激しく今さらですが、公私の混同を避けるため、今後「吹奏楽のページ」のメンテナンス情報は以下の Facebook ページで発信していこうと思います。
http://www.facebook.com/musicabella.jp
いろいろ反応していただけると心が潤うので、今後ともよろしくお願いいたします。
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Lion へのアップデートには1年以上を要した私が、Mountain Lion リリースの2日後にはアップデートした。
うちの MacBook (Late 2008) だと Snow Leopard から Lion に移行した時にかなり動作がもっさりするようになったので、これを早く改善したかったのが大きな要因である。
ロンドンオリンピックの開会式を見ながら、問題なくダウンロード→アップデートを行うことができた。
主に使っている有料アプリケーションは「ファイルメーカー」くらいなので、ひとまずこれが動けば問題ないと思っていたのだが、特に問題なく動いているようだ。
いつになくアップデートが順調にいってめでたしめでたし … と思っていたら、「吹奏楽のページ」の開発に使っているローカルのウェブサーバー環境がうまく動かない。localhost にアクセスしても「It works!」としか表示されなくなってしまった。
「そういえば、Lion に移行したときもそうだったっけ?」と思いつつ、
といった作業で無事開発環境は元通りにすることができた。次回のアップデート時の備忘録としてメモしておく。
オリンピックの開会式はドイツ時間午後10時に始まって、終わったのは午前2時くらい。サー・ポール・マッカートニーが出るということで眠気を我慢しつつ見ていたのだが、大したことなかったなあ …
サー・サイモン・ラトル指揮のロンドン交響楽団とMr.ビーンことローワン・ワトキンソンの共演による「炎のランナー」が秀逸だった。Mr.ビーンらしいギャグ。
前半はいたるところでエルガーの《エニグマ変奏曲》の《NIMROD》が使われていた。どうも、この曲は涙腺が緩んでしまう。
さて、息子のサッカースクールも2日目。
今日は「友達になろう」と言ってきた子がいたらしい。何でもお母さんはアメリカの大学(名前を聞いたことがなかったのだが、あとで調べてみたら津田梅子も留学したことがある女子大学らしい)の教授で、夏休みの間ドイツに里帰りして、このサッカースクールに参加したのだそうだ。
しばらくドイツにいるそうなので、今後も遊ぶ予定とのこと。
夕方からはハンブルガーSV創設125周年プレシーズンマッチということで、FCバルセロナとの試合が行われる。妻は同行する友人(とその子供たち)と電車で行き、私は会社から直行して現地集合ということにした … のだが …
前にも一度車でスタジアムに行ったことがあったのだが、その時と同じようにスタジアムに近づくにつれて渋滞がひどくなる。結局、スタジアムから遥か離れたところに車を停めることはできたのだが、スタジアムに着いたのは後半が始まる直前だった。
バルセロナは、EURO2012に出場したメンバーはみんな夏休み、プジョルやダヴィド・ビジャはまだリハビリ中、半分Aチームで半分Bチームという編成。ほぼ唯一の頼みだったメッシも怪我のために欠場、これで本当に125周年記念試合なのか?というくらい寒い内容だった。しかも、そんなチームに負けてしまう HSV は大丈夫なのか?
