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ヤマハ吹奏楽団第39回定期演奏会

2004年5月30日(日) アクトシティ浜松大ホール

ヤマハ吹奏楽団の定期演奏会を聞きに行く。プログラムは以下の通り。

  • P.I.チャイコフスキー/イタリア奇想曲
  • 菊池幸夫/摩天
  • J.イベール/「寄港地」より
  • F.チェザリーニ/アルプスの詩

アンコール

  • P.マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
  • J.フチーク/フローレンティナー・マーチ

最近の演奏会では tutti のバランスの悪さが気になっていたが、今回はよかった。全体にこじんまりとしてしまったのだが、バランスの改善によって聞きやすくなったメリットの方が大 きいと思う。(恐れていたように《アルプスの詩》ではやはり部分的に寝てしまったが …..)

委嘱作品である「摩天」は一種のオルガン協奏曲とでも言える作品。オルガンとバンドが拮抗しながら高みに向かう ….. という作曲者のプログラムノートそのままのようなイメージ。(ということで、今年のコンクールの自由曲にはならないような気がする。)最近の「長生四部作」はかなりロマンティックな作風であったが、この作品でまた「硬派な」ヤマハ委嘱作品の作風が戻ってきたように思える。

広島BCL日記(その2)

広島での二日目。

宿泊したホテルが平和公園の近くだったため、朝の散歩を兼ねて原爆ドームやら平和公園を見て回る。原爆ドームから道路をはさんだすぐ向かいに広島市民球場があったのが意外といえば意外であった。

私などはこの年にして初めて広島を訪れたので、原爆ドームや平和公園や随所にある追悼のモニュメントなどを見るたびに、いちいち「ズシ」「ズシ」と 日本が歩んできた歴史というものを思い返してしまう。それにしても、依然として原爆ドームは静かに立っているわけだし、平和の灯はともされ続けているし、 観光バスは毎日やって来て団体旅行客やら修学旅行生やらは原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせている。そういうことを「日常の隣で行なわれ続けていること」 として捉えるのはどんな気分なんだろう、とふと思う。

その後、ブレーンの営業の方がホテルに迎えに来てくれて宮島観光。当然のことながら厳島神社へも始めて行くわけだ。この営業の方は天理高校から近畿大学を経てブレーンに就職したそうで、言わば吹奏楽のエリートのような方である。コンクールや演奏旅行などで私などが得難い経験をされているわけで、道すがらそういう話をお聞きするのは非常に楽しい。

午後1時30分頃に録音会場である廿日市市文化センターに到着。ちょうど《呪文と踊り》(チャンス)のレコーディングが始まるところであった。結局、夕方まで《ノヴェナ》(スウェアリンジェン)と《ジュビラント序曲》(アルフレッド・リード)の録音を聞かせていただく。

ホールは1階席と2階席の間の間仕切りを閉めていたようなので1階席のみで800席ほどのスペース。吹奏楽を演奏するには少しライヴ過ぎる響きかなとも思うが、床や壁には木が多く使われているし、天井も高いので柔らかい残響が残る。

(以下、素直な感想なので提灯記事だと思わないでね …..)

録音に立ち会いながら、このシリーズを聞いて感じていたことをスタッフの方々といろいろ話していたのだが、私と同じような考えを持っている方が多かったことに今さらながら驚いた。「新鮮な発見がある」ということである。このバンド・クラシックス・ライブラリー・シリーズの一連の演奏を聞いていると、自分の頭の中にイメージとしてある演奏との違いに「はっ」とする瞬 間がある。例えばテンポ設定だとか各パートのバランスについてである。そこで、その部分をフルスコアで確認してみると、確かにスコアにはそう書かれている のである。(非常に具体的な例で恐縮であるが、《呪文と踊り》は4年ほど前に指揮したことがある。今回の録音にもその時に使ったフルスコアを持って行ったのであるが、それでも録音を聞きながらスコアを追っているといくつかの新しい発見があった。)

木村吉宏先生がおっしゃるには「彼ら(広島ウィンドオーケストラ)にとって、ほとんどの曲が新曲なんですよ。」ということらしい。実際、ほとんどのメンバーはかなりお若い。固定観念がない分、純粋に楽譜に向き合えるのではないかという気がする。

