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ロンドン日記(その3)見つめる絵はターナー

昨日はシステムがよくわからずに頼みそびれたイングリッシュ・ブレックファストですが、今日はちゃんと注文できました。やはり、イギリスに来たらこれを食べないと。

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ロンドンを初めて訪れたのはおよそ10年前の年末年始。香港経由のキャセイパシフィックという、今なら絶対に利用しない超遠回りの格安チケットで行ったのでした。しかもロンドンでは体調を崩し(雨で冷え切った体で食べた生牡蠣が悪かったのではないかという説あり)妻は3日間ほど寝たきり、私はその時に初公開された「ジョン・レノンとポール・マッカートニーが初めて会った日のクォリーメン(ジョンが在籍していたグループ)の演奏」を聞くために文字通り這うような状態でこの展覧会まで行ったりとあまりいい思い出はないのですが、いまだに覚えている情景があります。

地下鉄の中で日本人の父親と男の子がいました。幼稚園くらいの子供はリュックサックを背負って、わくわくしているのが見てとれます。椅子に座っているのもじれったい感じでそわそわしながらお父さんと思しき男性に話しかけています。男性の方は何も言わずに軽く微笑んで子供の方を見ています。その時、自分にもこんなシチュエーションがやってくるのだろうかと漠然と考えました。

また地下鉄に乗りながら、本当に息子を連れてロンドンに来る日があるんだなあ、と思ったのでした。

息子と一緒では美術館に来てもゆっくり絵を見ることはできないと思ったので、この機会にげっぷが出るほどターナーを見てみたいと思い、ターナー・コレクションを有するテート・ギャラリーへ行ってみることにしました。ちなみにテート・ギャラリーはイギリス各地に点在する美術館群の総称で、ロンドンには古典から現代までのイギリス美術を俯瞰する「テート・ブリテン」と、現代美術を専門に扱う「テート・モダン」があります。

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テート・ブリテンでは、ちょうど「Turner and The Masters」という特別展示が開催されていました。ターナーの絵というと、モネなどの印象主義に通じる、あるいは抽象の先駆ともいうべき、にじんだ色彩やフォルムでよく知られていますが、実は先達の画家たちの構図や色彩から多くのものを学び取り、それを自分の作風として咀嚼していったという一面もあります。この特別展示では、そうした先達とターナー自身の作品が併置されて展示されていて、ターナーが誰から何を学んだのかわかるようになっています。レンブラントから学んだ光と闇(というか闇と光と言った方がいいですかね)とか、プーサンから学んだ風景画の構図とかです。他の美術館で展示されているターナーの絵も、この特別展示のためにテート・ブリテンに移されてきました。

それから、ターナー・コレクションへ。全般的な傾向は特別展示と同じような感じでした。私が好きな後期の抽象的な作品はナショナル・ギャラリーに行った方がいいのかなあ?(山下達郎さんの《ターナーの汽罐車》の題材になった「雨、蒸気、速力」はナショナル・ギャラリーにあります)

全然予習もせずに回っているので、どこに何の絵があるのかさっぱりわかりません。ちなみにターナーの絵はターナー・コレクション以外の一般展示でも見ることができますのでお忘れなく。とりあえずロセッティの「プロセルピナ」があるのを発見しました。

ちなみに美術館のカフェで軽い昼食を。モカ・マキアートとツナ・サンドウィッチです。

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その後、テート・モダンへ。テート・ブリテンからテート・モダンへは水上バスを使って行くことができます。

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こちらは「ポップ・ライフ」という特別展示が開催されていました。ロンドンに着いて早々に乗った地下鉄の構内に貼られていたジェフ・クーンズのうさぎのポスターにやられてしまったので、ぜひ行きたいと思っていました。まさにポップ・アートの総決算という展示で、アンディ・ウォーホール、ジェフ・クーンズ、ロイ・リキテンシュタイン、最近のものでは村上隆さんの作品も展示されていました。アキバ系の歌手が歌っているビデオが流されていて、それに合わせて踊っている子供、それを微笑ましく見ている展示係員、そこに立ちすくむ日本人の立場は微妙です(笑)。