ちなみに同行者のお子さん二人とうちの息子はみんなメッシのレプリカユニフォームを着て行った。
試合後、息子を連れて駐車場への道を歩いていたら、見知らぬ人から「メッシ、なんで今日は試合に出なかったんだ!」と言われてしまった …
ということで、息子も夏休みに突入し、ちょうど今週から Hastenbek – Rellingen 地域でのハンブルガーSV主催のサッカースクール(HSV fussballschule)が始まった。
前にも書いたように、親は親で息子がうまくやっていけるかどうか心配なのであるが、息子も息子でやはり不安はあるようだ。朝、サッカーのユニフォームに着替える時にも「ちょっと緊張している」と言っていたし、妻によると「時間に遅れるといけないから早めに行こう」と、いつになく慎重だったようだ。
スクールは月曜日から金曜日までの9:30から15:30まで。さまざまな年代の子供たち(もちろん女の子もいる)が50人以上集まったらしい。この間のトレーニングはHSVから派遣されたコーチにまかせっきりで、親は時間に間に合うように送って行き、終了時間に合わせて迎えに行く。
参加者にはネーム入りのユニフォーム(半袖、長袖、ショートパンツ、ソックス、それらを入れるバッグ)が支給され、トレーニング中はそれを着ることになる。昼食やトレーニング中の飲料水も主催者側が用意してくれる(水筒もユニフォームと同様に支給される)。
トレーニング内容は、5人のコーチがそれぞれ専門の技術を教えてくれるようで、いくつかのチームに分かれた参加者は時間を区切ってそれぞれのコーチのところをローテーションすることになる。あるコーチはドリブル、あるコーチはシュート、あるコーチはゲームメイキング、といった感じである。
心配だった息子の適応具合だが、(息子本人も含めた)我々の心配は全く杞憂だったようで、とてもはつらつとして帰ってきた。今回構成されたチームは普段参加しているサッカーチームの友達もいれば、初対面の子もいたようなのだが、いろいろ話しかけてもらったらしい。日本人なので(?)「カンフーを知っているか?」とかとも聞かれたし、昼食時にはいろいろと助けてもらったとも言っていた。あらかじめ「ドイツ語はあまり理解できない」ということも主催者側に伝えておいたので、コーチの方々もけっこう気を使ってくれていたようだ。
矢継ぎ早に練習の様子を話してくれるところを見ると、それで楽しかったということがわかり、とりあえずは一安心。本当に子どもの適応力は素晴らしい。
あと4日、何事もなく、このまま続けられればいいのだが。
そして、今日はお隣さんが出発する日。
いつもより早く日本と Skype をして、アルトナ駅へお見送りに行く。多くの場合、帰任される方のお見送りは空港なのだが、今回はヨーロッパ内の(いわゆる)横移動、しかもハンブルクで乗っている車を持って行かれるということなので、Autozug (車も一緒に運んでくれる寝台列車)でハンブルクを離れるということなのだそうだ。
代わる代わる写真を撮って、全体で記念写真を撮って、そして子供たちは発車する列車をどこまでも追いかけていく、という光景。
そこで考えたこと。これは個人的資質にもよるのかも知れないが、少なくとも私の場合。
誰か、あるいは何かの「存在」は、少しずつ我々の領域に入り込む。「不在」は少しばかりの時間をかけて「存在」に変化するのである。最初はぎこちなかったその存在も、いつの間にか日常に変わる。その逆に、「存在」は突然「不在」に転化する。昨日まで当たり前だったことが、今日は当たり前ではなくなるのである。
帰宅後、息子と外でサッカーをしたのであるが、いつも聞こえていたお隣りの子供たちの声、あるいは駐車場までの歩道を走り抜ける子供たちの姿に出会えないことを実感して、あらためて感傷的になってしまう。
ま、また会えるでしょう。
案の定、私と妻は二日酔い、息子は寝不足、で午前中はかなりグデグデだった。
午後からはあらかじめ主にアジア系の食材(米とか冷凍の点心とか)を買い出しに街中へ行くことを予定したので出発したわけなのであるが …
あとでわかったことなのだが、この週末(土曜日と日曜日)にはハンブルク中心部でトライアスロンの大会があったらしい。街の中心部に湖があるハンブルクはこういうイベントには便利なのだ。それはともかく …
このイベントの中心であるJungfernsteigは、うちからアジア食材屋が集まる中央駅までの道程の途中(というか、中央駅の少し手前)にある。Jungfernsteig 周辺ではかなり大規模な交通規制が行われているし、それに伴って渋滞もひどくなっているので、なかなか目的地までたどり着けない。かなり遠回りしてやっとのことで中央駅まで到達することができた。空いている日なら30分程度で自宅から中央駅まで行けるのだが、この日は1時間30分くらいかかったか?