あ、そうだ。ラインナップはこんな感じです。

  • 序奏とファンタジア(レックス・ミッチェル)
  • 呪文と踊り(ジョン・バーンズ・チャンス)
  • マスク(フランシス・マクベス)
  • チェスター序曲(ウィリアム・シューマン)
  • 狂詩曲「ノヴェナ」(ジェイムズ・スウェアリンジェン)
  • ウェールズの歌(アルバート・オリヴァー・デイヴィス)
  • ジュビラント序曲(アルフレット・リード)
  • コラールとカプリチオ(シーザー・ジョヴァンニーニ)
  • 序奏とカプリス(チャールズ・カーター)

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で、帰りの新幹線の中で読んだ本。ふと KIOSK で見つけたので買ってみた。

東大生はバカになったか (文春文庫)

なんか、立花隆さんの文章を読むのも久しぶりだ。自分の知識欲を刺激するという意味で、立花さんの旺盛な知識欲とそれをどんどん突き詰めていくプロセスを読むのは非常に楽しい。

基本的には、文部省による教育システムの失敗についての指摘と、高等教育を受けるものが習得しなければいけない「教養」とは何かという話題が主である。これらの具体的な事例を示すキーワードとして「東大生はバカになったか」という題名がつけられている。

漠然と大学進学を考えている高校生あたりが読むと面白い内容なのではないかと思う。

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帰宅したら amazon.co.uk から以下の CD/DVD が届いていた。 DVD は国内未発売のタイトル、CD は全て日本国内では CCCD でリリースされているタイトルである。(こういうタイトルを輸入禁止にするのは止めて下さいね。)

歌劇「兵士たち」

ちょっと前にベルント・アロイス・ツィマーマンが作曲した管楽アンサンブル曲《ユビュ王の晩餐のための音楽》について調査していたところ、同じ作曲者のこのオペラが目に止まったので買ってみた。本命の《ユビュ王》よりも先に届いてしまったのであるが。

こういう作品が存在すること自体は知っていた。 LD で国内盤が発売されていた(廃盤。しかも未 DVD 化)頃にはかなりの反響があったように記憶しているし、ゴールデンウィークに《ユビュ王》のCDを探した時も、このオペラのCDは見つけることができた。

錻力の太鼓 (CCCD)

ジャパンの最終作にして最高傑作と言われている作品。以前、CDで聞いたときにはあまりいい印象を持たなかったのであるが、リマスタリングされた音源はかなりいい感じである。

YMO(特に坂本龍一)の影響が色濃く出たサウンド・プロダクション。いかにも80年代を思わせるパーカッシヴな音で構成されたバックトラックは、 ビートが埋め尽くされていながら同時にスカスカな印象も与える。ヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンの歌い方も高橋幸宏に似ている。どちらがどちらに影 響を与えているのかわからないが。

例えば冒頭の《The Art of Parties》あたりを YMO が作ったりするともっとうまく作れるのだろうけど、かなり息苦しくなってしまうのかも。少し稚拙で不安定なバックトラックとぬめぬめしたシルヴィアンの ヴォーカルの絶妙なミスマッチさがいいのかも知れない。

Tour De France 03 (X4)

Aerodynamik

悪くはないんだが、ちょっと進歩なさすぎ。

広島BCL日記(その1)

ブレーン株式会社から発売予定の「バンド・クラシックス・ライブラリー3」の録音のため広島へ。せっかくお誘いいただいたことだし、貴重な機会でもあるので遠路はるばる出かけることにした。レコーディングは18日からなのであるが、担当の方々と親睦を深めるため(わかりやすく言うと「飲み」(笑))前日から広島入りする。

世界の中心で、愛をさけぶ

ふだんはなかなか本を読むための時間を取れないので、新幹線の中で読む本を探した。なんでも村上春樹さんの「ノルウェイの森」より売れたらしいので読んでみた。あえてネタばれにならないような記述にするが …..

まず思ったのは、誰にでも演繹可能なストーリー展開だなということ。つまり、ああいう状況に置かれれば、きっと誰でもああいう考え方をして、ああいう行動に走りたくなるのではないか。そのことが「誰でも感情移入できる」という意味で、多くの共感を得、その結果ベストセラーになったのであろう。しかし、ああいう状況というのはそうそう身近に起こることでもないと思うし、それを単に「お涙ちょうだい」とか「純愛」とかのシチュエーションとして選んだの だとしたら、ものすごく表層的だと思う。

まあ、お手軽なカタルシスというところか。結局、このタイトルはどこから来たのだ?

