Category: 音楽

  • ビートルズ巡り

    前日「ビートルズの朝食、食べに行かへん?」と誘われて、ハンブルクの繁華街であるレーパーバーン周辺へビートルズ巡りに出かけた。 ご存知、ハンブルクはビートルズがデビュー前にライブ修行(まさに修行と言っていいだろう)を重ねたことでバンドとしての演奏能力を高めていったことで知られており、ビートルズの第二の故郷とでも言えるところである。 確か、ビートルズ側が販売差し止めを要求したので今後公式に発売されることはないと思うが、デビュー直後(1962年12月)にハンブルクのスター・クラブというライブハウスで行われたライブも録音されており、かつては発売されていた。あまり音質はよくないのだが演奏自体は勢いがあってかなりよい。 ハンブルクにはビートルズにまつわるスポットがいくつかあるのだが、私はといえばこちらに来た当初に「ビートルマニア」という博物館のような施設に行ってみただけだった。(ちなみに、この「ビートルマニア」は経営不振のために2012年6月末をもって閉館になったらしい。確かに値段のわりにしょぼいとは思っていたのだが … 行っておいてよかった …) 今回、いろいろ連れて行っていただいたわけである。 まずは、その「ビートルマニア」の並びにある小さなレストラン。ビートルズが朝食を食べに来ていた、というレストランで、それにちなんだメニューがあるらしいので、まずはそれを食べてみた。まあ、紅茶とハムエッグトーストという、ごく普通のものなのだが、そういえばドイツ的というよりはイギリス的な朝食メニューなのかも知れない。 その後はビートルズが演奏したことで知られている著名なライブハウス(正確に言うとそのほとんどは跡地だが)を訪ねた。 出発はレーパーバーンに面した「Beatles Platz(ビートルズ広場)」から。各メンバーを模した金属のモニュメントが立っている。もちろん、ドラムはリンゴ・スターではなくピート・ベストだし、ここには写っていないがちょっと離れたところにはスチュアート・サトクリフがいる。この通りを北に上がっていく(画像の奥方向)と、いろいろなライブハウスがある。 まずはカイザーケラー。 それから、上にも書いたスター・クラブ。裏通りに入ったところにレリーフが建っている。 インドラ。1960年にハンブルクに来たビートルズが初めて演奏した場所として有名。当時から場所は移動しているそうで、現在地は繁華街の外れにある。 レーパーバーンに面していて、いちばん立地条件のよかった「トップ・テン・クラブ」は現在ピザハットになっている。 バンビ・キノ。ビートルズが映写室の裏の狭い部屋で寝泊まりしていたという映画館である。もはや映画館の面影もないほどひっそりしているが、建物の窓には往時のビートルズの写真が飾られていたりして、わずかな「わかる人だけがわかればいい」といった感じの痕跡をとどめている。 それから、ジョン・レノンが1975年に発表したアルバム「ロックン・ロール」のジャケット写真もレーパーバーンの近くで撮影されたものだ。 アルバムジャケットを見ると、通りに面した建物の前で撮影されたように見えるが、実際には集合住宅の入り口で、正直あまり裕福でない人たちが住んでいるような雰囲気である。以下の写真にあるようなゲートを越えたところにこの建物は立っている。普通、この門をくぐって扉を開ける勇気はないなあ … それから、車をとばしておよそ30分、ハンブルクの南にあるハイムフェルト(Heimfeld)という街へ。この街にある Friedrich-Ebbert-Hall というコミュニティホールで、ビートルズ初の商業レコーディングが行われた。すなわち1961年6月22日から23日にかけて行われた、独ポリドールへの録音、トニー・シェリダンのバックバンドとして「ビート・ブラザーズ」名義で演奏した録音のことである。 今回いろいろ調べていたところ、やはりトニー・シェリダンとの2回目のセッション(1962年)は、私の勤務先の前のオフィスの近くにある Studio Hamburg というところだということがわかった。今度行ってみようかな? 私の知人で、これらのスポットを満喫できる人がどのくらいいるかわかりませんが(笑)、これで私もガイドできるようになったのでお立ち寄りの際はご所望ください。