妻が食材を買いだしている間、私と息子は電化製品を売っている SATURN へ。息子は地下の PC 売り場にある iPad で遊びながらゲームの情報を仕入れる、私は最上階の CD/DVD 売り場で最新の状況を仕入れる、というのが最近の定番になっている。私はといえば先日 CD を買ったばかりだし、来月日本に一時帰国したらドイツでは買えない CD/DVD たちをたくさん仕入れてくる予定なのでそれほど食指も動かない。
息子がゲームの情報を仕入れてくると、私の iPhone にインストールして遊ぶ、というのが基本的な流れである。今まで
などが息子のお気に入りだったが、今回新たに仲間入りしたのは “Run Roo Run”。私と妻はそのネーミングからドイツ映画の「ラン・ローラ・ラン」を思い出した。そういえば久しぶりに見直してみたいのだが DVD あるいは BD は出ているのかなあ?
*****
夕食は、ラーメンと買ってきたばかりの肉まん(豚と鶏肉の2種類)を試す。かなり満足。今までは韓国系の食材屋ばかりを利用していた(そういえば今回、この食材屋で米を買ったら、店のおじさんが10kgの米袋を車まで運んでくれたし、息子には小豆アイスをくれた)のだが、この中国系のお店もかなり扱っている種類が豊富で、これからいろいろと探究するのが楽しそうである。
お隣りに住んでいた方が横移動で転勤してしまうので送別会が催された。妻の所望でワインとバゲットを買って帰る。
うちの近所は3世帯が一つの建物を分割しているLinienhausと2世帯が一つの建物を分割しているDoppelhausが並んでいる。
うちはその転勤される方と一軒のDoppelhausをシェアしており、今日はそのLinienhausの一つで送別会があった。
子供たちは早めに食事をさせておいて2階で遊ばせ、大人は飲み食いしながら駄弁る … という展開だった。
気がついたら深夜一時過ぎ。(どうして酒を飲むとあっという間に時間が過ぎて、しかもどうしてその間のことをあまり覚えていないのだろう? …)それまで子供たちもゲームとかお話をして起きていたらしい。
家族には内緒のお買いもの。
あまりトレンドから遠ざかっていると、乗ろうと思った時に乗れなくなってしまう危険性があるので、ちょっと気になる新譜を買ってみた。
アイルランドのグループ、シガー・ロスの新譜。彼らのホームページで視聴したところ気に入ったので買ってみた。「サウンド&レコーディングマガジン」でも特集されていたし。
前作「残響」は、日本にいるときに借りて聞いた。その時はけっこうポップだったと思ったのだが、この作品はかなりアンビエントな雰囲気。ほとんどミディアムテンポだし、明確なビートがない曲も多い。だが、こんな風にノイズによって埋め尽くされている音空間、というのは個人的にかなり好きである。
こちらはダーティー・プロジェクターズの新譜。ビョークとのコラボレーション作である「Mount Wittenberg Orca」で初めて聞いて気になっていた。
「Mount Wittenberg Orca」の方が過激で面白かったかな?エクスペリメンタルなサウンドとか、独特のコーラスワークとかは面白いのであるが、時としてアイデアが先走ってしまい、音楽それ自体が鼻白んで聞こえてしまうことがある。まあ、もうちょっと聞きこめば聞こえ方が変わるのかも知れないが。
「ねえねえ、ハンブルグって『住めば都』だよね。」
と息子がいきなり夕食の時に語り出した。どうやら最近「ことわざ辞典」を読んでいてこの表現を見つけたらしい。
「でも、『住めば都』って最初は住みにくかったけど、住んでいたらだんだん居心地がよくなってくるという意味だよ。」
と教えたら、
「うん、だって最初はドイツ語とか全然分からなくてすごく怖かったもん。」
と言われた。
あらためて、息子なり(ドイツに引っ越した時点で5歳)にストレスがあったんだなあ、と感じた。
最近、妻はサッカースクールのママ友から「息子が、(うちの息子が)ドイツ語を話すようになった、と言っていたわよ。」と言われたらしい。
来週からは日本人学校も夏休みに入り、息子はハンブルガーSVが主催するサッカー教室に5日間通うことになっている。数ヶ月前に勢いで申し込んでしまったのだが、息子がうまくやっていけるか非常に心配である。普段のサッカースクールで一緒の友達も何人か参加するようなので、うまく助けてもらえるといいのだが …