ホテルに預けておいた荷物を引き取って空港へ。無事チェックインしたのは離陸スケジュールの50分前でした。微妙なタイミングですが、今回の旅行で食べられなかったフィッシュ・アンド・チップスを食べておこうと思い、レストランへ。(まあ、往々にして搭乗時刻は遅れるしね。)運よく早めにサーヴされたので、急いでかっ込んで搭乗口へ。案の定、まだ搭乗は始まっていませんでした。よかったよかった。

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機内食はハム・サンドウィッチとオレンジジュースでした。

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19時30分のフライトで22時頃ハンブルク到着(1時間の時差があります)。例によって旅行に行くと普段とは比べ物にならないくらい歩くので下半身はガタガタですが(明日以降もっと痛くなるんだろうなあ)、本当に浜松から東京へ行くような感覚でハンブルクからロンドンへ行けるのでした。まだまだ見たいけど見ていないものがたくさんあるので、ドイツにいる間にまた何回か行ってみたいと思います。

展覧会その2: モデル・バウハウス

ベルリン中央駅からハンブルクまで行く電車の発車時間は午後3時。うだうだ起きて、朝食を食べて、用意をしたら10時。あまり欲張って観光しても疲れるだけだと思ったので、ホテルの近くにある「ベルリンの壁」関連のスポットを見て、電車に乗ってハッケッシャー・マルクト駅まで行って、その駅の近くにあるという自家醸造の黒ビールを飲みながら昼食を食べて、ベルリン中央駅に行く、という計画を立てました。

最初に訪れたのはホテルから歩いて5分くらいのところにある「トポグラフィー・オブ・テラー(テロの地勢図)」。第2次大戦中にゲシュタポの本部があったところだそうで、ナチスのいろいろな所業がパネルで説明されています。近くにはかなりの長さの「ベルリンの壁」が保存されています。

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… と、ここまで見たところで雨が強く降ってきました。とりあえず近くの「グロピウス美術館」で雨やどりすることにしました(また、このパターンか …)。展示を見ようかどうしようか迷っていたのですが、どうも雨はすぐには止まない気配だったので、展示を見ることにしました。

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「Modell Bauhaus」

今年はバウハウス設立90周年だそうで、過去最大規模の展示内容です。ちなみにバウハウスの創立者であるヴァルター・グロピウスは、この美術館に名前が冠されている設計者のマルティン・グロピウスの甥にあたるのだそうです。バウハウスというと、主に家具だとかポスターデザインだとか建築デザインだとかが思い浮かびますが、絵画はもちろん、総合芸術としてのシアター作品なども創作の対象になっていたのが今回の展示を見た収穫といえます。バウハウスの歴史を時間に沿って追うような展示構成だったので、今まで漠然とイメージしていたバウハウスの歴史も再確認できました。生徒の習作などはちょっと凡庸な感じがしましたが、バウハウスの業績を隅から隅まで俯瞰しようという試みは非常に informative でした。ちらちら時計を見ながら展示を見ていたのですが、結局2時間くらい見続けていて、最後の方はほとんど駆け足になってしまいました。もう少し時間があったらもっとゆっくり見たかったです。

ということで、併催されていたル・コルビュジェの展示については素通り。1958年のブリュッセル万博のために建設されたフィリップス館の展示もあって、エドガー・ヴァレーズの《ポエム・エレクトロニック》が BGM で使われていました。

午後1時過ぎに外に出たところ雨があがっていたので、チェック・ポイント・チャーリーだけは行ってみることにしました。グロピウス美術館からは徒歩10分くらい、ベルリンが東西に分割されていた時代の国境検問所の跡地です。

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まあ、跡地にある検問所の建物自体がレプリカなので、跡地のリアリティについて云々するのは意味がないのかも知れませんが、見事に観光地化されています。すぐ近くには土産物屋が多数立ち並び、検問所の近くにはアメリカ兵やソ連兵の衣装を来た人たちが「1 picture 1 euro」みたいな札を持って立っています。「トポグラフィー・オブ・テラー」が寡黙に(しかし雄弁に)歴史の重みを物語っているのとは対照的に、限りなく形骸化されてしまった観光スポットを見て、なんか、とてもやるせない気持ちになってしまいました。近くにあった「ベルリンの壁博物館」に行った方がよかったのかな?