  • イエロー・サブマリン

    イギリスの amazon.co.uk から買った「イエロー・サブマリン」のブルーレイディスクが届いた。 [tmkm-amazon]B0079J28NW[/tmkm-amazon] パッケージがドイツ語であるよりは英語がである方がいいかな?と思い、イギリス版パッケージを買ったのであるが、先週ハンブルク市内の家電ショップ「SATURN」で見かけたのも同じパッケージだったような気がするなあ … まあ、店頭で買うよりイギリスから取り寄せた方が安かったのでよかったのだが … ***** 家族全員で毎日毎日眠い眠いと言っている今日この頃。しかも夕食時にアルコールを飲んだりするとすぐに力尽きて寝てしまうので、なかなかブルーレイの視聴が進まない。 旅行疲れは取れているはずだし、特に体調が悪いわけでもない。花粉か何かがとんでいるのかなあ?  

  • リストを聞いてみる

    ふと思い立って最近聞いてみているのが、リストの交響詩。 ジャナンドレア・ノセダというイタリアの若手指揮者がBBCフィルハーモニックとのコンビでCHANDOSに交響詩全曲(とファウスト交響曲とダンテ交響曲)を録音していて、それが Naxos Music Library で聞ける。 [tmkm-amazon]B000AA4J8Y[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B000FMR3YY[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B000OY6HWC[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B001I3GCD2[/tmkm-amazon] [tmkm-amazon]B0024JQNHO[/tmkm-amazon] 最近の私の嗜好は構成感に重きを置いた音楽(絶対音楽といってもいい)に向いているので、交響詩のような標題音楽に対してはあまり食指が動かなかった。実際ブラームスの評伝を読むと、19世紀における絶対音楽の旗頭ともいえるブラームスと、交響詩のジャンルを確立したリスト(ひいては、その延長線上にあるワーグナー)との間には感情的な確執があったらしい。 なぜ、リストを聞こうと思ったのか自分でもよくわからないのであるが、とりあえずかけっぱなしにしておく。リストのそれぞれの交響詩が音楽化した対象については全く知識がないので、その音楽性のよしあしについては判断できないのであるが、オーケストラが醸し出す「音響」(あえて「音楽」とは言わない)はけっこういい感じである。それからノセダとBBCフィルハーモニックの手腕によるものなのか、リストのオーケストレーションやメロディ作りの巧みさによるものなのか、あるいはCHANDOSの見事な録音技術によるものなのかわからないけれど。  

  • 5/5 の徒然

    日本人学校の父親懇親会に参加。集合後、レクリエーションとしてのソフトボールがあり、その後の体育館に場所を移しての懇親会があった。正直どちらが主目的かわからない(笑)。 通常は6月の後半に開催されるハンブルク日本人会のソフトボール大会なのだが、今年はグラウンドの補修予定があるとかで例年より一ヶ月早い5/20(日)に開催されるので、参加者はかなり体を作って参加しているのではないか、という説もある。私はというと「まさかキリスト昇天節の連休にソフトボール大会はないだろう」と思って、早々に旅行を手配してしまっていた(昨年は出足が遅くてフライトを確保するのに難儀したので)。 肩こりは慢性的だし、今日は右腰も痛いし(これも半ば慢性化しているなあ …)体調は万全ではなかったのだが、体を動かした方が少しは改善するのではないかと思い、少しがんばってみた。 最近、息子の自転車の練習に合わせて軽いランニングを始めたのだが、かなり体力が落ちている(というか体力は増えていないのに体重は増えている状況)のがわかる。塁に出るのはいいのだが走ると疲れる。外野の守備位置まで行って帰って来るのが疲れる … ということで常に肩で息をしているような状況だった。一応は持久的な運動ができたのかなあ。すでに特に右半身がギシギシなので明日起きた時の状況がちょっと怖い。 ***** 夜は、以前見始めていたモーツァルトの歌劇《魔笛》の続き、第2幕から見る。 [tmkm-amazon]B000JMJRWG[/tmkm-amazon] ほとんど20世紀に書かれたオペラしか見たことがない私にとっては、いろいろな配役の組み合わせで歌われるアリア、わかりやすい筋書き、などのエンタテインメント性が新しい発見だった。「(本当は違うのかも知れないけれど)本来オペラとはこういうものなのだなあ」という印象。 主役の二人(タミーノとパミーナ)よりはザラストロ、夜の女王、パパゲーノといった脇を固める配役たちが素晴らしかったように思える。有名な「夜の女王のアリア」は音だけは何度も聞いたことがあったのだが、映像で見たのは初めてかも知れない。