前日「ビートルズの朝食、食べに行かへん?」と誘われて、ハンブルクの繁華街であるレーパーバーン周辺へビートルズ巡りに出かけた。
ご存知、ハンブルクはビートルズがデビュー前にライブ修行(まさに修行と言っていいだろう)を重ねたことでバンドとしての演奏能力を高めていったことで知られており、ビートルズの第二の故郷とでも言えるところである。
確か、ビートルズ側が販売差し止めを要求したので今後公式に発売されることはないと思うが、デビュー直後(1962年12月)にハンブルクのスター・クラブというライブハウスで行われたライブも録音されており、かつては発売されていた。あまり音質はよくないのだが演奏自体は勢いがあってかなりよい。
ハンブルクにはビートルズにまつわるスポットがいくつかあるのだが、私はといえばこちらに来た当初に「ビートルマニア」という博物館のような施設に行ってみただけだった。(ちなみに、この「ビートルマニア」は経営不振のために2012年6月末をもって閉館になったらしい。確かに値段のわりにしょぼいとは思っていたのだが … 行っておいてよかった …)
今回、いろいろ連れて行っていただいたわけである。
まずは、その「ビートルマニア」の並びにある小さなレストラン。ビートルズが朝食を食べに来ていた、というレストランで、それにちなんだメニューがあるらしいので、まずはそれを食べてみた。まあ、紅茶とハムエッグトーストという、ごく普通のものなのだが、そういえばドイツ的というよりはイギリス的な朝食メニューなのかも知れない。
その後はビートルズが演奏したことで知られている著名なライブハウス(正確に言うとそのほとんどは跡地だが)を訪ねた。
出発はレーパーバーンに面した「Beatles Platz(ビートルズ広場)」から。各メンバーを模した金属のモニュメントが立っている。もちろん、ドラムはリンゴ・スターではなくピート・ベストだし、ここには写っていないがちょっと離れたところにはスチュアート・サトクリフがいる。この通りを北に上がっていく(画像の奥方向)と、いろいろなライブハウスがある。
まずはカイザーケラー。
それから、上にも書いたスター・クラブ。裏通りに入ったところにレリーフが建っている。
インドラ。1960年にハンブルクに来たビートルズが初めて演奏した場所として有名。当時から場所は移動しているそうで、現在地は繁華街の外れにある。
レーパーバーンに面していて、いちばん立地条件のよかった「トップ・テン・クラブ」は現在ピザハットになっている。
バンビ・キノ。ビートルズが映写室の裏の狭い部屋で寝泊まりしていたという映画館である。もはや映画館の面影もないほどひっそりしているが、建物の窓には往時のビートルズの写真が飾られていたりして、わずかな「わかる人だけがわかればいい」といった感じの痕跡をとどめている。
それから、ジョン・レノンが1975年に発表したアルバム「ロックン・ロール」のジャケット写真もレーパーバーンの近くで撮影されたものだ。
アルバムジャケットを見ると、通りに面した建物の前で撮影されたように見えるが、実際には集合住宅の入り口で、正直あまり裕福でない人たちが住んでいるような雰囲気である。以下の写真にあるようなゲートを越えたところにこの建物は立っている。普通、この門をくぐって扉を開ける勇気はないなあ …
それから、車をとばしておよそ30分、ハンブルクの南にあるハイムフェルト(Heimfeld)という街へ。この街にある Friedrich-Ebbert-Hall というコミュニティホールで、ビートルズ初の商業レコーディングが行われた。すなわち1961年6月22日から23日にかけて行われた、独ポリドールへの録音、トニー・シェリダンのバックバンドとして「ビート・ブラザーズ」名義で演奏した録音のことである。
今回いろいろ調べていたところ、やはりトニー・シェリダンとの2回目のセッション(1962年)は、私の勤務先の前のオフィスの近くにある Studio Hamburg というところだということがわかった。今度行ってみようかな?
私の知人で、これらのスポットを満喫できる人がどのくらいいるかわかりませんが(笑)、これで私もガイドできるようになったのでお立ち寄りの際はご所望ください。