スコア到着

H.オーウェン・リードの《メキシコの祭》と同時に注文していたウィリアム・シューマンの《ニューイングランド三部作》のフルスコアが到着。ううん、失敗。管弦楽版のスコアだった。吹奏楽作品としての《ニューイングランド三部作》は出版されていないのかな?

そんなわけでスコアを見ながら吹奏楽版の《ニューイングランド三部作》を聞いてみたのであるが、かなり違いがある。オーケストレーションも、例えば弦楽器セクションをクラリネットやサックスに振り分けるという通常想定されるトランスクリプションではなく、オクターヴを上下させたり楽器を極端に変更したりでかなり印象が異なる。

例えば、第2曲「イエスが涙を流し給うとき」の冒頭は管弦楽版ではオーボエとファゴットのデュオである。吹奏楽編曲でもそのまま使ってよさそうなものだが、これがトランペットとユーフォニアムのデュオになっている。トランペットにとってもユーフォニアムにとってもかなりきつい高音域を使うことになってしまう。

単独の吹奏楽作品としても知られる第3曲《チェスター》は、冒頭こそ木管主体のコラールで開始されるが、吹奏楽編曲では管弦楽版にない金管のコラールもあったり、主部に入ってからの主題の展開もかなり異なっていたりする。

管弦楽版の音源を聞いてみたいが、持ってたっけ …..

演奏会行脚

この日、浜松は管楽器関係のコンサートだらけ。昼間は浜松交響吹奏楽団とマーチングバンドの浜松ワイルドウィンズの定期演奏会がバッティング、夕方から夜にかけてはビッグバンドのリハーサル・ジャズ・オーケストラと浜松南高等学校吹奏楽部の定期演奏会がバッティングしていた。

私は浜松交響吹奏楽団と浜松南高等学校吹奏楽部の演奏会をはしごしたのであるが、この二つの演奏会の所要時間を合計すると5時間30分であった。演奏者のみなさんには「おつかれさま」と言いたいが、私も疲れた(笑)。

浜松交響吹奏楽団定期演奏会

プログラムの前に、昨年逝去された初代常任指揮者の松下功一さんを追悼するためにドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章が演奏された。

第1部の課題曲(《鳥たちの神話》)をのぞく3曲は、3月に行なわれた「響宴」でも取り上げられた作品。基本的な感想は「響宴」の時に感じたものと同様。どの曲も確かに「鳴る」のであるが、音楽的に面白いかというと私の耳には面白くない。単に趣味の問題なのかも知れないが。

どうも最近の邦人作品のトレンドが耳に合わないのでそれを合理的に説明する術を考えているのだが、なかなかいい言葉が見つからない。一つは「推進力の欠如」なのかなと思う。その場その場では綺麗な旋律、あるいは綺麗な響きができているのだが「ただそれだけ」という気がする。その音楽がどこに向かって進もうとしているのかが見えてこないのである。例えば、推進力の拠り所というのは作品の構成であったりソノリティ(音色)の選択であったりするのであろうが、「綺麗な旋律の連続」や「鳴るソノリティの追求」がそういった推進力を失う原因になっているのではないだろうか。

「だから西洋音楽は偉い」というつもりはないが、例えばソナタ形式で主題が再現された時やパッサカリアで主題が再現された時の「クライマックス感」がある限り、西洋音楽が長い時間をかけて培ってきた(また試行錯誤の中でそれを解体しようとした)楽曲構成にはそれなりの必然性があると思うわけである。

というわけで、このバンドはポピュラー・ステージの方が肩の力が抜けていて楽しめる。女子十二楽坊のメドレーは圧巻。木管セクションの各演奏者の技術の高さをアピールするような編曲。

静岡県立浜松南高等学校第11回定期演奏会

昨年に引き続いて聞きに行った。印象は昨年と大きく変わらない。昨年よりは「鳴り」がいいかな?マーチングが得意なためか開放的なサウンドが魅力的である。弱音のコントロールや柔らかい音色をうまく表現できるようになれば、もっといい演奏ができるだろう。

  • 大栗裕/仮面幻想
  • アラム・ハチャトゥリアン(林紀人編曲)/バレエ組曲「ガイーヌ」より
  • 天野正道/「GR」よりシンフォニック・セレクション

《GR》はそこそこ仕上がっているが他の2曲はかなり厳しい。特に《ガイーヌ》は技術的にかなり難易度が高い。最低限でも細かい音符が吹けていないと聞いていてかなり辛い。