  • ビョーク/魔笛

    1ヶ月ほど前に予約注文していたビョークのリミックスCD(シングル)が到着。 [tmkm-amazon]B007RKFXKS[/tmkm-amazon] 発売後もしばらく送られて来なかったので、そろそろ問い合わせようかな、と思っていたところだった。 “Remix Series I” ということなので、続々と発売される。トータルでは8枚になる予定で、Matthew Harbert や Alva Noto もリミキサーとして名前が挙がっている。そして “I” を待っている間に “II” のプリオーダーも始まっている。実は送料がCD本体の2倍くらいかかっているので、何枚かまとめて買った方がお得なのではないか?ということに気付いた。でもなあ、特殊ジャケットの初回限定版が欲しいので、あまり傍観していると売り切れるリスクもあるんだよなあ … 予想通り、オリジナルの「Biophilia」の収録曲はスタティックなものが多かったので、リミックスでは少しリズムが強調されている。オリジナルに比べるととっつきやすい。 ***** せっかく買った「モーツァルトオペラ全集」のDVDを見てみることにした。選んだのは《魔笛》。 [tmkm-amazon]B000ICL3Q0[/tmkm-amazon] 実は、プラハで《ドン・ジョバンニ》の人形劇を見て来たので、ちょっと前に家族で本物を見直そうと思ったのだが、この全集に含まれている《ドン・ジョバンニ》は子供に見せるのが憚られるような演出なのであった … で、《魔笛》。「のだめカンタービレ」で仕入れた程度には内容を知っている(笑)。以前 DVD ブックで買ったやつ(イヴァン・フィッシャー指揮のパリ国立歌劇場)にはあまりのめり込めなかったのだが、このザルツブルク音楽祭で上演されたムーティ/ウィーンフィルの舞台は面白かった。かなりカラフル(どぎついと言っていい)な舞台装置と、それぞれのキャラクターがわかりやすく個性化されているからかな? とりあえずは DVD 一枚分の第1幕のみ。  

  • LENNONYC

    そういえば見るのを中断したままだったなあ、と思い再開することにした。 [tmkm-amazon]B005FI5UZW[/tmkm-amazon] どうでもいい話だが、パッケージの中にメディアはなく、テレビの下に積まれた別のDVDのパッケージの中にあった。このまま棚に片づけたりすると何年も見つからないという事態に陥ってしまうのだな(経験あり)。 原題は「LENNONYC」。タイトル通りジョン・レノンがニューヨークに移住した1971年8月から、そこで生涯を終えた1980年までを追いかけたドキュメンタリーである。私はジョンのドキュメンタリーというと映画「イマジン」くらいしか見たことがない(と思う)。《イマジン》という曲に代表される、平和主義者的な側面だけにスポットを当てることに違和感を感じているので、その手のドキュメンタリーは避けているのかも知れない。 この映画では、ジョンがニューヨークに渡ってから比較的ラディカルな政治活動に関わっていたりだとか、ヨーコさんと別居してロサンゼルスで奔放(というか自堕落というか)な生活を送っていたとか、上記の映画「イマジン」を補完するような形で見ることができる。というわけでかなりストライクゾーンが狭い映画のような気がするので、そのあたりに興味がなかったり、最低限の予備知識がなかったりすると楽しめないかも知れない。 構成は「イマジン」と同じような感じで、関係の深かった人たちの証言と当時の映像を織り交ぜて進行していく。ただ、本人やヨーコさんの証言は少なく、バックミュージシャンなどの証言の方が多いので迫力に欠ける。映像についてももうちょっと演奏しているものが多いとよかったのだが。 ジョンが死んだ夜、アパートの前で夜通し歌われていた《平和を我らに》が「うるさくて困った」というヨーコさんの告白には苦笑。また、ヨーコさんとプロデューサーのジャック・ダグラスがスタジオに閉じこもってセッションテープを聞き倒した、というエピソードもいい。 ***** そういや、ジョージ・ハリソンのやつも買ったんだった。見ないと。 [tmkm-amazon]B005O88C2Q[/tmkm-amazon]

