大学時代の先輩が亡くなったという連絡が仕事中に入ってきた。 学部の専攻の先輩であったし、吹奏楽団の先輩でもあった。
この先輩の部屋は文字通りの「溜まり場」になっていて、必ず誰かがいた。 ひどい時には家主がいなくて他の人がたむろっていることもあった。 私もほとんど毎週のように入り浸って麻雀をやったり、お風呂を借りたりしていた。 今、思い返しても六畳の部屋のどこに何があったのかをかなり明確に思い出すことができる。
遊びに行ったときに「豆を挽いたらコーヒーを淹れてやるぞ」と言われて、手回しのコーヒーミルで豆を挽いたことを覚えている。
母が私のアパートをたずねて来る時、近くのバス停に迎えに行くためにこの先輩から車を借りようとしたことがある。午後1時を過ぎたのにまだ寝ていて、寝ぼけながら「ん …..」と言って車の鍵のある場所を指差したことを覚えている。
この訃報を受け取った後、妻に電話をして、大学時代に先輩も私も行きつけだった食堂のおじさんとおばさんに連絡を取ってもらった。 妻も学生時代はこの店でバイトをしていたのである。 電話をするということは、この先輩が亡くなったことを自分の言葉にして伝えなければいけない。涙が出そうになった。
私は知人が亡くなると、彼(あるいは彼女)の中に存在する私の断片が彼(あるいは彼女)と一緒に遠いところへ行ってしまったような気になる。 そのために強い喪失感に苛まれるのだが、願わくば彼(あるいは彼女)がいつまでも私の断片を抱き続けていてくれることを願う。私が彼(あるいは彼女)の断片をいつまでも抱き続けていきたいと願っているように。
たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。 このような思い出を持っているのは私だけではなく大勢いるはずです。
先輩の部屋にはたくさんのジャズのCDがあった。 当時、ほとんどジャズを聞いたことがなかった私はどんなCDがあったのかほとんど覚えていないのだが、今思い返すとこのCDがあったことははっきり覚えている。
《いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)》が収録されている小曽根真の「スプリング・イズ・ヒア」。今日はこれを聞く。
合掌。