている技術的な問題点を痛すぎるくらいズバリとついてきた。こういう指摘も参考になる。

たまの最期!! [DVD]

「たま」の解散ライブの模様を収録したDVD。

イカ天で放送された「らんちう」や「さよなら人類」で衝撃を受けて以来「たま」にはかなりはまった。私にしては珍しくファンクラブに入ったりした。おかげで最前列中央でライブを見たこともあった。メジャーデビュー前にナゴムレコードから出ていたEP「でんご」やLP「しおしお」も買った。

インディーズ時代からすでに確立された世界を持っていたので、メジャーになってからの「のびしろ」が少なかったのだろう。単なるエキセントリックな集団として流行の波にさらわれていってしまったのはそういう理由があるのだと思う。

定期演奏会前夜

ということで、定期演奏会前最後の練習が終わった。

例年以上にやり残してしまったことが多いような気がするが、それはそれでやるしかない。

とはいえ、「うまくいきそうだ」という感触はあるのでいい演奏ができると信じている。
実はこういう「感触」を共有することが演奏会を成功させる大きな要素だと思うのである。

乞うご期待。

《落葉》の司会原稿

所属する吹奏楽団の定期演奏会前の最後の一仕事。 司会の方にお願いする曲目紹介の原稿作成である。 プログラムの内容をそのまま読んでいただくのもつまらないので、プログラムには書かれていなくてお客さんの興味を引くようなネタを探す。

要するに、これは曲目紹介を2回考えるようなものである。 まあ、司会原稿の方がはるかに短いし、文脈とか文章校正がちゃんとしていなくても司会の方が適切に補正してくれるので多少は楽なのであるが、それでも想像以上のエネルギーを使った。 英気を養うために早く寝ようと思っていたのに …..

以前、プログラムのネタ探しにウェブをさまよっていた時に「ウォレン・ベンソンの《落葉》にケネディ暗殺が影響を与えていることは明白である」というような評論を見つけた。 特に根拠がなさそうなことをもっともらしく説明するのも憚られると思いながら、今さらながらにフルスコアの冒頭にあるベンソンの文章を読み直してみたらその根拠を見つけることが出来た。 なぜ、今まで気がつかなかったんだろう …..

《落葉》の冒頭はもともと全く違う構想をもって作曲されたもので、その先がうまく展開しなかったのでしばらく放置されていたらしい。これに当時の教 え子だったルース・コマノフ(後にフランク・ザッパのバックでマレット・パーカッションを担当する)から贈られたリルケの詩のイメージを重ね合わせ、後半 に讃美歌を挿入することで詩そのものを音楽的に表現することができたという経緯になっている。

こういった成り立ちがありながら、ベンソンは実際に《落葉》の作曲を開始した日としてはっきり「1963年11月22日」(つまりケネディが暗殺された日)と記していたのであった。