  • チェリビダッケをちょびっとだけ

    そういうわけで、買ってしまったチェリビダッケをちょこちょこと聴いてみた。 まずはリムスキー=コルサコフの交響組曲《シェエラザード》。第1楽章は確かに遅めのテンポだが、たゆたうようなメロディの細かい音符を適切に聞かせるにはこのくらいのテンポが必然なのだろうという気がする。個人的には賛成。だが、第2楽章の冒頭のファゴット・ソロの遅さはかなり驚く。好意的に解釈すれば「いつ終わるとも知れない寝物語を極限まで引き延ばされた時間の中で表現する」みたいなことが言えるのだろうけど、これはちょっとついていけない。第4楽章も基本的な納得できる解釈である。無駄に高揚しないのがいい。 それからラヴェルの《ボレロ》。これもラヴェルは遅めのテンポを好んでいたらしいので、こういうテンポ感もありなのだろう。ちょっとリズムが重厚過ぎる気もするが。 全般的にはオケが指揮者のいうことを聞いて、細かいところまでお互いを聞き合っているなあ、という気がする。時々、勢い「だけ」の演奏や、バランスが悪かったりアインザッツが合っていない演奏を聴いてげんなりすることがあるのだが、これはその対局にあると言えるのではないだろうか。ライヴでこれだけの整然とした演奏をするだから、スタジオ録音にしたら息が詰まりそうな気がする。 あまり、チェリビダッケっぽくないところから手をつけてしまった気がするので、今度はドイツものでも聴いてみることにしますかね。  

  • 演奏会その53: 《神々の黄昏》(ハンブルク歌劇場)