このあたりでタイムアップになってしまったのでベルリン中央駅へ。フードコートだと落ち着いて食事ができない(し、うまいビールが飲めない)と思ったので、ドイツ料理のレストランに入りました。久しぶりの白ソーセージとヴァイツェンビール。よく見たらヴァイツェンは昨日の夜飲んだものと同じ柄のグラスでした。チェーン店か?

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さて、帰りの電車。指定券を予約していたのですが、乗り込んだらすでに人が座っていました。聞いてみると「この電車は代替運行なので、指定券は無効だ。空いている席に座りなさい。」と言われました。よく考えたら ICE を予約していたのですが、乗った電車は IC でした。しょうがなく空いている席へ。往路の ICE はでかいドイツ人に通路側の席をブロックされて写真が撮れなかったので帰りに撮ろうかなと思っていたのですが … 検札の際には車掌さんが切符に何か書いていました。ハンブルクに着いて、その文字を調べたらどうやら「代替運行」と書かれているようで、ドイツ国鉄の窓口に持っていたら返金してくれました。無効になった予約券分の 2 ユーロだけですが。

ハンブルクからベルリンまでの旅行は浜松から東京へ出かけるのと同じような感覚です。列車のダイヤ的には不可能ではないので「ベルリンフィル日帰りツアー」とかやってみようかな。

展覧会その1: 色彩のダンス

(展覧会シリーズは続くのか?)

相変わらずブログが見えません。

いつもより少し遅めに起床、少し遅い朝食を取って、天気がいいので窓を開けて久しぶりに気合いを入れた掃除をして … 今日の計画を考えました。体を動かしたい(というか、動かさないとやばい)ので、自転車でアルスター湖を一周してみようかなと。一周どのくらいあるのか知りませんが、まあなんとかなるだろうと。お昼が近づいてだんだん雲行きが怪しくなってきたのですが、雨が降ったら降ったでどこかでしのげるだろうと。

アパートから西に進むと、アルスター湖の3時の位置(ほぼ真東)にぶつかります。ここから湖を左に見ながら反時計回りに行くことにしました。北半分(外アルスター湖)は湖岸がほぼ住宅地なので比較的静かです。ロンバルト橋をはさんで南側が内アルスター湖。こちらはまわりに商業施設があったり、遊覧船乗り場があったり、市庁舎広場が近くにあったりと、かなり人が集まる地域です。

内アルスター湖の最南端を経由して、北上して帰ろうかというところで、やはり雨が降り出しました。どこかであまやどりをしようと思って探すと、近くにハンブルク美術館が。とりあえず自転車を木陰に停めて中に入ることにしました。

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ちょっとお腹が空いてきたので軽く食べようと思い、美術館併設のレストランをのぞいたらブランチバフェ30ユーロ!!!! そんなにお金を出す気はないし、そんなにお金を出したら元を取るために食べ過ぎて自滅するのは目に見えているのでやめました。特別展示を見たら「色彩のダンス:ニジンスキーとうんたらかんたら」、何となく面白そうですが期間は 8/16 まで、へたすると期間内に来れない可能性があるので今日見ておくことにしました。チケットを買って中にあるカフェへ。とりあえずカプチーノとチーズケーキで少し空腹を満たすことにしました。ここのチーズケーキもサイズはでかいですが味は繊細でよかったです。

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さてニジンスキー関連の特別展示ですが、今年がバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)旗揚げ100周年であることに関連しているのかも知れません。ハンブルク・バレエは「ニジンスキー」という作品や「バレエ・リュスへのオマージュ」という作品を上演しますし、今回の展示も、そのハンブルク・バレエの芸術監督であるジョン・ノイマイヤーのコレクションからのものが多く含まれていました。ジャン・コクトーなどが書いたさまざまなバレエ作品のためのニジンスキーの衣装のスケッチなどがありましたが、ニジンスキー自身が書いた幾何学的なデザインやマスクなども展示されていました。