第2部はドリル・ステージ。ここ数年マーチングの全国大会に出場している団体だけに安心して見られる。今回は「スペイン」がテーマ。

第3部はコント(^_^;)。さすがに部外者がこれを見続けるのは辛いので中抜けして買い物に行った。 30分ほど経って帰って来たらまだやっていた(^_^;)。「学校での一日」をテーマにしていたらしく、いろいろな小物(例えば本とかバスケットボールとかデッキブラシとかポリバケツとか)でパーカッション・パフォーマンスをやっていたらしい。ということで、ラストは《学園天国》(なるほどね)。

第4部はポピュラーステージ。ニューサウンズの《マイ・フェイヴァリット・シングス》は、やはりジャズ・ワルツのリズム感を出すのが難しそう。《パイレーツ・オブ・カリビアン》は2年生の学生指揮者が振ったのだが、この指揮がとてもうまい。振り方から見て取れる「指揮者が作ろうとしている音楽」と、結果として「バンドから出てくる音楽」が一致しているのである。指揮者が音楽的に進むべき道筋をちゃんと提示して、演奏者が集中力を持ってそれについていくという形。音楽的な完成度から言えば、この演奏会のベストだろう。また、この演奏会をもって3年生が引退するということで涙なくしては見れないいろいろな趣向があるのだが、団長の挨拶は決め台詞を決めておいた方がかっこよく締め括れると思うよ。

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そういうわけで、コントの合間に買ってきたもの。

エレクトロニック・メディテイション(紙ジャケット仕様)

アルファ・ケンタウリ~ケンタウロス座のアルファ星+Ultima thule(紙ジャケット仕様)

ツァイト

アテム

ジャーマン・エレクトロ・ロックの祖とも言える存在。これも紙ジャケ/リマスターでリリースされたので買ってみることにした。

とりあえずランダムに手に取った「ツァイト(Zeit: 英語にすると time)」から聞いてみた。あまり電子音を駆使したという感じはない。 1曲目は複数台のチェロが絡み合う音楽から始まり、徐々に電子音が主導権を握っていくような感じ。インターネットで検索すると「このアルバムは難解だ」という人が多いようだが、私は結構好きである。例えば、冒頭のチェロは西村朗さんの管弦楽作品にみられるようなアジア音楽のドローンを模した低音弦楽器の音響に通じるところもあるし、後半のシンセサイザーの持続音が続くところなどはアルヴォ・ペルトの作品の静謐感を思わせる。

「アルファ・ケンタウリ」にはアルバム未収録だったシングル曲を収録した8cmCDシングルがついているのであるが(しかし、ここまでするか(笑)?)、実はこのシングル曲がいちばん聞きやすいのではないか。

夏頃には Virgin レーベルに移籍してからの「フェードラ」「ルビコン」も再発予定。こちらの方が一般大衆向けの曲想らしいので楽しみである。

バグズ・ライフ [DVD]

「ファインディング・ニモ」のDVD発売にあわせて、ピクサー制作のアニメーション映画が廉価版になった。劇場公開映画では「バグズ・ライフ」だけ見ていなかったので購入。

「スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー」も見ていないのであるが、「ニモ」購入後に「もう一枚キャンペーン」でもらう予定。そういえば、数年前に見かけた七夕の短冊に「バズ・ライトイヤーになりたい」という願い事があったのを思い出した。宇宙の平和のためにがんばってほしい(笑)。

吹奏楽の楽しみ(イーストマン・ウィンド・アンサンブル)

アクトシティ音楽院主催「音楽アラカルト第1回 吹奏楽の楽しみ イーストマン・ウィンド・アンサンブル」を聞きに行く。近々行なわれるコンサートの予習として、その分野の著名人を迎えて講義していただくという企画である。講師は織田浩司(オリタ・ノボッタ)さん。5月26日に浜松で行なわれるイーストマン・ウィンド・アンサンブルの演奏会についての講義のはず … と思ったのだが …

私怒ってます。無料の講演会だからといって適当なことを話してもいいというわけではないが、はっきり言って有料だったら「金返せ」の内容である。話す内容にしても講義全体の段取りにしても「準備不足」という感が否めない。要するに、時間を工面して話を聞きに来ている人たちに対する誠意がまるで感じられないのである。