    ついにハンブルク歌劇場の《ニーベルンクの指環》一挙上演も最終日、《神々の黄昏》を見に行ってきた。 上演時間こそ《ヴァルキューレ》よりも《ジークフリート》も長くて約4時間30分なのであるが、これらに比べてストーリーの展開が早い(というか《ヴァルキューレ》も《ジークフリート》もスタティック過ぎ)ので、見やすい。 (ええと、ネタばらししてもいいのかな …) ちなみにハイライトは以下から見ることができる。 http://www.hamburgische-staatsoper.de/de/2_spielplan/videos.php#eng 少々イレギュラーなエンディングではあるが、まあそういう考え方もあるかな、という感じ。 まず説明しておくと、舞台は大きな2階建ての建物がドリフの回り舞台の上に載っているような形になっている。これが回転することによってジークフリートとブリュンヒルデの住居(個人的にはこじんまりとしたマンションの一室のように見える)や、ギービヒ家の屋敷や、神々が座して終末を待つヴァルハラの様子が見られるようになっている。 第1幕の第2場から第3場への転換、すなわちハーゲンの策略にはまってしまったジークフリートがブリュンヒルデを連れ去るために住居に戻るシーンでは、舞台の転換中に暗闇の中にたたずむ神々(まさに「神々の黄昏」)も見える。これは原作にない部分なのでかなりショッキングだった。 最終場面のいわゆる「ブリュンヒルデの自己犠牲」のシーン。原作では殺されたジークフリートを弔うために河畔(ギービヒ家はライン河畔にある)に薪を積み上げさせ、ブリュンヒルデ自身が愛馬グラーネとともに炎の中に飛び込み、ギービヒ家が焼け落ちる(ここで神々の居城ヴァルハラも焼け落ちる)とともにライン河が氾濫して、最終的に指環はライン河に戻る … というストーリーになっている。 ギービヒ家が焼け落ちるところまでは同じだが(ちなみに《ヴァルキューレ》も《ジークフリート》も火が使われる場面では本当に舞台上で火が燃やされていた)、ブリュンヒルデは炎の中に飛び込まない。自分の手でラインの乙女たちに指環を返し、全てが無に返るのを待っている。そして最後に現れるのはジークフリートとブリュンヒルデが住んでいたところ(この演出ではマンションの一室のようなところ)であり、そこには死んだジークフリートがいる。ブリュンヒルデがジークフリートに触れようとしたところで倒れこみ、幕。 全然脈絡はないのだが、村上春樹さんの小説「ねじまき鳥クロニクル」で妻が失踪した主人公のところにかかってくる謎の電話のシーンとか、TBSテレビのドラマ「高校教師」のエンディングとかを思い出した。澄み切った喪失感とでも言うのだろうか。 ***** 17時間にも及ぶ4部作を2週間で(まあ集中的に、と言っていいだろう)見ることができた。これだけの機会はこの先そうないだろう。(隠居の身になったらバイロイトでも行ってみたいと思っているのだが、それでも4部作を一気に見ることは不可能だろうし。) 「大満足」というわけではないが、歌手についても、オケについても、演出についても、そこそこの及第点というところで満足している。私の理解の深さもまだまだ足りないのだろうから。 この《神々の黄昏》の第2幕と第3幕の間の休憩すなわち4部作最後の休憩の時、ワーグナーのオペラ自体の大団円はもちろんのこと、4日に渡って付き合ってきたこのプロジェクトの最後を見届けることになるのだという感慨で、かなり感極まってしまった。そして、感極まりながら、ロビーで売られているプレッツェルと白ワインにありついていたのであった。(開演が午後4時、終演が午後9時30分過ぎなので、夕食のタイミングが取りづらい。) ひとまず、20年来こつこつと斧を入れてきた巨木が倒れたという感じ。次に見るべきワーグナーのオペラは何なんだろう?

  • 演奏会その51: 《ヴァルキューレ》(ハンブルク歌劇場)

    さて、《ニーベルンクの指環》第1夜(第2作)の楽劇《ヴァルキューレ》である。3幕のオペラで Wikipedia によると総演奏時間は約3時間40分(第1幕60分、第2幕90分、第3幕70分)、そして各幕間には30分の休憩が入るので、トータルでは5時間近く歌劇場にいることになる。実際、この日は午後4時から始まり、最終的に歌劇場を出たのは午後9時過ぎであった。 前に上司である Ralf と話したことがあるのだが、(例えば《ラインの黄金》のように)全1幕で2時間30分ぶっ続けのオペラと、間に休憩をはさんだ5時間のオペラのどちらがいいかというのはかなり答えるのが難しい問いである。《ヴァルキューレ》は各幕ともほとんどの場面が1対1の対話なので、これをぶっ続けだとかなりしんどい気がする。 ところで、世の中には《指環》について書かれた本はたくさん出ているが、「いかにして《指環》を最初から最後まで聞き通すか(あるいは見通すか)」という点については、以下の本が非常に参考になった。 [tmkm-amazon]4276352126[/tmkm-amazon] この本には、(あくまでも最初から最後まで聞き通すという意味において)音楽的に冗長なので気を抜いてもいいところ、それから聞き逃してはいけないところが書かれている。 具体的には、《ヴァルキューレ》においては第2幕でのヴォータンの自分語りが長過ぎるとある。確かに今まで挫折したのはこのあたりが多いなあ、と今さらながらに思う。 幕間にこの本を読んで、次の幕で何が起こるかを頭の中に叩き込み、そして1時間ちょっとの間、舞台に集中する、ということを繰り返すと、(そりゃ長いことは確かに長いが)何とか「楽しめる」ことができたのではないかと思う。 第3幕などは、おそらくちゃんと見るのは初めてだったと思うのだが、ヴォータンとブリュンヒルデが別れるところ、すなわちブリュンヒルデが炎に取り囲まれ、いわゆる「まどろみの動機」が延々繰り返されるところは率直に感動してしまった。 全般的にブリュンヒルデにはパワフルな歌唱が要求され、それは一般的にはパワフルなキャラクターに通じるのだが、この第3幕のブリュンヒルデはかよわい。強さに加えて、そのかよわさを表出するということは難しいのではないのかと思ったしだい。 自宅に帰った後、最近お気に入りの、いわゆるヴァレンシア・リング、デザイン集団であるラ・フラ・デルス・バウスの演出による公演を見直してみたのであるが、やはり恰幅のいいブリュンヒルデ役がギラギラした甲冑の衣装に身を包みながらこの第3幕を演じるのは少々違和感がある。 ちなみにこの第3幕の舞台は廃墟の地下室。冒頭の《ヴァルキューレの騎行》で彼女たちは馬ではなく簡易的な2段ベッドに乗っているので、病院の地下なのかも知れない。 ***** 座席は4階(日本式に言うところの5階)のバルコニー席。一番前だし、バルコニー自体は斜め前を向いている。高いところにあるため、ステージの奥の方が見えないのは仕方がないとは思ったが、音響的にはちょっときつかった。オーケストラが演奏しているピットを上からのぞきこむような配置なので、バランス的に歌手よりもオーケストラの方が大きく聞こえてしまう。  