(著名な美術館はだいたいそうですが)美術館全体はとにかく広い。特に有名な作品はありませんが、時代ごとに区切られた展示は美術史全体を見通しやすい配置だと思いました。主要作品ではありませんが、著名な作家の作品も所蔵されています。主要作品でないということは、例えばその作家の作風が確立される前の作品だったりするので、そういう観点で見ると面白いかも知れません。ロートレックらしくないロートレックとか、ムンクらしくないムンクとか、ブランクーシらしくないブランクーシとか。

こういった作品は旧館に展示されていて、新館には現代美術作品が展示されています。旧館と新館をつなぐ地下通路にはジェニファー・ホルツァーのメッセージを流す電光掲示板が設置されています。確か、再生 YMO のアルバム「テクノドン」のブックレットにメッセージを寄せたのはこの人じゃなかったでしたっけ?あと面白かったのは Roman Signer という人のビデオ・インスタレーションかな?YouTube の一発芸でありそうなネタをもっと大規模にお金をかけてやっているような感じです。(文章だと説明しにくいなあ … 興味を持った方はググってみて下さい)DVD が 20ユーロくらいで売られていたらシャレで買ってみようかと思いましたが、当然そんなに安いはずがなく、断念しました。

雨も上がり、無事アパートに到着。道草をしたおかげでちゃんとした所要時間はわかりませんが、まあ、アパートを出て、アルスター湖を一周して、そのままアパートに帰ってくればちょうど1時間くらいではないかと思います。

夕食はグビッと行きたかったので近所の「Conrad’s」へ。そういえば以前メニューをもらっていたのをすっかり忘れていました。自宅でメニューを予習して鮭のグリルを食べました。たぶん、ヴァイツェンよりはデュンケルの苦みの方が相性がよかったかな?

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豊橋へ

豊橋市美術博物館で開催されている「造形集団 海洋堂の軌跡 〜サブカルチャーと現代〜」を見に行く。

食玩があれだけ密度高く展示されているのは圧巻。 私がいちばん心動かされたのは仮面ライダーやロボット刑事Kやアクマイザー3などに代表される、いわゆる東映特撮ヒーローもの、息子がいちばん心動かされたのはゴジラでした。

(しかし、ゴジラが作品ごとに少しずつ造形が違うのは知っていたのだが「初ゴジ」「逆ゴジ」「総ゴジ」「ビオゴジ」などは一般的な呼び方なのでしょうか?そりゃ、私もわかるが …..)

この美術館は公園の中にあるので木陰で草上の昼食。 ううん、久しぶりに光合成している気分だ。

その後、通り道で動植物公園なるものを見つけたので行ってみることにした。

さすがにこの炎天下で歩き回るのは親子ともども辛い。 まずは元気なうちに象を見に行く。 前回、天王寺動物園へ行ったときにはちゃんと見れなかったからなあ …..

その後はペンギンやシロクマがいる屋内の展示スペースへ避難。 屋根があるわ、冷房が効いているわ、で大勢の人が休んでいる。 息子も息を吹き返したようで、ペンギンの水槽の前で妙にハイになっている。

他にも植物園や博物館も併設されているので、屋外でも過ごしやすい時期に来れば丸一日楽しめそうな施設である。

以上。

ミュシャ展

会社を休んで浜松市美術館で開催されている「ミュシャ展」を見に行く。

気がつくと開催は今週末の日曜日(8月28日)までで、よくよく予定を見てみるともう休日には行けなくなってしまっていたのだった。 平日にも関わらず、台風にも関わらず、意外にもたくさんの人が見に来ている。 うちと同じように駆け込みなのか? ちょうどこの日は入場者数30000人突破ということで、浜松市長が来てくす玉を割っていた。 もう少し遅く入場していたらちょうど30000人目になっていたのかなあ?

