日別アーカイブ: 2012 年 3 月 1 日

演奏会その50: 《ラインの黄金》(ハンブルク歌劇場)

久しぶりのハンブルク歌劇場。今回は2週間で一挙上演されるワーグナーの歌劇《ニーベルンクの指環》である。《指環》をまとめて見られる機会はそうないので、家族の理解を得て聞きに行かせてもらうことになった。

序夜として演奏される第1作《ラインの黄金》は実演/レコード/CD/レーザーディスク/DVD/ブルーレイで何度も見たり聞いたりしているのでいちばん馴染みのあるオペラである … というか、意を決して全編制覇を試みるとだいたい第2作《ヴァルキューレ》の途中で挫折して、また別の機会に最初から … ということが多いので《ラインの黄金》だけが視聴回数が多いのである。

(そういえば一昨年もウィーンまで行ってウィーン国立歌劇場の《ラインの黄金》を見たのだが、すっかりレビューを書く機会を失してしまっているなあ …)

かなり安い席を買ったのであるが、ステージ全体を見渡せるし、いちばん前なので自分の見やすい体勢で見ることができるし(普通に座ると目の前に手すりがきてしまうポジションなので少し疲れる)悪くない。

演出は … 奇をてらった部類に入るのかな?冒頭ではラインの乙女たちが巨大なベッドに寝ていて清掃人の格好をしたアルベリヒが何とかベッドに登って乙女たちをモノにしようとする、ヴォータンをはじめとする神々はちょっと羽振りがいい家族経営の中小企業のようないでたちで、強面の兄ちゃんたち(神々の居城ヴァルハラを作るファーゾルトとファーフナー)に恐喝されている、ローゲは怪しいマジシャンのようないでたち …

もともとそういう設定だと言えばそうなのだが、ほとんど全ての登場人物が身勝手で軽薄である。誰もがはたからみたら「突っ込みどころ満載」の主張を朗々と唱える。演出の意図なのかどうかはわからないが、そういった軽薄さが明確に浮き彫りになっていることが面白い。奇をてらったなりの必然性を感じられたので演出が独り歩きしている、という印象にはならなかった。

歌手もおしなべて及第点というところか。アルベリヒとエルダがいい感じだった。

ハンブルク・フィル(ハンブルク歌劇場の演奏も担当している)の音は久しぶりに聞いたが、かなり音がまろやかになっていて驚いた。ますますシモーネ・ヤングとのコンビが充実してきたということなのだろうか。

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期待以上に楽しめたので今後も楽しみなのであるが、《ヴァルキューレ》と《ジークフリート》はほとんど未開の地である。あらすじだけでもいいからもう少し頭に入れておかないと。

 

ヤナーチェク/歌劇《利口な女狐の物語》

「祝・ブルーレイプレーヤー新規購入」ということで。一枚だけ遅れて到着したヤナーチェクの歌劇《利口な女狐の物語》のBDである。

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チェコで人気があった、新聞に連載されていた絵物語をオペラ化したものらしい。人間と動物(あるいは昆虫など)が登場する。当然、それらの間に言葉での会話はなく、人間は人間同士、動物は動物同士で話をする。しかし、その間には確かにコミュニケーションが存在しているのである。かみ合うようでかみ合わず、微妙に交錯する関係が面白い。

舞台美術は、さすがフランスという感じ。半ば擬人化された動物たちが色鮮やかなコスチュームをまとい、ひまわり畑の中でストーリーが展開する。

原作は第2幕の主人公の女狐ビストロウシュカと雄狐が結婚するところでハッピーエンド、なのだが、ヤナーチェクが言いたかったことは、書き足した第3幕にある輪廻というか生命の再生らしい。

結局、ビストロウシュカは行商人に悪さをして撃ち殺されてしまう。

ラストシーンでは冒頭と同じく、森番がひまわり畑の前に寝そべっているシーンが再現されるのであるが、冒頭で登場したビストロウシュカに代わって、ここでは死んだビストロウシュカと瓜二つの子ぎつねが登場して幕となる。こういうフラッシュバックは何とも言えないやるせない気持ちになる。