多めに見積もっても吹奏楽あるいはイーストマン・ウィンド・アンサンブルについての話は20%くらいだっただろう。それ以外は米米クラブとか有名ミュージシャンとの仕事とか氏の音楽経歴などの話である。それはそれで意味のある話だとは思うが、少なくとも上記のようなお題目に興味をひかれて集まった人たちに向けて話すべき内容ではない。

また氏は「イーストマンは凄い」とおっしゃる。イーストマンの実演あるいは録音に接したことがある人なら誰でも「すごい」ということはできるだろう。しかし、講義を聞きに来ている、ひょっとしてイーストマンの演奏を聞いたことがない人たちは「イーストマンの何がどう凄いのか」を説明してもらえることを期待して来ているのではないか。そういう人たちに「すごい。すごい。」を連発しても、それは何も言っていないに等しいことなのではないか。

一応(本当に「一応」)演奏曲目については一通り説明があったのだが、これも勉強不足であろう。招聘元であるソニー音楽芸術振興会のホームページに書かれている以上のことは言っていない。ちなみに浜松公演のプログラムはこちら。

  • J.S.バッハ作曲(ハンスバーガー編)/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
  • ロバート・ラッセル・ベネット作曲/組曲「古いアメリカ舞曲」
  • フィリップ・スパーク作曲/ダンス・ムーブメント
  • バーンスタイン作曲(ベンクリシュート編)/交響曲第1番「エレミア」より「冒涜」
  • モーテン・ラウリゼン作曲(レイノルズ編)/オ・マグナム・ミステリウム
  • エリック・イウェイゼン作曲/トランペット協奏曲「Danzante」
  • スーザ生誕150周年を記念して〜スーザ組曲

例えばバーンスタインの《エレミア》については「聞いたことがない」といい、《ウェストサイド物語》《キャンディード》《ファンファーレ、フーガとリフス》に言及する(端的に言ってしまえば「お茶を濁す」)にとどめるのはおかしいのではないか。今回のプログラムの中でも、他分野である合唱からの編曲であるラウリゼンの作品や本邦初演となるイウェイゼンのトランペット協奏曲については「聞いたことがない」という言い訳も通用すると思う。

しかし、《エレミア》はバーンスタインの純音楽分野における代表的作品である。管弦楽版であればいつでも入手できる状態にあるはずだし、今回取り上げられるベンクリシュトの吹奏楽編曲は国内盤のCDが出たこともある。つまり、ちょっと努力すれば簡単に音を聞ける状態にある作品なのである。そういう作品を紹介することを期待されている立場にありながら「聞いたことがない」という一言で片付けてしまうのは怠慢だろう。

今回の講義を聴きに来た方々はご年配の方が多かった。こういう方々はおそらく吹奏楽経験はなく、純粋に聞く立場に立った吹奏楽の愛好者あるいは愛好者になろうとしている方々であると思う。そういう方々が、織田氏の講義内容の底の浅さをもって、吹奏楽の底が浅い(つまり吹奏楽には語るべきことがない)と誤解してしまわないかということがとても心配である。それで私は憤っている。

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Mojo Hand [Collectables]

ジャケットのインパクトも強烈なブルースの名盤とされているアルバム。パーソネルによるとドラムとベースをしたがえたホプキンスがアコースティック・ギター(曲によってはピアノ)を弾きながら歌っているようだ。

1960年の録音ということだが、もっと前の時代にタイムスリップしたかのような泥臭いブルースである。

月に撃つ (紙ジャケット仕様)

ソフト・マシーンのメンバーだったケヴィン・エアーズの2枚目のソロ・アルバム。このたび4枚が紙ジャケ復刻されたので、とりあえず一枚買ってみることにした。

吹奏楽つながりということでは、《波濤にかかる虹》(私はより原題に近い《太陽は波涛に虹を描く》という訳題の方が好きなのだが)などで知られるイギリスの作曲家デヴィッド・ベッドフォードが参加しているのである。

ピンク・フロイドあたりにも通じるサイケデリックな雰囲気を強く感じるのであるが、一方でダウナーでチープな雰囲気も感じる。

今日の積志ウィンドアンサンブル(メキシコの祭り合奏)

暑い。静岡県内では最高気温が30度を超えたところもあるらしい。

近所の某高校に音出し用の楽譜を借りに行く。この学校には古くからの楽譜が「管理された状態」(これが重要!)で揃っていて、かなり利用させていただいている。例えば、かなり昔の課題曲《南極点への序曲》(岩河三郎)や、ジェイガーの《交響曲第1番》がちゃんとした体裁で揃っているのって信じられます?