ミュシャというとアール・ヌーヴォー様式のポスター画の印象が強い。印刷で見るとまあそこそこなのだが、実物の色彩は素晴らしい。実物を見てかなり印象が変わった。少し色温度を抑えた色彩で描かれている女性は本当に愛らしい。

今回の展覧会はミュシャが名声を得るきっかけとなった、女優サラ・ベルナールのためのポスターがメインのような扱いになっている。これらのポスターはかなり余裕のある空間で見ることができるようになっている。(というか浜松市美術館は狭すぎ)「トスカ」もあるとよかったんだけどな。

よく知られているミュシャの作品の作風はしっかりした輪郭線と淡い色調、幾何学的な構図が特徴なのであるが、スケッチや油絵を見るとデッサンの確かさや光の使い方のうまさが分かる。 スケッチの多くは鉛筆書きにほんの少しホワイトを加えたものが多いのであるが、そのホワイトで表現している光が絶妙である。

このへんがミュシャの一般的な顔なのであるが、それ以外の仕事も紹介されていて興味深かった。香水や酒(モエ・エ・シャンドン)やお菓子などのパッ ケージデザイン(実はゴーフルのパッケージを模した整理箱が売られていたので買ってしまった)などもあったし、写真にもかなり力を入れていたらしい。 晩年プラハに戻ったあとの絵画は民俗衣装が描かれていたり、国のために切手や紙幣などのデザインも行なっていたりと、愛国的な創作活動を行っていたよう だ。

その総決算とも言えるものが連作「スラヴ叙事詩」だそうだ。 絵のサイズは大きいし20枚からなる連作なので、今回の展覧会ではスケッチのみの展示だったのだが、いつか実物を見てみたい気がする。

プラハにある聖ヴィート教会のステンドグラスもミュシャが制作したものである。 すっかり忘れていたのであるが、1998年にプラハを訪れた際にちゃんとカメラに収めていたのだった …..

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超合金 EXPO 2004

第二の目的。原宿のラフォーレ・ミュージアムで開催されていた「超合金 EXPO 2004」へ。超合金はうちにもいくつかあったのだが、他のソフビ人形同様たぶん「弟→年下の従兄弟→廃却」という連鎖で消えてしまったのではないかと推測される。

とりあえず会場限定販売の「ブラック・ライディーン(もちろんゴッドバードに変身)」と「マジンガーZ(もちろんロケットパンチ発射可能)」を購入。予定外の「ロボコン」も購入してしまった。

超合金の展示はほぼ期待通りで楽しめたが、「クリエーターによる超合金コラボレーション作品」として明和電機や本秀康さんが出品していたのがうれしかった。

YES オノ・ヨーコ展

ゴールデンウィークを利用して上京。まず第一の目的は東京都現代美術館で開催されている「YES オノ・ヨーコ展」である。

あまり大きくは紹介されていなかったが、ジョンとヨーコが出会うきっかけとなった作品「天井の絵/イエス(YES)・ペインティング」が展示されて いたのが個人的には大満足。これは梯子に登って虫眼鏡を使わなければ見えないくらいの位置に小さく「YES」と書かれているという展示なのだが、これが肯 定の「YES」であったためにジョンがヨーコの作品を気に入り始めたというストーリーがある。

日本語版のカタログに加えて英語版のカタログも購入。英語版の方が厚いし、CDもついている。

ポスターのユートピア展〜ロシア構成主義のグラフィックデザイン〜

浜松美術館で開催されている「ポスターのユートピア展〜ロシア構成主義のグラフィックデザイン〜」を見に行く。

ロシア構成主義はYMOの中期のデザイン・コンセプトにも影響を与えているので、そういったデザインを集めた展覧会として見に行きたかった。例え ば、第二次ワールドツアーの衣装や公演ポスター、あるいはアルバム「テクノデリック」のジャケットあたりにその影響を見ることができる。中でもYMOの人 気絶頂期にリリースされた坂本龍一のソロアルバム「B-2 UNIT」は、もろにロシア構成主義の意匠そのものである。