  • 演奏会その50: 《ラインの黄金》(ハンブルク歌劇場)

    演奏会その50: 《ラインの黄金》(ハンブルク歌劇場)

    久しぶりのハンブルク歌劇場。今回は2週間で一挙上演されるワーグナーの歌劇《ニーベルンクの指環》である。《指環》をまとめて見られる機会はそうないので、家族の理解を得て聞きに行かせてもらうことになった。 序夜として演奏される第1作《ラインの黄金》は実演/レコード/CD/レーザーディスク/DVD/ブルーレイで何度も見たり聞いたりしているのでいちばん馴染みのあるオペラである … というか、意を決して全編制覇を試みるとだいたい第2作《ヴァルキューレ》の途中で挫折して、また別の機会に最初から … ということが多いので《ラインの黄金》だけが視聴回数が多いのである。 (そういえば一昨年もウィーンまで行ってウィーン国立歌劇場の《ラインの黄金》を見たのだが、すっかりレビューを書く機会を失してしまっているなあ …) かなり安い席を買ったのであるが、ステージ全体を見渡せるし、いちばん前なので自分の見やすい体勢で見ることができるし(普通に座ると目の前に手すりがきてしまうポジションなので少し疲れる)悪くない。 演出は … 奇をてらった部類に入るのかな?冒頭ではラインの乙女たちが巨大なベッドに寝ていて清掃人の格好をしたアルベリヒが何とかベッドに登って乙女たちをモノにしようとする、ヴォータンをはじめとする神々はちょっと羽振りがいい家族経営の中小企業のようないでたちで、強面の兄ちゃんたち(神々の居城ヴァルハラを作るファーゾルトとファーフナー)に恐喝されている、ローゲは怪しいマジシャンのようないでたち … もともとそういう設定だと言えばそうなのだが、ほとんど全ての登場人物が身勝手で軽薄である。誰もがはたからみたら「突っ込みどころ満載」の主張を朗々と唱える。演出の意図なのかどうかはわからないが、そういった軽薄さが明確に浮き彫りになっていることが面白い。奇をてらったなりの必然性を感じられたので演出が独り歩きしている、という印象にはならなかった。 歌手もおしなべて及第点というところか。アルベリヒとエルダがいい感じだった。 ハンブルク・フィル(ハンブルク歌劇場の演奏も担当している)の音は久しぶりに聞いたが、かなり音がまろやかになっていて驚いた。ますますシモーネ・ヤングとのコンビが充実してきたということなのだろうか。 ***** 期待以上に楽しめたので今後も楽しみなのであるが、《ヴァルキューレ》と《ジークフリート》はほとんど未開の地である。あらすじだけでもいいからもう少し頭に入れておかないと。