ということで、フルセットをお借りしてきて、バンドの練習では《メキシコの祭》の音出し。第3楽章の中間部から後半についてはテンポについていけなかったり、フレージングが難しくて指が回らなかったりリズムが取れなかったりして少々てこずったが、何とか最初から最後まで音にすることができた。比較的いい手ごたえだった。第2楽章なんかは初見にもかかわらず概ねいい感じで音楽が作れていたように思う。

全般的な印象としては「オーケストレーションがうまいなあ」ということ。ホルン奏者は「4番ホルンがおいしい」という感想を言っていたが、オーケストレーションについての視点が吹奏楽というよりオーケストラのそれに近いのではないかと感じた。例えば、必要以上に音を重ねずに各楽器のソノリティを大切にしているということ。ホルンとサックスを重ねたりするとサウンドは厚くなるが色彩感が失われてしまう。この作品では、ちゃんと「ホルンはホルン」「サックスはサックス」という使い方をしている。それから、例えばクラリネットではトゥッティで演奏すべき部分と、オケのクラリネットのようにソロあるいはデュオで演奏すべき部分をちゃんと分けて考えていること。などなど。

このようなオーケストレーション、4月12日の日記でも書いたような「交響曲」的なモチーフの展開の仕方、メキシコ民謡のフレージングなど学ぶべき課題はたくさんある。今まであまり注目していなかったが(反省)、確かにいい作品である。

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ザ・ビートルズ ファースト U.S.ヴィジット [DVD]

1964年にアメリカ初上陸を果たしたビートルズのドキュメンタリー。移動中の列車や自動車の中での様子や滞在先のホテルでの様子などのオフステージ・ショットと、テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」での演奏シーンやライヴ映像を交えた構成。すっかりライヴに嫌気がさしていて気が抜けたステージだった日本公演(1966年)などに比べると、まだ生演奏には意欲があって見ていても楽しい。プライヴェートショットでは、そろそろマスコミやファンの攻勢にうんざりしている感じも見受けられるが。

メキシコの祭り

定期演奏会の選曲のために注文していた H.オーウェン・リードの《メキシコの祭り》のフルスコアが届く。今回は早く入手したかったので、在庫を確認できるJW Pepperで注文した。 4月6日にオンライン注文して即日発送、12日に届いたのだから一週間かかっていない。 JW Pepper の到着新記録かもしれない(笑)。

例えば、冒頭の鐘が打ち鳴らされる中で花火が打ち上げられる描写、第1楽章の後半のアズテック・ダンス、第3楽章中間部のいかにもメキシコ風の旋律など、素材の面白さはわかる。しかし、正直言って作品全体を聞いた時の冗長さが感じられてあまり好きではなかった作品である。

少しスコアを読んでみると、いかにも「交響曲」と言えそうな息の長い展開が冗長に聞こえていたような感じである。聞かせようによっては面白く聞かせられるのではないかと思う。逆に言うと私が聴いてきた演奏がこのへんをうまく聞かせていないのか?

ちょっと固め聞きをしたところ、やはりアメリカ海兵隊バンドがいいサウンドを聞かせる。 大阪市音楽団もなかなかいい感じなのだが、最後の最後がちょっと物足りない。 フェネル/イーストマンの演奏はかなりアクの強い演奏だが雰囲気は悪くない。出版された年(1954年)に録音されたという同時代性も参考になるのではないか。

このスコアは全て実音で書かれている。プロコフィエフのスコアもそうなのであるが、直感的に曲を捉えにくい。

そういえば、以前森田一浩さんのレクチャーでうかがったのであるが、移調楽器は概ね五線の内部かちょっと上にはみ出すくらいがいちばん鳴らせるような音域に移調されているのだそうである。

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《ブルー・インパルス》《オーバー・ザ・ギャラクシー》《オンリー・ワン・アース》などの吹奏楽曲や、小津安二郎の映画音楽で知られる斉藤高順さん死去。合掌。

BCL3

ブレーンからリリースされている「バンド・クラシック・ライブラリー」シリーズの解説を書かせていただいている。ご好評をいただいているようで第3弾の企画が決まり、今回も解説を書かせていただくことになった。個人的には前作、前々作にも増して好きな作品が揃っている。ひょっとしてビッグなおまけが付くかもしれないので、期待してお待ちいただきたい。