基本的にはロシア革命前後からスターリンが実権を握るまでの期間の、社会主義政策を訴えるスローガン的なポスターが多い。そのデザインの斬新さとは 対照的に、「生産計画を進めよう」だの「何とかという雑誌を購読しよう」だの、かなり直接的なメッセージが書かれているのが面白い。こういう幾何学的な構 図はドイツを中心にほぼ同時期に興ったバウハウスとの関連があるのではないかと思っていたのであるが、展覧会の様子を見るに特に関連はなさそうであった (詳しいことはよくわからないのですが)。

こういった流れもスターリンの「社会主義リアリズム」の前にあっという間に消滅してしまった。未来への希望に満ちた力強さが放り出されたままになっている姿に惹かれるのか。

第4回浜松吹奏楽大会親善交流コンサート

2000年3月25日(土) 15:00 アクトシティ浜松中ホール

伊藤康英さんひさびさの新曲がハワイのミリラニ高等学校によって初演された。 (吹奏楽のために書き下ろされた曲(既存の曲からの編曲や、自作の他編成への編曲を除く)としては、1998年の交響三頌《ラ・ヴィータ》以来ですかね?)

吹奏楽のための交響詩《ゴー・フォー・ブローク》
Symphonic Poem for Band “Go for Broke”

 

第二次大戦下のハワイの日系人部隊(アメリカ合衆国陸軍100大隊と442部隊)に捧げられた曲。 「ゴー・フォー・ブローク」とは「当たって砕けろ」とか「死ぬ気で頑張り通せ」という意味らしいが、英語のニュアンスとしては「がんばろうじゃないか」といった明るい意味合いを持っているらしい。

演奏時間は6分半ほど、構成は《ぐるりよざ》の第1楽章をコンパクトにして、《交響的典礼》の導入部とコーダをつけたような感じです。 また、委嘱団体が総勢120名という大所帯だったため、フルートが3パートに分かれているとか、康英さんの曲としては珍しくトランペット・パートとコルネット・パートが独立しているとかという編成上の特徴もあります。

曲は、まず前述したようなハイテンションの導入部で始まり、静かになったところでクラリネットの低音域による旋律が現れます。 これが康英さんが「君が代は千代に八千代に…」の歌詞にメロディをつけた歌曲《君が代は。》の旋律です。

これが何回かの変奏で盛り上がったあと、テンポが上がって突撃ラッパ風の音形が出てきます。 この部分も、この音形を繰り返しながら楽器が加わっていって混沌を極めていきます。 ここではサイレンを使っているのが特徴的ですね。 康英さんは消防署のサイレン(山形大学が《イーストコーストの風景》で使ったようなやつ)を想定していたらしいのですが、結局入手することができなかったそうで、本番ではアメリカン・パトカーのサイレンのような音が使われていました。 ここの部分は息の長い allargando で、だんだんテンポを落としながら力強くクライマックスを作っていきます(オネゲルの《パシフィック231》で機関車が止まる場面のような感じ)。裏拍で叩かれるバスドラムが気持ちいいです。

個人的には、この部分を初めて聞いたときに、少し諧謔的なニュアンスからショスタコーヴィチの作品に近い印象を持った(ショスタコーヴィチは《交響 曲第2番》でサイレンを使っているし)のですが、リハーサルの後で康英さんとお話ししたときには「《ピータールー》みたいでしょ?」と言われてしまいまし た。こちらの方が的確な描写かもしれません(笑)。

このあとは、(《ピータールー》のように(笑)静かな)オーボエのソロから、前半部の《君が代は。》の旋律が回想されます。オーボエのソロはちょっと音域が高くて大変かも。本番ではフルートを重ねていました。

初演は、アクトシティ浜松中ホールという残響の多い室内楽用ホールで、120人もの人数で演奏したものですから細かいところが聞き取りにくかったのがちょっと残念です。 40〜50人くらいのバンドでも十分演奏可能だと思いますので、すっきりした編成でどこかの(できれば上手い(笑))バンドが再演してくれることを期待します。 技術的/体力的にもそれほと無理はないと思いますし、内容としてもわかりやすいし、かなり親しみやすい作品ではないかと思います。